明編 両輪

メイトギアを始めとした、人間のすぐ傍で人間を見てきたロボット達が蓄積した<統計学上のデータではない実際の実例>と脳科学と遺伝子解析から現在ではきっちり解明されてることだが、


『生来、人間は誰でも人間を殺せる』


そうだ。これは、そもそも異常でもなんでもない、生物として当たり前の資質なんだという。


当然か。ここで暮らしてみて実感したが、生き残るために必要な手段はどんなものでも取れるのが生物としてはむしろ普通なんだ。たとえ、同族殺しであっても。


それを人間は、後天的な教育によって、


『人間を殺すのは禁忌とする』


という認識を徹底して植え付けることでストッパーにしているに過ぎない。


これはつまり、


『人間を殺すのは禁忌とするという認識の植え付けに失敗すると殺人に対するハードルが大きく低下する』


ということも意味しているらしいな。


『人を殺せるような奴は異常者だ。不良品だ』


などと『思い込まされている』だけに過ぎない。元々、異常でも不良でもないってことか。


かつては<性善説>だの<性悪説>だのという概念が幅を利かせ、いや、実際には今でも多くの人間が信じてる概念らしいが、これは所詮、文学的な解釈でしかないようだ。


まったくプレーンな状態の人間は、結局、<ただの動物>でしかないんだよ。善とか悪とかいう概念自体がない。必要に迫られれば反射的に必要な対処をするだけということだ。


そこに性善説も性悪説も入り込む余地はない。


まあ、動物を見てれば分かるよな。彼らに善や悪といった概念はないんだし。


<サイコパス>と呼ばれるタイプの人間にしたって、実は社会的に<優秀>とされる者にはかなりの割合で見られるという話もある。他人の感性や価値観に左右されることなく自身が関心ある分野に邁進できるという資質にはむしろ適してるらしいし。


要は、科学的医学的に見れば、人間が人間を殺さないようにするためには、


『人を殺さなければいけない理由をいかに排除するか』


ってことが一番重要なんだろうな。


しかし、これが実に難しいようだ。すべての人間を徹底して完全に管理できればそれも不可能ではないものの、そもそも、


『すべての人間を徹底して完全に管理する』


というのがまず現実的じゃない。AIの普及によって調理器具でさえ人間が何を言ってるかやってるかある程度は理解していて、それこそ犯罪の計画を練っていたりするとネットワークを通じて関係諸機関に<通告>することさえあるものの、そこは<内心の自由>や<プライバシー保護>に抵触する可能性が高く、よほどのことがない限り実際に捜査機関などに<通報>されるところまではいかないそうだ。


しかも、本気でテロを考えている連中などは、AIを搭載した機器類を完全に排除した状態で計画を練ったり、普段も符丁を用いて連絡を取り合ったりしてるんだとか。


加えて、


『AI及びロボットの排斥を訴えるテロリストなどにとってはAIやロボットの存在そのものが人を殺してでも目的を果たさないといけない理由になる』


というジレンマに陥ってるんだよな。


だから、


『こういう理由で人を殺してはいけない』


って形で抑える必要も出てくるということか。


『人を殺さなければいけない理由を極力排除』した上で、『こういう理由で人を殺してはいけないと教え諭す』という両輪が大事ということなんだろうな。


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