拠り所(意味が無いように見えて必要なものかもしない)

死んでいるとはいえ、我が子を食ってしまうとか、人間にとってはおよそ理解できる行為ではないと思う。<食人行為>は、今の人間にとっては非常に強い禁忌の一つだからな。


大昔にはそういう習慣を持っていた者達もいたと言うが、あらゆる少数民族にまで文明がいきわたった今では、遠い過去の悪習でしかなくなっている。そういう者達を遠い祖先に持つ人間達も、祖先に対する礼とは別に、かつての習慣については激しく嫌悪しているそうだ。


だが、人間社会を外れた自然の中では、これも、それこそ当たり前のように起こってる日常の一コマでしかないと思う。


専門は植物学でありつつ生物全般にもそれなりに造詣の深いシモーヌは当然それも承知していて、唇を噛み締めて何かに耐えるような表情はしているが、しんの行為については責めるような言葉を発することはなかった。


平穏で穏やかに見えても、俺達が生きてるいるのはそういう世界なんだと改めて教えられた。


ショッキングな光景はこれまでにも散々見てきたものの、さすがに俺にとっては<孫>に当たる子がそういう形で喪われるのは、いや、既に胎内にいた時には亡くなってたんだろうから、厳密には生まれてさえこなかったんだが、それでもキツイな……




俺とシモーヌとエレクシアとセシリアと、そして場所は離れてるがメイフェアとで、亡くなった子をささやかながら悼んだ。


しかしそれと同時に、二人の新しい命が来たことについては、素直に祝った。


「じゃあ、二人の名前はこうかんにしよう。僅かな時間とは言え、もう一人の兄妹の命と交わり、そしてその<命の環>の一部だったということで」


俺がそう言うと、シモーヌも、


「良いですね。それ。良い名だと思います」


と言ってくれた。


そして亡くなった子には<れん>と名付けた。俺の名前、<錬是れんぜ>の読みにちなんだ名前だ。俺に連なるものとして忘れたくないというのもある。


意味はないが家の近くに墓も作り、そこに祭ることにした。


まあ、言ってしまえばただのセンチメンタリズムだ。こうやって亡くなった子を悼んでるというアリバイ作りをすることで、精神的な安定を保つという、人間の知恵とも称するべきものかな。


実際、墓を作ったことで、俺もシモーヌも、ある意味では心の整理ができたと思う。なるほどこういう意味で必要なんだと改めて実感したよ。


今より若かった頃にはそれが理解できなくて『墓なんて要らない』と言ってたこともあったが、大切な人を亡くした人間にとってはある種の拠り所でもあるんだな。


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