誉編 日々 その4

俺の思っているようなことを口にすると、


『頭がお花畑の平和主義者だ』


とか言うのが必ずいるだろうが、それではなぜ、人間が大規模な全面戦争を回避するようになったのかの説明ができるのか?


局地的な紛争は確かにいまだに起こる。超大国が小国を相手に戦争を行うことはある。だが、超大国同士が全面戦争に突入することについてはとにかく避けようとするのは事実のはずだ。


たとえ、偶発的な衝突が起ころうとも、それを直接のきっかけにして戦争に突入することはない。


『仇を討つこと』を重視するのならば、そのまますぐに戦争に突入するんじゃないのか? たとえ結果として戦争になるとしてもギリギリまで戦争を回避しようとするのは何故なのか?


これは、超大国同士が戦争を行うことのリスクを知ったからじゃないのか?


戦争を避けるというのは、決して綺麗事じゃない。ドラスティックなまでに<実利>を追求すればこそ、たとえ個人の感情を脇においてでも戦争を回避するという判断が行われることもあるんだ。


『戦争を避けることこそが利になる』


と見做されるようになったんだよ。


野生の動物達は、相手を殲滅しようとは基本的にしない。その場にいたものについては皆殺しにしようともすることもあるかもしれないが、逃げたものをわざわざ追いかけてまでということはまずない。


これはまあ、その場にいないものまでどうこうしようという発想がそもそもないからとも言えにせよ、それによって必要以上に争わない仕組みとして成立してるんだろうなというのを、ここで暮らしてみて感じたよ。


だいたい、どんな戦争でもいつかは終わる。で、犠牲者の仇を討つために戦ってる奴は、停戦命令が出たらどうするんだ? 


『仇を討つために戦ってるんだ! 止めるな!!』


と言って戦い続けるのか?


それを考えるだけでも、


『犠牲者の仇を討つ』


なんてのは、戦意高揚のための詭弁に過ぎないことが分かるんじゃないのか?


『禍根を残さないためにも徹底的に叩くべきだ!!』


と主張する人間は、停戦についてどう考えてるんだ? 徹底的に叩く前に終わってるぞ?


戦争を主導している者達の都合で始まってそして終わる。個人の感情や感傷は、実際には考慮されない。<考慮しているフリ>が戦意高揚に利用されることがあるだけ。つまるところそれが戦争の正体だと俺は感じてる。


人間以外の動物は引き際をわきまえてバランスをとろうとしているのに、<万物の霊長>を自称する人間が、動物より愚かな真似をしていていいのか?とは思うな。実際、だからこそたとえ建前ではあっても<戦争の放棄>を掲げているんだろうからな。




と、また話が少々逸れてしまったな。


まあとにかく、ほまれはパパニアンの習性に倣い、縄張り争いを仕掛けてきたボスを敢えて逃がした。


もし再びちょっかいをかけてきたとしても、その時はその時で同じように追い払うだけだろう。何度でも。


ただ、今回、情けない姿を晒したあちらのボスは、群れの中での信頼を失い、ちょうど台頭してきていた若い雄にボスの座を奪われて群れを追われる姿が、後日、監視用ドローンのカメラに捉えられていた。


縄張り争いを仕掛けておいて結果を出せなかった責任を取らされた形と言えるだろうか。


その<元ボス>がこの後、どのような運命をたどるかは分からない。おそらくはそう遠くないうちに<野垂れ死に>することになるんだろうが、それもまた摂理というものだろう。


ほまれだっていずれ年老いて力が衰え、ボスとしての役目を果たせなくなればボスの座を追われてと、同じ運命をたどることだって十分に有り得る。


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