その九、首吊り女は波の塔

a 完全にブーメラン

 秋津綾人には間宮千鳥という相方がいる。

 中学校の教員として働く両親に代わり家事のほとんどを一手に担うほか、体の弱い妹の世話までこなし、それでいて屈折したところがない光属性のスーパー男子大学生だ。綾人の交友関係のなかでは間違いなく一番親しい間柄にある。

 彼と始めたゲーム実況は二年半になり、固定の視聴者もついて、楽しく続けられる趣味になってきた。ちなみに共同のツイッターアカウントもあるが、宣伝に関しては千鳥に一任している。下手なことを喋って炎上するのが怖いからだ。


 夏休みが終わり、大学も後期が始まった。

 いつまで続くのかとうんざりしそうな残暑のなか、綾人は間宮家を訪ね、様々な幽霊の襲い来る夜の学校からの脱出を試みているところである。

 師匠に弟子入りしてからというもの、解説つきで何度もホラー映画を観させられてきた。ホラー映画が人を怖がらせるうえでの決まり事や様式美なども教わってきた。ゲームだって理論は同じはずなのに、綾人は今日も盛大にビビリ散らかしてギャーギャー喚いている。

 キャラデザが抜群にいいと評判の美少女主人公が中ボスの幽霊を退治したところで、コントローラーを握っていた千鳥は録画時間をちらっと確認した。


「よーし、じゃあ今日はここまで! 綾メシ食ってく?」

「俺なんでホラー苦手なのにホラゲ実況やってんのかな……?」

「もしもーし、綾くーん」

「っかしぃなぁぁそろそろ慣れてもよさそうなのになぁぁ」


 ディスプレイの前で頭を抱えてぶつぶつ呟いていたら「こら、ちゃんとマイクに向かって喋れ」と叩かれる。

 まだ録画切ってなかったのかよと顔を上げると、そのタイミングでちょうど画面が落とされたところだった。


「今日の晩飯は冷やし中華だぞー。作ってる間に香波の宿題、見てやってくれ」

「りょーかい……。ごちになります」

「苦しゅうない。ついでに洗濯物も畳んでくれると有難い」

「いいけどお前おばさんと香波ちゃんの下着だけは入念にチェックして外してくれよマジで」


「だーいじょうぶだって」と笑いながらパソコンをいじっている千鳥だが、前科があるので信用できない。

 以前にも似たような状況で洗濯物を頼まれ、「母さんと香波のは抜いたから大丈夫」という言葉を疑わずにいたら、タオルの間からブラジャーが転がり落ちてきたのだ。

 あれ以上に困った経験はまだない。

 居た堪れなすぎて泣きそうだった、高校二年の夏……。


「――そういや綾、ワシダさんってわかるか? ツイッターでよく絡んでくれる人なんだけど」

「わしだ……わかる。動画は見たことないけど」

「実況肝試しだからなー、綾が一番だめなやつだよな」


 ……だめどころか自分で突撃すること多々なのだが、綾人は「ハハハ」と笑った。

 やったあとで、これ師匠の笑い方だ、と気づいてなんともいえない気持ちになる。


 綾人は自分の見鬼のことも弟子入りのことも千鳥に話していない。

『視える同士』だからこそ関わるようになった巽のことも、偶然知り合ったということになっている。

 話したところで今更千鳥から距離を取られるとは思っていないし、きっとなんでもないような顔して「へー!」で済ませてくれるはずだ、そういうタイプの善人だとわかっている。


 それでも言えないままなのは、千鳥と知り合った当時の綾人はかなり頑なに視えることを隠していたこと、その流れでなんとなくタイミングを逃していること、逃しまくった末に弟子入りしたので今更言えない……という負のスパイラルのせいだった。


「ワシダさん、いま実況撮るので関西回ってんだって。よかったら会って飯でもって言われてんだけど、綾どう?」


 綾人たちはゲーム実況一本だが、動画サイト界隈には勿論、実況にも色々なジャンルがある。

 ドライブ、料理、キャンプ、DIYなどにはじまり、肝試しを実況するというなんとも罰当たりなものもあるらしい。――おかしいな、今、完全にブーメランだった気がする。


「俺はバイト午前だし、いつでもいーよ。千鳥の都合いい時にしたら」

「ありがと。じゃあ連絡しとくな! また日にち決まったら言うから」


 片づけを終えた千鳥の後ろについてリビングへ下りると、香波が振り返ってにこっと笑った。

 リビングのテーブルに宿題を広げていた彼女の隣に腰を下ろし、小学二年生のドリルを覗き込む。


「香波ちゃん、宿題進んでる?」

「うん」


 香波がうなずくと、子ども特有の柔らかい髪の毛がふんわり揺れた。

 小さな頃から熱を出しやすく、学校も欠席しがちな香波は、他の多くの小学生に比べるとやや大人しくて口数も少ない。人見知りのきらいがあって心配だと千鳥が零したことがあるが、頻繁に間宮家に出入りする綾人のことは『兄その二』のような存在に格上げしてもらえている。


「綾ちゃん、今日はごはん一緒に食べるの?」

「うん。千鳥が冷やし中華食べてけって言ってくれたから」


 声を上げて喜ぶこともあまりないけれど、にこ、と笑顔が輝くのを見るとこっちまで嬉しくなる。

 秋津家の弟妹が可愛くないとは言わないが、こんなに真っすぐで朗らかな妹に慕われている千鳥がちょっと羨ましい。


「わかんないとこある?」

「だいじょうぶー」


 鉛筆を握り直した香波の横顔を見下ろした。

 日焼けしていないすべらかな額からなだらかな曲線を描いて、つきたて丸めたてのお餅のような頬へと続く。

 うーん、子どものほっぺたってなんでこんなにもちもちなんだろう。

 口に出したり行動に移したりしたら完全に不審者なので心の中で感心するだけにしておいたが、綾人にもし年の離れた小さな弟妹がいたら遠慮なくつつきまわしているに違いない。あるいは、いつか結婚して子どもができたなら、嫌がられるくらい構い倒してしまいそうだ。


 ぼけっと香波を見守る綾人の頭上で、千鳥が取り込んできた洗濯物を引っくり返した。


「ぎゃーっ、なにすんだよ!」

「ほんじゃ洗濯物よろしくな、おにーちゃん」

「こんなデカい弟いるかっ」


 千鳥のTシャツを丸めて投げつける。きょろきょろしながら一連を見守っていたちいさな妹は、頭にTシャツをひっかけたままキッチンへ向かう実兄を見てきゃらきゃらと笑った。


「よろしくな、おにーちゃんっ」


 兄貴の真似して綾人の服を引っ張られてしまう。

 ちょっと悪くないかも、と思ってしまった。……我ながらちょろすぎる。

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