誉編 日々 その3
「いーっ! ひぃーっ!!」
いささか情けない悲鳴を上げる相手の腕を極めていた手を
とどめは刺さない。命までは奪わないというのが、パパニアン同士の暗黙の了解だと思われる。
ここで殺してしまえば来なくなるはずだと思ってしまう者もいるだろうが、この種の小競り合いはそもそもパパニアンの習性なので、あのボスを殺したとしても新しいボスがまた来るだけなので、キリがないのだ。
そんなことをしていては最後には他の全ての群れを皆殺しにしないといけなくなるし、人間ほどはしつこく恨みを抱いたりしないとはいえ多少はそういうのもあるから、余計に敵を増やすことにもなりかねない。
『敵は殲滅するべきだ』というのは、後先考えない短絡的な思考だと言えるだろう。
そもそも、<殲滅するべき敵>とは、どこまでを指す? 実際に戦闘をする者か? それとも、敵対する勢力の<家族>や<親類>、関わりのある者すべてか? どこまでを殺せばいい?
親を殺された子はその恨みを晴らす為に狙ってくるだろうから、その子も殺すのか?
まったくの他人であっても親しくしてる者なら仇を取りたいと思うかもしれないから、敵の友人知人も殺すのか?
人類の歴史の中でそれを実行しようとした者がどんな末路を迎えたかをよく調べれば、その考え方に果たして合理性があるのかどうか分かると思うし、それが分かったからこそ、たとえ紛争になっても相手を殲滅しようとはしなくなったんだろうな。
もっとも、今の紛争とかは実際に戦場に出るのはロボットとそれを指揮する人間だけだから、恨みも少ないというのもあるんだろうが。
結局、敵が来るたびに撃退するだけに留めるのが一番面倒が少ないとも言えるのかもしれない。そうしている間は、被害が出ても『お互い様』とも言えるからな。
もちろん、それで実際に犠牲になった人間やその近しい者にとっては<仇>が憎いだろう。復讐したいと思うだろう。しかしそれは相手も同じなんじゃないのか?
『どちらが先に仕掛けた』
そんな話になればお互いに、
『相手が原因を作った』
という水掛け論になるのは、過去の無数の実例が証明している。そして負けた方が<原因を作った悪者>にされるんだ。
『そんなお利口さんな優等生の理屈で納得できるか!!』
そう言う者もいるだろう。だが、事実だ。
現実を見ずに自分の恨みを晴らすことに走って争いを拡大してそれでさらに被害が出たら、どうやって責任を取るつもりなんだ?
『犠牲者に我慢しろと言うのか!? 不公平だろ!? 自分の家族が犠牲になっても同じことを言えんのか!?』
と言うかもしれないが、ならそれで同じように苦しむ人間を増やすのが<公平>なのか?
『自分だけが苦しむのは不公平だからお前らも同じように苦しめ! それが公平だ』
とでも言うのか?
だが俺はあの判断が本当に正しかったのかどうか、実は時間が経てばたつほど分からなくなってきてるんだ。
けれど、自分の下した判断が消えることはない以上、正しかったか間違ってたかではなく、自分が判断を下したという事実とただ向き合っていくべきだと思っている。
それが、判断を下した人間が負わなきゃいけない責任だろう。
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