c 有名な現代怪異
「……水田さん」
「は、はい」
「一応訊いておくけど、あなた、これが何だか見当がついているんだね? だから今日うちに持ってきた、そうだね」
「えっと……はい、もしかしたらそうなんじゃないかと思って、でも――」
答えるや否や、師匠は腕を伸ばして水田の胸倉を掴み上げた。
「ししししし師匠っ!?」綾人は慌てて師匠を押さえにかかる。師匠が人間に対してここまで激しく反応するのは初めてのことだった。
鼻先が触れそうなほどの距離で顔を止めると、師匠は水田を静かに睨む。
「いいか。この箱のせいで古瀬が死ぬようなことがあれば、おまえの肉親を五親等まで残らず呪い殺すからな……」
「ウワアァァァ! 具体的におっかないこと言わないで師匠!!」
暴力よりよほど恐ろしい殺害予告をしている師にガタガタ震えながら、薄い体に両腕を回して水田から引っぺがした。
呪い殺すなんて綾人や巽が口にしたら笑ってしまいそうだが師匠が言うと洒落にならない。できてもおかしくない。
即座にすんっと怒気――もはや殺気の域だった――を引っ込めた師匠はソファに座り直すと、偉そうに足を組む。不機嫌絶好調のご様子だが、木箱ごと水田を放り出せとは言われなかったので、弟子二人はおずおずと腰を落ち着かせた。
「……まあ冗談はこれくらいにして」
絶対冗談じゃなかった。あの目はマジで呪い殺す目だった。
綾人の怖いものリスト上位に『姉御関連でキレた師匠』が堂々ランクインする程度には怖かった。
「詳しい事情を聞かせてもらおうか。これが庭から出てきたって?」
「あっ、はい……すいません……」
可哀想にすっかり怯えてしまっている水田は、巽の横で窮屈そうに身を縮めた。
「……この箱は、四、五年ほど前に祖父が知り合いからもらってきたものなんです。当時、祖母が病気をしていたので、そのお守りのようなものだと。祖父は『護法』だと呼んで、自宅の庭の隅っこに埋めていました」
「どういう知り合いから? おじいさんは信心深いほうだったのかな」
「いえ、普通です。おかしな宗教に傾倒したこともないです。うちは真言宗ですけど、寺との付き合いもそこそこですし。……ただ知人だとしか言わなかったので、誰からもらったのか、詳しいことは家族の誰も知りませんでした。祖母は二年前に他界して、祖父もそのすぐあとに事故で」
「成る程ね」師匠は冴え冴えとした声音で相槌を打つ。
「……祖父母が亡くなってから、みんなすっかりこの箱のことなんて忘れていたんです。ですけどこの間、俺、その……都市伝説系の掲示板やまとめサイトにちょっとはまって」
「そしてこの箱を思い出したと」
「そうです。形状もちょっと似ていたし、何より『護法』というのが気になって。それで先日、兄と一緒に掘り出してみて、ああこれはやっぱりということで……どうしようか悩んでいたら、巽くんが声をかけてくれたので」
今日この屋敷を訪れて、師匠を大激怒させ脅迫されたということだ。
連れてきておいて巽も詳しいことは知らなかったらしく、水田と師匠の訳ありげなやり取りを聞いて首を傾げている。例によって浅学な綾人もさっぱりであった。
師匠は柳眉を顰めて険しい表情を崩さない。
彼がここまで警戒しているということはかなり危険な代物なのかもしれないが、如何せん綾人の目にはただの箱に見えるし、五感のいずれも異変を察知していなかった。身構えようにも危機感が湧かないのだ。
ハズレの心霊スポットみたいな感覚だ。
心霊スポットなんて言われてはいるけれど、彼岸のものの気配はさっぱりで、でも夜中で暗いからわけもなく怖いような感じがする。――それと似たような気配がする。
「家族構成は?」
「八重野には父、母、兄、と俺です。あと猫が二匹。姉が三年前に家を出て神奈川にいます」
「お母さんとお姉さんは元気なんだね」
「はい、二人とも元気です。姉は半年前に長男を里帰りで出産しています。だからその、見た目を似せただけの別物なのかも、とも思っていまして……」
「…………」
細く、長く、師匠は息を吐きだした。
ようやくその目から刃のような鈍い光が消えて、張り詰めていた糸が緩んでいく。弟子二人が目を白黒させていることに気づいて、やや莫迦にしたような笑みを浮かべる余裕もできたようだ。
「有名な現代怪異に『コトリバコ』というものがあってね」
「小鳥箱?」
「言っておくけど小鳥の箱じゃないよ。片仮名でコトリバコ。或いは子を取る箱で『子取り箱』」
「子を取る……なんか物騒ですね」
パチン。
師匠の右手にはいつの間にか扇子が握られていた。
長々しく蘊蓄を披露するときの師匠の手遊びだ。漆塗りの親骨を音もなく開いては、ぱち、と閉じる。
「発祥は二〇〇五年の2ちゃんねるオカルト板。投稿者の実体験として書き込まれたあと、情報収集や仮説を持ち寄った専用版まで立てられた、まあ界隈では伝説といってもいいくらいの怪談だね。その投稿者の話を中心に、あとから付け足されたりした情報をまとめてみると――」
綾人はテーブルの上の小さな小箱に目をやった。
伝説に近い代物と言われてじっくり見てみると、確かにそこはかとなく陰気なような感じがしてくる。木の表面の黒さも、何かの滲みのように見えなくもない。
「一八六〇年代後半から八〇年代頃、被差別部落に現れた一人の男によって伝えられた呪詛だという。複雑に組み合わさった木の箱を作り、その中身を雌の家畜の血で満たして一週間置く。血が乾ききらないうちに間引いた子どもの体の一部を入れて蓋をする。子どもの年齢によって決まりがあって、へその緒とか、人差し指の先とかね。最大で八人までといわれている」
「うわぁ。それで『子取り箱』なんですね……」
「だろうね。――このとき犠牲になった子どもの数で箱の名前が決まる。一人ならイッポウ、二人ならニホウ。扨て、五人になったらなんと呼ぶ?」
ぞ、と音を立てて足の先から血の気が引いた。
水田の祖父はこの箱を『護法』と呼んで庭に埋めた。
「ゴホウ……?」
「そう」
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