g あなた、首くくり廃墟に行きました?

「……それで、動画を見せてもらい話を聞いた俺はすっかりビビリ散らかし、今晩の俺の安眠のためにも師匠に一度見てもらおうということで、このような流れに」

「相変わらずだねぇ。妹さんがコックリさんをしたって大騒ぎしてた頃となんにも成長しちゃいない」

「ごめんなさい」

「いいけどさ」


「紗彩ちゃんそんなことしたのか」千鳥がこそっと訊いてきたので、神妙にうなずいて「そういうわけで知り合いになった」と、これは本当のことを答えた。

 ワシダがスマホを取りだして動画を差し出す前に、師匠が先手を打つ。



「あなた、首くくり廃墟に行きました?」



 師匠のことだから、ワシダの隣に揺れる女を視たときから見当はついていたのだろう。


「……その通りです。でも、どうして?」

「それらしい女性が隣にいるので」


 胡散臭いくらい爽やかな微笑みを浮かべた師匠が、白く細い人差し指を伸ばして、ゆっくりとワシダの顔の辺りを指した。

 綾人や巽には、その隣で揺れる爪先が視えている。


「ちょうど首を吊ったような体勢で天井からぶらぶら揺れてます。すいませんけど、さっきから彼女の足が邪魔であなたの顔がよく視えなくて」


 ここに来るまで、ちょっと困ったなぁ程度の反応だったワシダが、初めて顔色を変えて凍りついた。

 千鳥もこくりと喉を鳴らして固まっている。

 震える指先でワシダがスマホを操作して、先程綾人たちにも見せてくれたのと同じ動画のページを開いた。師匠と巽が顔を寄せ合って覗きこみ、綾人が見たのと大体同じものを確認する。

 廃墟のなかを探索するワシダ、屋上に映る人影、「誰かいますか?」という問いに「なぁに」と応えた女性の声、帰路についたワシダの足音に紛れて「ねぇ」と呼びかける声……。

 巽があからさまに「うわぁ」といった表情になった。

 師匠は顔色を変えないままワシダを見やる。


「他の動画にも異変が起きているといいましたね」

「はい。現地で撮影したときも編集中も気づいていなかったんですが、動画を見た視聴者さんから声がするとか映ってるとか、コメント欄で指摘が」

「でもそういうのって実況動画にはありがちですよね。足音や衣擦れが人の声に聞こえたり、光を反射した埃や影が何かの形に見えたり」

「勿論そういう勘違いや聞き間違いのような指摘もありますけど、あれ以降、大体同じ女性の声が入っているんです。『ねぇ』とか『だめよ』とか、こっちに話しかけるような感じで」


 師匠は眉を寄せて、片耳ずつつけていたイヤホンを巽の耳から乱暴に引っこ抜いた。

 耳を押さえて小さく震える巽に目もくれず、両耳に装着しなおすと、勝手にシークバーを弄って動画を再生しはじめる。屋上の人影の場面を何度も巻き戻しては、ワシダの横でぶら下がる女の体を凝視して、訝しげに眉を顰めた。


「……師匠?」

「いや。……その他の動画も見せてもらえますか」


 師匠はそれから時間をかけて、ワシダの動画を確認していった。

 間を見計らって高倉が準備してくれた飲み物を頂きながら、同級生三人組はその様子を見守る。


「……巽にも視えてんの?」


 おもむろに千鳥が零したその声に、なぜか綾人がどきりとした。

 巽は長い前髪の下で綾人を一瞥したが、特に何も言わずに小さくうなずく。


「まあ。……そういう意味での師匠だから」

「そっか」


 千鳥の反応はあっさりとしたものだった。


 言うなら、今なんじゃないのか。

 俺もそうなんだ、ずっと黙っていたけど本当は俺にもそういうものが視えていて、巽と出会って師匠に弟子入りしたんだ。ビビリなのは本当だけど、ワシダをここまで引っ張ってきたのはビビリだけじゃなくて視えていたからで――


「…………」


 綾人は手元に視線を落としたまま口を開きもしなかった。

 そうしているうちに師匠が顔を上げて、イヤホンを外し、スマホごとワシダに返却する。動画の確認が全て終わったらしい。


 その一連の動作を眺めていた綾人は、ローテーブルの下から、またあの女の顔が覗いていることに気がついて息を止めた。


 体はなおもワシダの頭上に揺れている。

 テーブルの際から僅かに覗く鼻梁と両目。影が深くかかって詳細には視えないが、若い女性ではなさそうだ。どちらかというと中年に差しかかったくらいで、整えられていない黒髪が目や頬にかかっている。


 先程のファミレスの時と同じだった。

 顔だけが分離して、動画を眺めていたワシダと師匠を凝視しているのだ。


「確かに動画に入っている声は、彼女のもので間違いなさそうだね。撮影や動画に興味でもあるのかな……」

「誰なんでしょうか、この女性は。俺はどうしたらいいんですか?」


 ワシダは小刻みに左右を見渡しては眉を下げる。女の足が顔にかかって邪魔だと師匠に言われたのを気にしているのだろう。

 それでも取り乱したりせずに落ち着いて見えるのはさすがとしか言いようがなかった。


「誰なんだろうねぇ……」


 頬杖をついた師匠は大胆にも、女の顔を覗きこむ。

 彼女の両目がぎょろりと動いて師匠を見つめ返した。微動だにしない一人と頭が、無感動にただ視線を交わし合う。

「ししょぉぉ……」まるで道端に潰れた毛虫の死骸を見つけたような嫌悪感を滲ませて巽が呼ぶと、彼は「ふむ」と鼻を鳴らした。


「危害を加えるタイプではないみたいだ。何がしたいのかよくわからないな」

「だからっておもむろに見つめ合わんでください……」

「仕方ないねぇ。秋津くんの今晩の安眠のために、現地へ行ってみるしかないか」


 それは明らかに安眠からは遠ざかっていないか?

 思ったが、ワシダは「ぜひお願いします」とうなずいてしまったので、綾人の反論は喉の奥に消えた。

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