f 師匠が帰ってこない

「秋津くん、突然すみません。坊ちゃんと連絡が取れないのですが、何かご存じありませんか?」


 高倉からそんな電話がかかってきたのは、綾人たちが水田の相談を受けた二日後のことだった。


 もしかしたら今日にでも師匠から召集がかかるのではないかと考えていたのだが、アルバイトの帰り道に高倉からの不在着信に折り返すと、師匠の行方不明を告げられたのだ。

 姉御を家まで送り届けた高倉が屋敷に帰着したあと、「ちょっと出てくる」とマークXで出発してからの消息が途絶えているという。


 バイト先から直接お化け屋敷に向かうと、三人はすでに書斎に集まっていた。


「連絡ないんですか? ラインも電話も?」

「返信はありません。電話もだめです、電源が入っていないか電波が届かないと」

「姉御にも連絡がないんですか?」

「あの日の夜に電話をもらって、色々教えてもらったのが最後。中身が気になるからちょっと離れたところで開封するって……。終わったらすぐに連絡してって約束したのに、全然電話がつながらなくて」


 師匠は、どこで開けるつもりなのか、誰にも言わずに行ってしまったらしい。――それでは捜しようがない。

 綾人はソファに深く腰掛けて両手を組んだ。

 師匠の口ぶりや軽装備からして、とんでもなく遠方に出る予定があったとは思えない。関西近県でひと気のないところを選んだだろうと思い込んでいたが、違ったのか。


「確かに坊ちゃんは子どもの頃からお父さまと衝突しちゃぁ家出してました。その最終形態が中学三年生の頃の大騒動になります。大げんかの末財布一つで東京を飛び出し、このお屋敷に住んでいた先代とお嬢さまのもとへ駆け込み、結局そのまま転校して高校もこちらで進学したんですね。坊ちゃんが一人で姿を消すことも、殊更珍しいことではないのですが――」


 黒いサングラスの上で困ったように眉を下げ、高倉は深いため息をついた。


「フルカちゃんが傍についてくれるようになってからは、三日連絡が途絶えたことなんてなかったんです。あの人はこの子の兄のような気分でもいるので、フルカちゃんのもとに戻ってこようという気でいたはずですから」

「しぃちゃん、面倒見はいいからねぇ。手のかかるのが一人や二人や三人いれば、しょうがないから帰ってやるか、って気になるみたいなの」


 一人で自分を、二人で巽、三人で綾人を指さした姉御は、頬に手を当てて憂い気な表情になる。

 わりと問答無用で連れ回された記憶ばかりが蘇るが、姉御の言うことにも一理あるはず……ある気がする……あると思う。心霊スポットで物陰に隠れて脅かそうとされたり、怪異の起きる夜の大学校舎にパシられたりしたし、巽は危うく妖怪に首を折られるところだったり、浅学非才と莫迦にされつつ向かった踏切でえらい目に遭ったり、色々あったけれども。

 あ、深く考えたらだめな気がしてきた。


「……師匠はどこに行ったんだ……?」


 自問するような巽のつぶやきに、綾人は頬杖をつく。


「一つ、すぐ行って帰れる範囲のどこかで開封したあと寄り道をしている。一つ、すぐ行って帰れる範囲のどこかで開封する際に何かが起きた。一つ、俺たちの思っているよりずっと遠いどこかにお出かけしている。考えられるのはこれくらいかなぁ」

「……遠いどこかってどこだよ」

「電波が通じないってくらいだし、……富士の樹海とか?」

「縁起でもねぇこと言ってんじゃねえよ!」


 視界に火花が散った。隣で悄然と項垂れていた金髪元ヤンに平手で額を叩かれたのだ。

 拳じゃないだけましだと思いたいところだが、高校時代ケンカ負けなしのスーパーヤンキーだった経歴を持つ兄弟子のパワーは尋常ではないほど強い。綾人は頭を抱えて蹲って数分ほど悶絶するはめになった。

「巽くん」と、ひんやりした声を上げたのは姉御だ。


「気持ちはわかるけど、可能性は可能性として否定するべきではないわ」


 巽が閉口する。

 姉御は承知でいるのだ。

 いつか突然、師匠が帰ってこなくなるかもしれないことを。死神に血筋を呪われた彼と一緒にいるのなら、その覚悟は常にしておかなければならない。


「……とはいっても、贋物だと判断したものをそんな大層な場所で開けないんじゃないかしら。それとも口では贋物だと言っておきながら、実は本物の可能性があったとか?」

「坊ちゃんは振って音がしたから中を開けると言い出したんですよね。相談者は臭いがきついからとビニール袋に入れてきた。もしかすると、さすがに言い伝え通りの内容ではないにしろ、何かの死骸が入っている可能性は考えたかもしれません」

「そうすると蠱毒かもしれないね。それなら青木ヶ原樹海なんかに行ってもおかしくないか……」

「ですが、あそこはある程度までなら電波も通じますよ。余程奥まで行かない限り」

「奥まで行く必要があればしぃちゃんなら迷わず行くでしょう」


 何やら姉御と高倉の推測がどんどん物騒な方へ向かっていっているような。

 額の痛みから復活して体を起こした綾人は、冷酷に見えるほど淡々と可能性を列挙する二人を空恐ろしい気持ちで交互に見やった。

 話の方向性に死の匂いが漂い始めている。


 ――「遺体が見つかるのも、見つからないのも、どっちも辛い」……。


 行ったこともない想像上の樹海に師匠の後ろ姿が紛れ込み、木々の間に消えていく――そんな、本当に縁起でもないイメージを振り払うように、綾人は勢いよく立ち上がった。


「……アイス! 食べましょう!! この間持ってきたけど結局食べなかったやつ!!」


 姉御がぱちぱちと瞬きをしながら綾人を見上げる。


「秋津くん……」

「富士の樹海って最初に言い出したのは確かに俺ですけどっ、そんな、悪い方に考えるのやめましょ! あの箱だって、俺たち四人で視ても全然悪い感じがしなかったんだからやっぱり贋物だったと思う。電話がつながらないのも、きっと途中で充電が切れたとかそんなオチですよ。俺アイス取ってきます!」

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