e 話しちゃだめなんだもの
「い、言ったけど……」
「ていうか、言うほどのものじゃなかったんだよな。父さんや母さんが探し物をしていたら、香波があそこにあるよ、って言って見つけてくれる。朝は晴れていたのに、香波が今日は雨が降るって言うから傘を持っていくと本当に降る。それくらい」
「まあ、観察眼が鋭いな、で済む程度だね」
「そうなんです」
四階に到着したエレベーターを降りると、ホールには家族連れが待っていた。両親と、パジャマを着た男の子。母親らしき女性は千鳥を見ると会釈する。
「こんにちは。どっか行くんですか?」
「ちょっと下のコンビニに行ってくるわぁ。香波ちゃん談話室で待ってたわよ、『綾ちゃんがくるんだ』って。学校のお友だち?」
「はは。これが綾ちゃんです」
女性は目を丸くして「あらっ」と零した。クラスメイトの女児を想像されていたに違いない。千鳥に指さされた綾人はなんともいえない気持ちでぺこりと頭を下げた。
家族連れの姿が見えなくなると、千鳥は周囲をさっと見渡して声を低くする。
「一度だけ。四歳のときに入院していて、隣の個室にいた男の子が三日後に亡くなると言い当てたことがありました。その子の容態はとても安定していて、退院の日取りも決まっていたんです。でも急変した」
「……でも、入院はしていたんだし、偶然かもしれない、よな?」
この発言がかなりぎりぎりのラインであることを綾人も理解していた。
視える人に対して「気のせいだ」と言っているのと同じ。綾人だって子どもの頃に何度も何度も言われたことだ。自分が言われたらかなり眉を顰めそうな発言だが、千鳥はからっと笑って肩を竦める。
「そうなんだよ。だから人に言うほどのものでもなかったわけ。ちなみに今日、香波にお前が来ることは言ってないんだぞ」
「…………」
「…………」
不覚にもぞっとした。可愛がっている香波のことなのに。
人目を憚る話もひと段落したので、再び千鳥を先頭に、香波が待つという談話室を目指す。
小児病棟であるため、当然のことだがパジャマ姿の子どもが多かった。
「よくいままで騒ぎにならなかったね」
「不思議とそういう分別がつくみたいで。もしかしてその『おじちゃん』が関係していたりするのかな……」
首を傾げた千鳥が談話室を覗きこむ。
なかには香波が一人で待っていた。自動販売機のそばのテーブルにスケッチブックを広げて絵を描いているようだ。綾人は千鳥に続いて談話室に入ったが、師匠は入口で立ち止まる。
「師匠? どうしたんですか」
「……知らない男だから警戒されてるみたいだね。ぼくはここから見てるから行っておいで」
「警戒? そりゃまあ香波ちゃんから見たら師匠は知らない人だけど、そんな……」
薄い笑みでしっしと手を振られてようやく気づいた。
香波にではなく、師匠は例の『おじちゃん』――しかも千鳥と綾人には視えない類いの――に警戒されているのだ。
ただその表情を見る限り、悪いものではないらしい。
それなら、と香波のほうを振り向くと、少女はぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。
「綾ちゃんっ」
「香波ちゃんこんにちは! 元気してた?……っていうのも変か」
「えへへ。元気じゃないから入院してるんだよ!」
「ですよねー」
小学二年生からご尤もなツッコミを受けてしまった。
「これ、入院中寂しいこともあろうかと思って、綾から差し入れです」
抱えていた紙袋からぬいぐるみを一体、差し出す。
香波が見ていたアニメに出てくるマスコットキャラで、タキシードを着た二足歩行のアルパカだ。名前はシャルルというらしく、羽まで生えている。
師匠からのアドバイスに従って綾人の掌に収まるくらいのサイズのものにしたが、香波が抱えるとちょうどいい大きさだ。
「シャルルだ。綾ちゃんありがとう」
「どういたしまして。あとこれ、スケッチブックも。ずっと病院にいたらすぐページなくなるでしょ」
「ありがと! おにいちゃん見てー」
自動販売機で飲み物を購入していた千鳥のもとへぱたぱた駆け寄り、香波はシャルルとスケッチブックを自慢げに掲げる。「よかったな」と頭を撫でられて嬉しそうな香波は、いつも通りの様子に見えた。
綾人はちらりと、談話室の窓に目をやる。
大きなガラス窓からは秋の陽射しが穏やかに差し込んでいた。周囲には高層マンションやビルが立ち並んでおり、遠くまで見渡すことはできない。ただし千鳥の話していた赤い観覧車は確認できた。地図でいえばこの遥か東に八束山があるはずである。
「あのひとは?」
入口の近くに立っている師匠に気づいて、香波は千鳥の足の後ろに隠れた。
千鳥からジュースを投げ渡される。香波もオレンジジュースを受け取り、最初座っていた椅子によじ登った。
「あの人は、綾とにいちゃんのお友だち。香波の夢の話を相談しようと思って来てもらったんだ」
香波の夢、という単語を千鳥が口にした瞬間、少女はへにゃりと眉を下げる。
泣くか泣くかと一瞬身構えたものの、香波は悲しそうな顔のまま「でも……」と唇を尖らせた。
「話しちゃだめなんだもの」
「……誰かが話しちゃだめだって言ったのか? 看護師さん?」
香波は口を噤んでぶんぶんと首を振る。いつになく頑なな様子だ。ずっとこの調子なのだろう、困った顔になった千鳥は腕を組んで「うーん」と唸った。
綾人は助けを求めて振り返る。
師匠は気が進まないようだったが、小さく溜め息をついて談話室のなかに足を踏み入れると、きゅっと縮こまっている香波のそばにしゃがみ込んだ。
「はじめまして、香波ちゃん。……話したらだめだと言ったのは、『おじちゃん』だね?」
「…………」
「今までずっと、おじちゃんが香波ちゃんの傍にいてくれたんだね」
香波の目が丸くなった。
「……みえるの?」
「ぼくにも視えてる。きみの隣に立ってる」
今度は千鳥が目を丸くして綾人のほうを向くが、こちらは慌てて首を横に振った。綾人に視えていればこんな謎めいた事態にはなっていない。
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