e 石ころか何かだといいね

「師匠、それ、その中……からから音がしてるのって……」

「石ころか何か。――だといいねぇ」

「圧倒的願望!!」

「落ち着きなさいよ。箱の見た目からしてそんなに古くない。このご時世に子どもの指を何本も集められるわけがないだろう。せいぜい動物の骨とか虫の死骸とかだよ」

「それもそれで嫌ですけど……」


 呆れたようにふんと笑った師匠はしかし、突然口を閉ざすと、手のなかの箱をもう一度振った。やはり軽い音がしている。土の中に埋まっていたわけだから、実際は石の可能性が高いはずだが……。

 何にせよ自宅に正体不明の呪詛もどきが埋まっていた水田の顔色は悪い。

 家族がいままで平気だったからといって、このまま放っておいても無害とは限らないのだ。


「俺、どうしたらいいんでしょう。……神社とかお寺に持って行ったほうが?」

「それでもいいけどね。特に力ある何かというわけでもなさそうだし、庭で燃やす程度でも構わないかもしれないけど……」


 師匠曰く、火よりも強い呪いなどない――だそうだ。

 お祓いだの除霊だのをある程度は認めつつも懐疑的な師ではあるが、何ものも、炎による浄化には勝てないらしい。例えば心霊現象の起きる物件があったとして、どうにもならないなら最終的に焼き払うのが一番いいとさえ主張してしまうほど。

 つまり炎は素人にも可能で、手っ取り早く、最も強い浄化法なのだ。


「今回はぼくのほうで預かろう」


 弟子二人は天を仰いだ。

 こういうことを言いだす師匠が具体策を持っていたことなど一度もない。また何も考えずに安請け合いしたに違いなかった。

 前回の手鏡のごとく死神に喰わせるつもりだとしても、あれが次に来るのは十一月頃になるという話だったはずだ。まさかその間中ずっと姉御をこの屋敷から遠ざけておくわけにもいくまい。そもそもあの邪悪の塊は、特に力ある何かというわけでもない不気味な小箱だけで満足するのか。


「ホラこの箱を開けてごらん、二人で」とか言われたらどうしよう。

 可及的速やかにこの屋敷を辞去する言い訳を頭のなかで巡らせていると、水田がずばり「どうするつもりですか?」と訊ねていた。


「開けてみようかと思ってね」

「「やっぱり……」」


 ぼそっとつぶやいた声が巽と重なる。

 手っ取り早く隣にいた綾人の額を扇子でベシッと叩いて(痛い)、師匠は口角を釣り上げ意地悪な笑みを浮かべた。


「中身を見ればはっきりするだろ?」




「中身を見ればはっきりするとかいう問題じゃなくないか?」


「諦めろ」自転車を押して歩く綾人の横で巽は遠い目になった。「師匠はああいう人だ……」


 あれから、姉御を家まで送り届けた高倉から特に異変がなかったと報告を受けると、師匠は水田に祖父の交友関係を調べておくよう言いつけて解放した。水田はすっかり師匠に恐れを抱いてしまったようで辞去の際はやたらと腰が低かったが、箱が手元から去ったことにはほっとしたのか、蒼褪めた表情のなかにも安堵が浮かんでいたように思える。


 師は本気で箱を開けるつもりらしい。

 よくよく聞けばゴホウとは『五封』であるらしいというから、封印してあるものを開けるのはよくないのではと一応進言してみたが、「嫌なら自分で開けてみる?」と超弩級に乱暴な理論で黙らされた。

 念のため遠出してどこか山のなかで開封するという。にやにや笑いながらお出かけの支度を始めた師匠に呆れ果て、弟子二人も屋敷をあとにした。


「師匠はああいうのが好きなんだ」

「ああいうのというのは、呪いのアイテム的なあれ?」

「そうだ。あのお化け屋敷の二階の物置にはそういう物騒なアイテムがわんさか保管されているらしい。さすがに見たことはないが、高倉さんが『あの蒐集癖だけは勘弁してほしい』ってぼやいとった」

「これから先、俺は何があっても二階には行かないぞ……」


 そんな決意をひっそりと固めたところで、綾人と巽は別れた。

 遠出して処分といっても、精々出掛けるとしたら関西のうちのどこかだろう。これから出発して、いくら遅くとも明日の夜には帰ってきているに違いない。

 明後日あたりに屋敷に集合して、ことの次第を聴くことになるだろうか。


 自転車のサドルに跨った綾人は、鋭く肌を刺す斜陽の沈みゆく街の際をぼんやりと眺めた。

 東京も鹿嶋もたいして変わらないと微笑った師匠。遺体が見つかるのも見つからないのもどっちも辛いとまつげを伏せた、薄ら寒い横顔。

 彼は、高倉は、姉御は、一度も『師匠の師匠は死んだ』と口にしてはいなかった。


 ――少しずつだいじょうぶになってきているんでしょう――彼女のものには手をつけたくないみたいだったから――年中反抗期のシスコン――

 山間の廃屋に辿りついて「こんなもんか」と零した、寂しそうな……。


「……暑いな」


 ペダルに足を引っ掛けて住宅街のなかを滑り出すと、残暑に茹だる生ぬるい風が頬を撫でた。八月も後半に入っているというのにまるで夏真っ盛りのような気合いの入った、攻撃的な暑さだ。


 師匠のほうが年上なのに、時折あの人がちらつかせる厭世的な翳を見ては、ほうっておけないと感じている自分がいる。

 彼の周りにいる人はもしかしたらみんなそうなのかもしれないな。本人に言えば、きっと嫌そうに顔を歪めるだろうけれど。

 その様子がしっかりばっちり鮮明に想像できてしまって、綾人はちいさく苦笑した。



 ――そして、翌日。

 師匠はあの洋館に帰ってこなかった。

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