ルコア編 受け入れ態勢

ビアンカは、穏やかな表情でルコアの髪を丁寧に梳いていたそうだ。


風呂に入る前は汚れで絡まってしまっていてにっちもさっちもいかなかったが、しっかりとケアを施した彼女の髪は、とても艶やかで滑らかだったらしい。


<向こう>にいた間もすごくしっかりとケアしていたんだろうな。


向こう=<不定形生物の中の世界>では、それこそ石器時代に毛の生えたような文明レベルの生活だったらしいが、さすがに優秀な者達が揃ったメンバーだっただけあって、次々と暮らしを豊かにするものが発見されたり作られたりして、案外、悪いものでもなかったのだという。


そうだな。


清潔で安全で文化的な生活は確かに心地好かったが、しかしそれだけで幸せになれるかというと、実はそうでもない。人間の<幸せ>というのは、自身を取り囲む人間関係に大きく依存するんだというのをすごく感じるよ。


なにしろ、険悪で安心できない人間関係の中で生きてると、心が休まる暇がないからな。<犯罪>などもついても、おそらくは広い意味での<人間関係>だと思う。特に他人を傷付ける系のそれが身近だと、やはり幸福を得るのは難しくなるだろうしな。


その点、ここは、命のやり取りはしていても基本的にそこに<悪意>はない。ただただ<生きるための戦い>があるだけだ。


だから、<不定形生物の中の世界>とそれほど違いもないと思う。


とは言え、シモーヌやビアンカの知る限りでは、それほど危険な動物も多くはなかったそうだから、実にのんびりとした牧歌的な生活だったらしい。


一方、こちらは、<危険>は確かに身近なものの、その分、身を守るための手段も充実している。アリスシリーズとドライツェンシリーズが傍にいるだけでも、マンティアンの龍然りゅうぜんのような一部の突拍子もない強さを持つ者以外はそれほど神経質になる必要もなく、余計なことさえしなければかなり安全ではあるんだ。


さりとて、その辺の<理屈>を、やっと十代になったばかりの少女に納得してもらうのは容易くはない。


ゆえに、焦ってはいけない。こちらの都合を押し付けてもいけない。あくまでルコアが安心できるように、こちらの側の受け入れ態勢を整えるだけだ。


ビアンカも、敢えて自分達を信じてほしいとか、自分達が守るから安全だからとか、押し付けがましくはしない。<信頼>は押し付けるものじゃない。相手にとって信頼に足るかどうかが問題なんだ。


こちらがそれを満たせないからといって、自分達を信頼しないルコアの所為にするのは、ただの<甘え>だ。彼女と俺達とじゃ、置かれてる状況が違う。彼女は今、彼女にとって分かりやすい<味方>も頼れる者もいない世界に、異形の体で生まれついたところなんだ。


すでに安定を得てる俺達の基準で考えちゃダメなんだよ。


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