誉編 葬送

新暦〇〇二七年八月二十九日。




ひいらぎが亡くなってからさらに一ヶ月。いよいよしずかの様子が危うくなってきた。


<その時>を迎えようとしてるんだろう。


すると、ほまれしずかの傍を離れなくなった。ボスとして出向かないといけない時には出るものの、それ以外はずっとしずかに寄り添っている。


ただ、当のしずかの方はあまり分かってはいないのか、ぼんやりとしているだけだが。


口もしっかりと閉じていられないらしく、常に涎を垂らしているような状態だ。


実はこの時のほまれのような行動は、稀にだが見られるものでもある。特に、老いた雌とそれと連れ添ってきた雄との間で見られることだ。


「伴侶として、というよりは、もしかすると母子としてという感じなのかもしれませんね。母親の姿を重ねてしまうのかも……」


シモーヌのそれは、実は明確な根拠があってのことじゃない。本当に<ただ何となくの印象>にすぎない。もしかしたらあくまで伴侶として傍にいるだけなのかもしれない。


だが、基本的に、自分が生まれた群れから離れないことも多い雌と違い、巣立ちによって自分が生まれた群れからは離れ、その後、生涯、母親と再会しないことも多い雄の場合、伴侶である雌に母親の面影を求めてしまうこともないとは言えないのかもしれないと、俺も思ったりする。


まあそれがいずれにせよ、あくまで当人達の問題なので、俺達がどうこう言うことでもないが。


それに、しずかに寄り添ってるほまれの姿を見て、胸が熱くなるものも感じてしまうしな。


嫌われ者だったかもしれないしずかでも、それはあくまで彼女の生まれが原因だったというのは間違いなくある。まだロクに抵抗もできない頃からイジメ抜かれて、それでも彼女は生き残ったんだ。だから最後くらいは穏やかに迎えさせてやりたいじゃないか。








新暦〇〇二七年九月五日。




夕焼けに空が赤く染まる中、ほまれに寄り添われて、沈んでいく太陽に誘われるかのように、しずかはその名の通り静かに息を引き取った。


涎を垂らしたままの、決して『美しい』とは言えない姿ではありつつ、それでも暴れたり苦しんだりすることはなかった。


ここ一ヶ月ほどは完全に<認知症>の症状も見せていた彼女だったが、それを見て思ったよ。人間が認知症になるのは、<死の恐怖>を和らげるためなんじゃないかって……


実際、そういう説を唱えている専門家もいるそうだ。




息を引き取り、枝から落ちそうになったしずかの体を抱え、ほまれは木から下りてきた。そして地面にそっと下すと、名残惜しそうに何度も振り返りながらも、未練を振り切るようにして樹上へと戻っていく。


それから、闇に沈んでいく地上にいくつもの小さな光が見えたかと思うと、どこからともなくボクサー竜ボクサーが現れ、しずかの遺体を持ち去ってしまったのである。


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