j いつも通りの千鳥でゴザイマス
「おはよう綾っ!!」
「うわああああ!」
べりべりべりぃっと擬音がつきそうなほど勢いよく布団を引っぺがされ、綾人は咄嗟に、一定の視聴者から『プロ』『見事』『さすが絶叫王』と評価されている大声を上げた。
体を起こして、一拍。
自分の部屋ではない、師匠のお化け屋敷でもない、こちゃこちゃとゲームや漫画の溢れ返る千鳥の部屋だった。
「朝だぞ!」
「お……おはようございます……」
そうだ。
首吊り廃墟での一件が落ち着いたあと、師匠はワシダをホテルまで車で送り、そのホテルからだと千鳥の家のほうが近かったので連れて帰ってもらったのだ。なぜか綾人も蹴り落されたので、間宮家に泊めてもらうこととなった。
車に乗りこんだあと気絶にも等しく寝入ってしまったせいで、ここに帰ってきたあとの記憶があまり残っていない。
「…………」
「なんだよ。あ、シャワー浴びる? おれはもう浴びたぞ、おまえ寝すぎな」
「……お借りします」
気まずい。……のだが、気まずいのは綾人だけのようだ。
何やかんやと画策して巽や師匠にも口裏を合わせてもらい誤魔化したわりに、最後は自分で墓穴を掘ってしまった。あれで千鳥が何も勘づいていないとは思えないのだけれど。
じろじろ見てしまったからか、千鳥は片眉を跳ね上げる。
「なーんーだーよ、なんかついてるか?」
「……イイエ。いつも通りの千鳥でゴザイマス」
「当たり前だ。大体、綾は嘘つくのが下手すぎんだよ。なぁにが知り合いの知り合いだよ、慣れた手つきでスリッパ出しちゃってさ、お化け屋敷常連客なの見え見えだったんだけど」
「エッ」
てっきり触れない方向性でいくのかと思っていたのにさらっと突っ込まれた。
「ゲーム実況やめんの?」
クローゼットを開けた千鳥は、ごそごそと服を取り出し、Tシャツを綾人の顔に投げつける。ついでにズボンも。
「ホラゲしてる間やばいのが寄ってくんの? おれ、やめたい綾のこと無理やり付き合わせてた?」
「いや、実況で変なことが起きたことはないし、別にやめる気はない、けど……」
「じゃー今日ついでに撮影な。はよシャワー浴びて。朝メシ作っとくから」
「ハイ」
あまりにいつも通りの千鳥にこっちが戸惑いつつ部屋を出る。静かにドアを閉めて、息を吐き、ずるずるとその場にしゃがみ込んで綾人は頭を抱えた。
友人の態度が変わらなかったことが、嬉しいというより、ほっとした。
「言っとくけどなぁ!」
「ギャアアアいきなり開けんなよ!」
体重をかけていたドアが急に内側に開いたのと千鳥の大声に驚いたのとで思わず悲鳴が上がる。
千鳥は中途半端に開けたドアの脇からちょこっと顔を覗かせていた。
「おれだって綾に秘密にしてることの一つや二つくらいあるんだからな!」
ぱち、と瞬いて綾人は千鳥を見上げる。
「も……、もしかして彼女できたとか?」
いや、違うな。内心そう確信していたが、一番に頭に浮かんだのがこれだったうえ他には思いつかなかったので、綾人は正直に千鳥の反応を待った。
すると彼はがくりと項垂れ、深い深いため息をつく。
「…………おれ、綾人のそういう平和でぼけっとしててどこまでも発想が善人なところ、好きだぞ」
「なんだよ気持ちわるっ……」
蹴り飛ばされた。
千鳥の足の裏がクリーンヒットした背中をさすりながら階段を下りたところで、開けっ放しになっていたリビングの扉から香波の姿が見えた。
ソファに座って日曜朝の女児向けアニメを見ていたようだが、綾人に気づくとぱたぱた駆け寄ってくる。
「おはよう、綾ちゃん」
「香波ちゃん、おはよ。おじさんとおばさんは?」
「ぶかつのしあいがあるんだって」
そういえば中学校の部活動も、秋の地区大会が始まる頃か。相変わらず忙しくしているようだ。
香波の頭を両手でくしゃくしゃに撫で回すと、「きゃー」と可愛らしい声を上げてけたけたと笑う。鳥の巣になった柔らかな髪の毛の間から綾人を見上げる無垢な瞳は、この世の汚濁をまだ知らない。ふと、香波はどんな大人になるのだろうと、不思議な感慨が胸の内に沸いた。
そんな綾人を不思議そうに見上げた少女が、不意に両手を筒のように丸めて口元にあてる。
内緒話の体勢だったので、綾人は膝を折って耳を寄せた。
「あのねぇ」
「うん?」
「おじちゃんがね、『なみのとう』だって言ってたよ」
――なみのとう。
単純に漢字を当てると『波の塔』になるだろうか。それに、香波が「おじちゃん」と呼ぶような相手は誰だろう。はてなを浮かべた綾人にくすくすと高い笑みを漏らしながら、香波はリビングに戻っていった。
ソファに飛び上がり、またテレビに釘付けになる。
「……『波の塔』……?」
はて何のことやら。
こてりと首を傾げた綾人の頭上から、「まだそんなとこにいんのか!?」という千鳥の怒声が降ってきた。
いくら間宮家といえども他人様の家である。慌てて風呂場に飛びこむうち、香波の言葉に対する疑問はすっかりどこかへ忘れられてしまっていた。
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