f 本当のことですから


「先代が存命のときはご近所付き合いがてら企画に貸し出していたそうですよ。きっと白い着物の女性はお嬢さまのことでしょう、寝るときは浴衣をお召しでしたから。その格好で自動販売機に飲み物を買いに行くものだからそんな噂になったんですね」

「おお……本当に人がお住まいのお宅だったんですね。心霊スポットなんて言ってすみません」


 ぺこ、と頭を下げたワシダに高倉は笑った。


「いいえ。本当のことですから」


 言わずもがな、本当のこととは「心霊スポットと言われていること」ではなく「ここがお化け屋敷であること」なのだが、そんなことワシダたちには知る由もない。


「ちなみに二階のお部屋から人影が見下ろしているというお話ですが、窓際に置いてある荷物がそう見えるようです。先代の遺言で、面白いからそのままに、と」


 高倉が呼び鈴に手を伸ばす。――どこまで本当なんだか。

 門から遠い屋敷のなかで、りんごーん、と鈍い音が響いた。

「はい」と応答したのは師匠ではなく、もちろん幽霊メイドの玉緒でもなく、綾人の兄弟子の巽大雅の声だった。


「巽くん、ご案内をお願いします」

「了解っす」

「巽くんが迎えに来ますから少し待っていてくださいね。私は車を戻してから参ります」


 高倉が車を出してすぐ、ざかざかと庭の砂利を蹴りながら巽が姿を現した。

 綾人たちには「よう」と目をやり、ワシダを見るとぎゅっと眉根を寄せて嫌そうな顔になったが「こんばんは」と礼儀正しく頭を下げる。

 一八〇センチは軽く超える長身で、派手な金髪に仏頂面だが、ワシダはそんな巽に臆した様子もなかった。

 ただ、巽が例の女を視てぎょっとした仕草には何か感じたらしい。


「……俺もしかして嫌われてる?」

「いやそんなことないです、あれが通常です……」


 スミマセンとなんとなく謝って、綾人は先を行く巽の横に並んだ。

 千鳥とワシダは「ほー」「へー」と似たり寄ったりな歓声を上げながらお化け屋敷を観察していた。

 この二人、なんだか反応が同じノリだ。だからネットでも気が合ったのかもしれない。


「……どういうことになってんだ」

「ごめん、マジでごめん。巽の知り合いに視てもらうって言ってある。師匠とは初対面ではないけど弟子じゃなくて、俺は視えてないただのビビリの設定でよろしく……」

「お前、視えてることも間宮に言ってねぇんだな。意外だ」


 勝手に巻き込んだというのに、巽は特に怒っていないようだった。


「巽だって、何もなけりゃ周りの人にわざわざ『俺視えるんだー』なんて言わないだろ」

「確かにな。……じゃあお前ほんとにずっと一人でやってきてたんか。それはそれですげぇわ」

「巽だってそうなんじゃないの?」

「俺はわりとすぐ姉御に会ったし、親戚にそういう人もいたからな……」

「へえ」


 彼の家族の話を聞くのは初めてのような気がする。新鮮な気持ちで相槌を打ったところで、巽が扉を開けた。

 この屋敷自体は古い西洋館の造りをしているが、師匠の祖父君が購入した時点で、日本人向けにいくらか改装したらしい。玄関には靴脱ぎ場があって、綾人たちは自宅と同じように靴を脱いで屋敷に上がる。


「あ、靴脱ぐんだな」

「住んでるのは日本人だからな」


 巽と千鳥のやりとりの横で、綾人はワシダにスリッパを出してやった。


 一階ロビーは吹き抜けになっており、玄関を入って正面にはリビング(正式にはサロンと言うらしいが)と食堂それぞれにつながる扉がある。リビング側にはトイレとシャワールームへ至る廊下、食堂側には二階へと向かう階段。右手側にはティールームがあり、ここからは見えないが、その奥にキッチンがある。いつもの書斎は左手側すぐの扉だ。

 吹き抜け部分から見える二階の廊下にはいくつもの扉があるが、そのうちのどれが何の部屋なのか、綾人は知らない。用事がないことと、師匠の私室があるプライベートな領域であるため、二階には立ち入らないようにしているからだ。

 壁には品よく絵画などが掛かっていて、階段や廊下の手すり、さらには扉に至るまでこってりとした木彫りの装飾が施されている。


「なんか、軽井沢の別荘ってこんなイメージだなぁ、おれ」

「鳥取かどこかの迎賓館にも似てると思うよ……」


 ぽかんと口を開けて屋敷内を見渡す千鳥とワシダの反応に、綾人も自分が初めてこの屋敷を訪れたときのことを思い出した。

 当時の綾人も彼らのように、目を丸くして巽のあとをついて回ったものだ。


 すっかり慣れてしまった綾人は書斎の扉を開く。

 扉より右側には書棚が迷路のように並ぶ蔵書スペースで、書架に追いやられるようにして窓際に置かれた応接セットに師匠が待っていた。


 ソファに深く凭れて足を組む着物姿の師は、ワシダを視てふっと笑う。


「成る程ね。秋津くんが血相変えて泣きついてきたわけだ」

「……すみません」

「入りなさい」


 命令形なのは弟子二人に向かってだ。綾人はワシダと千鳥をソファに案内して、自分は千鳥の横に立った。巽は師匠の隣に静かに座る。

 綾人はまず師匠を示した。


「こちら、巽の知り合いの……古瀬さんです」


 師匠の苗字が古瀬かどうかなんて知らない。とりあえず名刺には『古瀬義人』と書いてあるからそう呼んでおいたが、多分これは偽名だ。


 嘘をついている。

 初対面のワシダにも、友人にも。

 罪悪感でちくちく胃が痛み始める。


「ええと、心霊スポットとかそういうのに造詣が深く、俺や巽は師匠と呼んでおります」

「こんばんは。……そちらがチドリクン? 秋津くんと巽からよく名前を聞くよ」

「どうも、はじめまして。間宮千鳥です」


 師匠がすんなり話を合わせてくれたのに乗っかって、次にワシダを指す。


「こちらがワシダさんというかたで、実況肝試し動画を投稿されてます。この間撮影しに行ったところでちょっと変なものが映ってしまって、その後の動画にも異変が起きているとかで……」


 師匠の左目がワシダを射抜いた。

 彼の額の横に揺れる女の爪先を視る。視線が徐々に上がっていき、女の首より上がぽかりと消失している辺りで目を細めると、何やら愉快そうに口角を釣り上げた。

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