後悔はある(悔やんでも仕方ないのは分かっていてもな)

新暦〇〇二〇年七月二十日。




俺は、死後の世界とかは信じていない。死んだ人間が超常の力で影響を与えるとかいうのも信じてない。そんなことがあるのなら、妹が俺に恨みを晴らしに来ないわけがない。守ってやれなかった俺に。


だが、もし、そんなことが本当にあるのなら、例え恨みを晴らしにであってももう一度会いたいと思う。会って、謝りたいんだ。


「守ってやれなくて本当にごめんな」


って……


まあそれ自体、ただの自己満足でしかないのは分かってる。そんなことをしたところであの子を守ってやれなかった俺の罪が消えるわけでも、あの子が亡くなった事実が消えるわけでもない。


それでも、な。


ひそか達にしてやれたことをあの子にもしてやりたかったという後悔が強くある。今さら言っても意味がないのは分かっていても、それが正直な気持ちなんだ。


だから死んだ人間が現れたりするというのなら、現れてみせてくれ。あの子をもう一度俺の前につれてきてくれ。そして今度こそ守らせてくれ。


……なんて、ただの泣き言でしかないのも分かってるさ。


でも、それが泣き言でしかないっていうのが、死んだ人間は何もしないし何もできないという何よりの証拠なんだろう。だからこそ命は大事なんだ。喪われれば決して取り返すことはできない。


じんを喪ったことでなお一層、それを思い知ったよ。


ただ、それは決してメソメソしていたいという意味じゃない。恨み節を並べていたいということじゃない。そういう後悔や寂しさをが自分の中にあるという事実を認めた上で前を向きたいということだ。


現にあるものを見て見ぬふりをするのは、決して勇気でも強さでもないと俺は思う。自分の中にあるネガティブな部分を認めないのは、むしろ弱さだとも思ってる。


もちろん、人間はそもそも弱い生き物だ。自分のダメな部分、陰鬱な部分から目を背けて見ないようにすることで虚勢を張るというのも一つの方法だろう。それをするなと言いたい訳じゃない。


ただ、それを認められない弱い人間に偉そうにされても陳腐にしか見えないということは知っておいた方がいいと思う。他人が自分の言うことを聞いてくれなかったりするのなら、それは、他人から見て<言うことを聞くに値する人間>じゃないというだけだ。自分に原因があるんだよ。


俺は、ここでみんなと一緒に暮らしてみてそれを改めて学んだ。ひかりあかりが俺の言うことを聞いてくれるのは、言うことを聞いてもいいと思える相手だと思ってくれてるからなんだろうな。


俺にも弱い部分や駄目な部分があるという現実から目を背けてないというのが伝わるからだと思うんだ。


だから、見たくなくても認めた方が結局は上手くいくことが多いんだと思うよ。


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