歯の浮くセリフ(でもここでは素直に言える)

新暦〇〇一九年一月一日。




来る者がいれば去る者もいる。


それは、それは、どんな場所でもどんな世界でも変わらない。なにしろ自分自身が、この世に来てやがて去っていく訳だからな。


じゅんが新しく仲間に加わって、俺はれんの墓の前でそんなことを考えていた。


れんの兄妹であるこうかんは元気に育ってる。最初は緊張していたじゅんもすっかり慣れて、今では一緒に遊んでくれてたりもする。


自分の孫が新しく来た仲間と仲良くしている様子を、ふくは相変わらず床にゴロゴロと寝ころびながらのんびりと眺めていた。その姿がまたアンニュイな感じで色っぽい。


でもそれは同時に、彼女が年齢を重ねているということの証でもある。


と言っても、しっかり自分で狩りも出掛けるし、動きのキレは落ちてないしで、まだもうしばらくは大丈夫だと思うが、『いずれは』というのも感じる。


もちろん、その辺りはひそかようでも同じだ。


対して、俺やシモーヌは老化防止処置を受けているから、百歳を大きく上回ってもまだ若々しい体で殆ど変化はないが(厳密にはシモーヌが受けたそれは俺が受けたのとは技術レベルが違うので、健康寿命としては俺よりは数十年ほど短いが)、ふく達の変化は俺からするとそれこそ『あっという間』の変化だな。


もっとも、人間も昔はこうだったんだ。平均寿命が四十代だったり五十代だったりした頃には、こんな風に変化していったってことか。


なんか、信じられないよ。


けど、明らかに外見で言えば俺より年上になったなっていう印象の彼女達への気持ちは不思議と今でも変わらない。彼女達のことはちゃんと好きだ。<お勤め>もそれなりにこなしてる。


ただ、じんについては、種族的な特徴として成体になってからの見た目の変化がそもそも少ないから、他の三人に比べると時間の経過をあまり感じさせないか。


彼女達は魅力的だよ。こんな、寄る辺ない余所者だった俺を受け入れてくれて、愛してくれて、こうしていまだに一緒にいてくれるんだ。


それがたまらなく嬉しい。


ここしばらく彼女達について詳しく触れてこなかったが、それは触れる必要がなかったからだ。


彼女達との間では、平穏で、平凡で、平坦で、幸せなゆったりとした時間が流れてたからだ。


ひそかじんふくよう。みんなの存在そのものが俺の幸せだよ。


普通に人間社会にいた頃にこんなこと言ったらいかにも気取ってるというか<歯の浮くセリフ>ってやつだったと思うのに、ここではすんなり言えてしまうな。実感が半端ないからか。


彼女らがもし人間の言葉を話せたら<本音>を聞いてみたい気もするが、でも人間みたいに打算とか我慢とかそういうのでは動かない訳で、それで言うと、今まで俺の傍にいてくれたという事実そのものが何よりも確かに彼女達の<気持ち>を表してくれてるのかもしれないな。




ありがとう。愛してる。




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