b なんか、パズルみたいですね


 それから少ししてやってきた姉御が読書をはじめると、くらげは体を起こして師匠になった。

 三時を過ぎた頃に巽が人を伴って訪問し、ようやく書斎に全員が揃う。


「水田です。森之宮大学の二回生で、巽くんとはアルバイトが一緒です」


 水田氏は人のよさそうな顔立ちをした好青年だった。黒縁の眼鏡をかけていて、眼鏡同士勝手に親近感が湧く。

 彼の隣に巽が座り、ローテーブルを挟んでその向かいに姉御、水田の正面には師匠という並びで、綾人は高倉が持ってきてくれた椅子に腰かけて師匠の斜め後ろに隠れておいた。今のところ前回のように、何がなんだか解らないがとにかくよくない感じがするといった物騒な事態にはなっていない。

 巽は端的に紹介した。


「師匠です。こっちは姉御。あっちは秋津」


 水田はまず緊張気味に師匠を見た。姉御に視線を向けたあと、綾人のほうを向いて、あからさまにほっとする。

 仕方がない。最初の二人はいかにも怪しげなお化け屋敷の主人となかなかお目にかかれない春の妖精、つまり見目がよすぎるのだ。

 綾人はフツメン眼鏡仲間としてにこっと笑っておいた。


「もしかしたら、全然なんでもないことかもしれないんですけど、不安になって。……これを見てもらってもいいですか」


 アイテム系か……。脳裡に過ぎったのはやはり前回、薬袋の持ち込んだ呪いの手鏡である。

 水田が鞄から取りだしたものは、風呂敷で厳重に包まれていた。テーブルの上に置いた拍子に、ことり、と硬い音をたてる。


「家の庭から出てきた箱なんです」

「ふぅん。家はどちら?」

「八重野です。わかりますか?」


「わかるよ」師匠は軽くうなずいた。「ひさお川の西側だね」


 鹿嶋市を流れる一級河川のひさお川は、ほぼ真北から流れこみ、ゆるやかに南西へ弧を描いて遥か先の海へつながっている。幸丸大学はひさお川より東、市内東部を覆う八束山のそばにあり、綾人たちも当然この周辺の住まいだ。

 鹿嶋市八重野は川の向こう側。かつて、やえを人柱にして建てられた橋の後継として鹿嶋の東西をつなぐ、ひさお川大橋を渡った先の地域となる。


「そうです。まあ、うちは八重野といってもだいぶ橋からは遠いところなんですけどね」


 水田は少し身を乗り出して、風呂敷の結び目をほどき、順番に布を取り去っていった。

 中から現れたのは透明なビニール袋に入った小さな木箱だ。


「ちょっと臭いがあるから、袋からは出さずにこのままの方がいいと思います」


 椅子を引っ張って近づいてみたが嫌な感じはしない。綾人より見鬼の強い巽も無反応、一行の最終兵器ともいうべき姉御さえ、不思議そうに首を傾げている。


 だが師匠は嫌そうに左目を細めた。


「臭いねぇ……」


 小さくつぶやいた師匠は、木箱に触れようとせずに腕を組む。その隣で姉御はおとがいに指を当てて木箱を覗きこんでいた。

 前回の手鏡に比べるとどうということはない。ほっとした綾人と巽も、よくよく観察するため顔を近づけた。


 ルービックキューブを彷彿とさせるサイズの、正方形の箱だった。表面はやや黒く、湿ったような色をしている。少し土がついていたのは地面から掘り起こされたからなのだろうか。

 長方形にカットした積み木を組み合わせたような、不思議な見た目をしている。

 ぱっと見ただけではどこが蓋になっているのか判りにくかった。蝶番のようなものは見当たらないので、上部分をスライドさせるタイプなのかもしれない。


「なんか、パズルみたいですね」


 思いついたことをそのまま口にした瞬間、師匠の気配が急激に尖った。


「高倉!!」


 ――その声が師匠のものだと気づくのに、一拍かかった。

 屋敷中に響き渡りそうな大音声に驚いて固まっている姉御の腕を引き、師匠は彼女を書斎の扉の傍まで引きずっていく。あまりに乱暴な手つきに姉御が転びかけてもお構いなしだ。


 巽も水田もぽかんとしている。

 綾人も当然、ぽかんとする。


「古瀬、なんともないね?」

「な、なに? なんともないです、元気よ」

「いまから高倉に送らせる。家に帰ったら辺り一帯浄化して、何か異変があるようならすぐ連絡しろ。体調が悪くなったら迷わず救急車」

「急になんで!?」

「いいから言う通りにしろ、しばらくうちに近づくな。あとで連絡する」


 師匠の形相に何かただならぬものを感じてか、姉御は「わかった」とうなずいた。綾人はソファの脇に置かれたままだった姉御のショルダーバッグを拾って渡す。突然の展開に頭がついていかないが、とにかく彼女を同席させるのがまずいらしい。

 ノックとともに高倉が顔を出した。


「古瀬を家まで連れて帰ってくれ。それとしばらく異変がないかどうか見てやって」

「畏まりました。彼女だけでいいんですね?」

「ああ。……多分ね」


 振り返った師匠の左目がぎらりと凶悪に輝く。

 綾人は兄弟子と視線を交わした。――これはもしかして、とんでもなく怒っているときの顔なのでは。

 弟子二人の視線は次に、この師匠の大激怒の原因と思しき木箱へと向かった。一体この小さな箱にどんなものが隠されているというのだ。

 姉御を連れた高倉が書斎を出ると、師匠はつかつかと大股で戻ってきて、水田の正面に乱暴に座り直す。


 綾人は怖くて隣の彼の顔を覗き込めなかった。

 巽でさえそっと師匠から視線を逸らしている。

 師匠の周りだけ気温が二℃くらい下がっているような気がした。

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