c 『屋上で女が首を吊ってる』
初対面の年上男性を相手に「あんた、首吊り自殺した女性に憶えはありませんか」なんて言えない綾人は、視界にぶらつく足を極力注視しないことに全力を注ぎながら、ワシダと仲良く打ち解ける千鳥の斜め後ろをついて歩いた。
大学生二人は未成年だし、ワシダもこのあと予定があるというので、居酒屋ではなく手軽なファミレスに入店する。
「二人とも大学一年生だっけ?」
「そうですよー。ワシダさんは普段なにやってるんです?」
「俺ねライブハウスで働いてる」
彼の顔をじっくり見ようとすると、どうしてもその横の足が邪魔をする。
パーマのかかった黒髪には所どころ赤いメッシュが入って、両耳にはフープピアス、加えて顎鬚といかにも軽薄そうな外見だが、声のトーンや仕草が落ち着いているためそこまでチャラついた印象はない。
ライブハウスで働いているというこの男性が、実況肝試しというワードに結びつくのがなんだか意外だった。
「もう撮影は終わったんですか?」
「昨日はうぐいす旅館と矢上市の廃屋に行ってきたよ。今日はこのあと八束トンネルに行こうと思ってるんだよね」
「へええ。確かに八束トンネルは有名ですもんね」
「げふっ」
話の進行を千鳥に任せていたら、綾人もよく知る場所が挙がって噎せた。
――八束トンネル。
鹿嶋市東部を覆う八束山の中腹にあるトンネルで、市内屈指の心霊スポットであると同時に、師匠のお気に入り且つ綾人と巽のトラウマスポットである。
「綾ちゃん大丈夫!?」
「す、すみません大丈夫です、あとその綾ちゃんてのやめてください……」
「ごめんごめん。だって妹ちゃんがいつも『綾ちゃん』って呼ぶからさ」
香波のことだ。
二人で動画を撮影している最中に香波が闖入してしまうのがパターンの一つになってしまっており、彼女が『綾ちゃん』と呼ぶことから定着した呼び名だった。コメント欄でよく『綾ちゃん』と呼ばれていることは綾人も承知している。
げふげふ咳き込みつつも、話が心霊スポットの件に移ったのは幸いだった。
「あのう俺、申し訳ないんですけど怖いのが苦手でして……」
自分でもよく言うよと思わないでもないのだが、実際苦手なので致し方ない。
ワシダはうなずいた。
「うん、知ってるよ、実況観てるもん。見事なくらいビビリ散らかしてるよね」
「実況肝試しの動画も観たことないんですけど、そういうところを色々回っていて、変なことが起きたりしないんですか?」
――具体的にはですね、あなたの頭上に女性がぶら下がってるんですけど、そこんとこ心当たりなどは。
綾人の心の声など知る由もないワシダは、「うーん」と腕を組んで唸る。
「俺は別に霊感があるわけじゃないんだよね。実況肝試しやってるのもさ、最初に酒を飲んだテンションで友だちとやって投稿したのが意外にウケちゃって、そのままなんとなく俺だけ続けてるって感じだし。だから、撮影してて明らかに何か視たぞって事態にはまだなってないかな」
「へー。でもたまにコメントで何分何秒に声が入ってるとか、ありますよね?」
千鳥はある程度の動画を視聴しているらしい。
「うん、不思議だよね。でもそれも『そう言われてみればそんな気がするなぁ』程度だからさ」
「へえ……そういうものなんですね」
「ああでもそういえば、この間からちょっと変だなって思うことはあるよ」
本当に「そういえば」の範疇らしい、ワシダは首を傾げてスマホを取りだした。
これが視えていないとは羨ましい。――こっそり羨みつつ、ワシダが指先で画面を操作していくのを目で追う。
「前回こっちで撮影した時の動画で、いつもより『映ってる』ってコメントが多かったものがあるんだよね。俺には何かの影にしか見えなかったけど。……そのあとからかな、女の人の声みたいなのがけっこう動画に入るようになっちゃって」
「えええ。ついてきてるんじゃないですか?」
さすがに目を丸くした千鳥と、眉間に皺を寄せた綾人に見えるよう、ワシダのスマホが差し出された。
動画タイトルは『【実況肝試し】首くくり廃墟』。
「首くくり……」
「ここから近いところにある廃墟だよ。屋上で首を吊っている遺体が見つかったっていう場所」
ワシダは丁寧にイヤホンを差して、千鳥と綾人に片耳ずつ渡してくれた。
再生ボタンをタップすると、真夜中の商店街のなかをゆっくりと歩いていく場面から動画がはじまった。オルゴール調のBGMが流れて、『実況肝試しpart.23 首吊り廃墟』と明朝体のタイトルが画面中央に浮かぶ。
『時刻は午前二時です。商店街のお店もほとんど閉まってます。今日は繁華街のど真ん中にある首くくり廃墟に行ってこようと思います』
低くひそめられたワシダの声と、足音。
そのままカメラは商店街を外れると、明かりのない路地に進入する。そこから少し進んだところで立ち止まり、傍にあった廃墟を舐めるように見上げた。
『観光地の近くだし、知ってる人も多いんじゃないかなぁ……』
ワシダの持つ懐中電灯が外観を照らす。師匠の百均の安物とは違って、白くて明るいLEDライトのようだ。羨ましい。……じゃなくて。
朽ちた壁、窓、そして屋上。建物上部は崩れ落ちているのか、鉄骨が剥き出しになっていた。
一旦カットされたのち、ワシダは廃墟のなかを探索しはじめる。
『昔は飲食店なんかが入っていた雑居ビルだったみたいだけど、火事があって廃墟になっちゃったんですよね。その後、何人かがここの屋上で首を吊って亡くなっているということですけど』
最初のうちは特に異変はみられなかった。ただ深い闇のなかを行くワシダの度胸を称讃するようなコメントがちらほらと流れる。
懐中電灯の光をも吸収する純粋な闇。
建物のなかは荒れ果てていた。綾人はほんの少し、六月ごろに行った廃ホテルの静謐な夜を思い出した。
四階建てのようだが、三階からは半ば崩壊してしまっている。僅かに照らされた床や鉄骨が黒く煤けているので、火事で焼けた跡だろう。四階になるとほとんど吹き抜け状態だった。
抜け落ちた天井から、屋上部分の鉄柵と、眠らない街に相応しく星のない夜空が覗く。
ここに至るとコメント欄がざわつきはじめた。
『屋上で女が首を吊ってる』
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