灯編 努力
だが、<新米パパ>である
『子供は親の振る舞いを見て人間としての在り方を学んでいく』
というのを知っているんだ。自分は人としていい加減な振る舞いしかしてこなかったクセに、
『子供には立派な人間になってほしい』
なんてのは、まぎれもない<他力本願>で<他人任せ>な無責任でしかないんだよ。なのに親は、
『親がどんなのでも子供の側が努力すれば何とでもなる』
などと戯言を口にすることがある。まてまて、それを言うならまず自分はどれだけ<努力>したってんだ?
<子供が社会に出ていくのに不利な条件を作らない努力>
をしたのか? 『努力すれば何とでもなる』と言うのなら、『這い上がれる』と言うのなら、<子供が社会に出ていくのに不利な条件>しか用意できなかった親は何を努力したって言うんだ? 努力してないじゃないか。
『努力したがどうにもならなかった!!』
と言うなら、『努力すれば何とでもなる』というのを真っ向から否定してるぞ? 酷い矛盾もあったもんだ。
『自分は努力しないが子供には努力という言葉で圧を掛ける』
『自分は努力したものの上手くいかなかったが子供には『努力すれば何とでもなる』と噓を言う』
そんな親の在り方を見てきた子供が何を学び取るのか、想像もできないのか?
現実では、トンビはタカを生まない。トンビの子供はどう足掻いてもトンビだ。
ここでさえ、俺の子供だった
となれば、アラニーズと
でも幸い、セシリアが言うとおり、人間として育つ兆候が見え始めているのなら、しっかりと<人間としての在り方>を示すだけだ。その努力を怠る人間が<努力>を語るなど、それこそ笑止千万。
自分が<努力>という言葉で殴られたくないのなら、自分も誰かを努力という言葉で殴るのはやめておけ。
<親としての在り方>について他人からあれこれ口出しされて嫌だったりしたんだろう? 『努力が足りない』とか言われて嫌だったりしたんだろう? なのになんで努力という言葉で子供や他人を殴る?
<痛み>を知る人間は優しくなれるんじゃなかったのか? 努力という言葉で殴られて痛みを知ったのなら、なんで努力という言葉で無慈悲に他の誰かを殴る?
おかしいじゃないか。
だが、
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