何が幸いするかなんて(どうせ分からない)

新暦〇〇一八年六月一日。




じゅんは、見た目にはひかりあかりと同じで完全に人間だが、服を着るようになってますます人間っぽくはなったが、しかしその振る舞いはやはりほまれほむらあらたと同じく<ボノボ人間パパニアンの雄>だった。


<意中の雌>であるひかりに対するアピールが激しい。


ボノボ人間パパニアンは、めでたくカップルになってからでも、当分の間、雄は雌に対して求愛行動を行うらしい。自分が素晴らしい雄であることをさらに見せつける為だろうか。


なので、振り向いてもらえてないとなればなおのことかもしれない。


ただ、中学生くらいの体格でこれをやられると、家が大変なんだよなあ。


さりとて、それをやめさせるのも何か違うと思うから、壊れればただ淡々と直す。それだけだ。どうせ「壊すな」と言ったところで理解もできないだろうし。


そうだ。ひかりあかりと違って、人間というものに全く触れず、人間の言葉を耳にすることもなく育ったじゅんは、おそらくまともに話すこともできるようにならないだろう。


それについては、エレクシアが言っていた。


「古来、人間以外の動物によって育てられた子供の事例はいくつか確認されていますが、いずれも、<社会復帰>という点においては厳しい結果に終わったと言わざるを得ないでしょう。特に、言語については十分なレベルに達したという明確な資料はありません。良くていくつかの単語を不明瞭な発音ながら辛うじて口にできる程度であったようです。


これは、脳の活動が非常に活発である乳幼児期に人間としての言語に触れないと、たとえ人間として十分な機能を有した脳を持っていても、具体的な<言語>というものを理解できるようにならないということを示していると言われています。


ただ、ボノボ人間パパニアンには非常に原始的ながら言語に近いコミュニケーション方法がありますので、いわゆる<片言>程度であれば話せるようになる可能性はゼロではないでしょうが、ひかりあかりと同等の、<人間としてのスムーズなコミュニケーション能力>を獲得するのは難しいと考えていただいた方がいいでしょう」


厳しい内容だが、俺としても異論はなかった。そうなるだろうということは、詳しい知識のない俺でも察せられたからな。


だが俺は、別に、じゅんを<人間>にしたい訳じゃない。じゅんじゅんのままでいてくれればいい。それでこの<群れ>に来て良かったと思ってもらえれば十分だ。


俺も今、こうしてることを後悔はしていない。やけっぱちで夢色星団に飛び込んだが、結果的にはそのおかげで満たされてる。


何が幸いするかなんてどうせ分からないんだ。なら、なるべく幸せになれるようにしたいもんな。


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