新編 それが社会というもの

新暦〇〇三四年八月二十二日




こうして、<アカトキツユ村の住人>は、早速、あらたとレトの二人になった。あんずとますらお、およびドーベルマンMPMを合わせれば六人だが。


アリニドラニ村の斗真とうまとも合わせ、集落の運営のテストケースになっていくだろう。


もっとも、今のところはまだ<獣人>しかいないけどな。


俺の集落やビクキアテグ村については、俺やシモーヌ、ビアンカや久利生くりうがいることで、<地球人の知識>や<地球人の感覚>が大きく影響することで、ちょっと事情が違う。まだまだ、


<完全な事例>


とは言い難い。『朋群ほうむ人の社会がどう成立していくか?』という意味ではな。


レトのケースも、あくまでうららのケースを基にした<実践>にしか過ぎないだろう。でも、それでいい。そういう地道な積み重ねこそが、世界を作っていく。派手で目立つ、


<カタルシスを感じる出来事>


なんてのは、あくまでエンターテイメントでしかなく、そしてエンターテイメントは、


<世界を構成するごくごく一部分>


でしかない。エンターテイメントが世界を作り上げているわけじゃないんだ。科学や技術とかもそうだ。バカみたいに地道な研究の積み重ねが強固な地盤を作るからこそ、天才の突飛な発想が活きてくる。天才の突飛な発想を形にするのは、いつだって地道な研究の成果だったはずだ。それを形にできるだけの基礎的なものがなければ、天才の突飛な発想でさえただの<妄想>に過ぎない。


人間はそれを思い知らされてきたんだよ。だから今では、地道で果てしないトライ&エラーになる基礎実験なんかはロボットに任せたりもするものの、決して疎かにはしていない。それどころか、人間じゃ『やってられるか!』と投げ出してしまうような<先の見えない試行錯誤>だって、ロボットは文句も言わずにやってくれる。


これ自体が、<地道な努力>の大切さ、難しさを、人間に教えてくれるんだ。アリニドラニ村でのドラニと斗真とうまの<鋼作り>だって、それをしっかりとしたものにしていくためには、ただただ地道に鉄を打ち続けるしかない。


うららやレトのケースも、そういうものの一つなんだよ。あらたは、それに挑んでくれる。


俺は、そんな息子を誇りに思う。


そして、あらたがレトを育てていけるように、俺達が環境を整備していく。まさしく<役割分担>だ。それが社会というものだ。


一部の優れた人間だけが社会を作り上げているわけじゃない。決して表舞台には出てこないかもしれないが、華やかさはないかもしれないが、ただ愚直に地道に地味な仕事を続けてくれる者がいてこそ、社会は成立するんだよ。


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