f 迷子の迷子のこねこちゃん
「いつか、やえが誰からも忘れられる日がきたら、どうなるんだろうなぁ……」
巽からの返事はなかった。
なんとなくしんみりしてしまったところで、前に並んでいたカップルがきゅうりを受け取って列を外れていく。師匠と巽はいらなくて、姉御と綾人が食べるので――
「きゅうり、二本ください」
「三本じゃなくていいの?」
店主の女性がこてんと首を傾げた。
三本?
弟子たちもまた首を傾げて、女性が指さす二人の間を見下ろしてみると、三人目が確かにそこにいた。
きょと、とこちらを見上げてくる少女が一人。
「……いや、誰!?」
思わず大きな声を出してしまった。
一見して十歳にも満たない少女のようだった。顔色が少し悪いようだが、切れ長の双眸や血色のよい唇などははっとするほど整っていて、くすんだ色味の浴衣もよく似合っている。子どもらしいふっくらとした輪郭はなく、全体的に華奢を通り越して痩せぎすだった。
少女はきゅっと巽のシャツの裾を握る。
「迷子か……?」
子どもに懐かれそうにない外見の巽は、いかつい金髪の下で精いっぱい困った表情をしていた。両手が中空を彷徨い、落ち着かない様子で辺りを見渡し、最終的に助けを求めるような目で綾人を見る。心霊スポットで異変が起きたときのほうがまだ堂々としているな、こいつ。
仕方なく「じゃあ三本で」と女性に伝えると、綾人は少女の前に膝を折った。
「お父さんやお母さんとはぐれたの?」
「……?」
冷たい眦に疑問符を浮かばせて、少女は首を左右に振る。
両親とはぐれたのではないということは、祖父母か、友人家族か。これが浴衣姿の少女でなければ長身の巽に肩車でもさせて上から家族を捜せるものだが、この格好では難しそうだ。
「お名前は? 携帯電話とかは持ってない?」
「…………」
ふるふる、と答えた動きに合わせて、肩口で切り揃えた髪の毛が揺れた。
名前も言わないとなるとお手上げだ。迷子のこねこちゃんに対してわんわんわわんな犬のおまわりさんの気持ちがよく解ってしまう。
きゅうり三本分の代金を自分の財布から出して、一本を少女に持たせると、綾人は彼女の空いているほうの手を優しく握った。
「迷子って本部に連れていけばいいですかね」
「だと思うよ。本部はあっちのほう」
示されたのは綾人たちの進行方向だった。人の流れもそちらを向いているから、師匠たちと合流して、同行者を捜しつつ花火のよく見えるところを目指すのがいいだろう。
「じゃ、知っている人を見つけたら教えてね。捜しながら本部へ行こう」
「…………」
少女はこっくりとうなずいた。
ずいぶん無口な子だ。妹と弟がこのくらいの年の頃は、毎日ぎゃーぎゃーとケンカばかりしていたような気がするけれど。
順調におつかいをこなしつつ師匠に連絡をとったところ、二人は屋台の並ぶ通りから奥に入った堤防ののり面で休憩しているということだった。目印とされたたこせんの屋台の横を抜けたときには、綾人たちは両手いっぱいに屋台飯を抱え、名無しの少女はりんごあめをぺろぺろ舐めていた――屋台の前に立ち止まって動かなくなってしまったので買ってあげたのである。
二人と一人が人混みを逸れて屋台の間を抜けると、薄暗いのり面で立ち上がる人影が見えた。
背格好からして師匠と姉御であることは間違いない。浴衣の少女が転ばないように気をつけながら近づいていく。
「お待たせしました。すみません、この子がさっき電話で言った迷子ちゃんです」
「うん。お疲れさま」腕組みをしてこちらを眺める師匠の横で、姉御がぱちぱちと素早く瞬きを繰り返しながら半笑いになった。
「秋津くん、巽くん、一体どこから連れてきたの……?」
「きゅうりの一本漬けの屋台に並んでたらいつの間にかいたんですよ。とりあえずこれから本部に行ってこようかと」
「んー、そっか……」
そこでようやく、師匠が首を傾げる。
「どうかしたのか」
「……、ごめん。わたしには、秋津くんが大きな光の塊を連れてるようにしか視えなくって……」
「…………エッ」
ぴしりと固まった。――光の塊。
だって、きゅうりの屋台の店主が「三本じゃなくていいの」と言いだしたうえ、綾人の右手にはしっかりと子どもの体温が感じられる。りんご飴の屋台では店員の青年が「はいどうぞ」なんて手ずから渡してあげていたし、人混みを歩いている最中も周りの人が少女を避けるような歩き方をしていた。
師匠でさえやや左目を丸くして、名無しの少女を見下ろしている。
綾人もすぐそばのちいさな丸い頭を見つめたが、彼女はきょとんとしているばかりだった。
「……何かが憑いている、とかではないんだね?」
「ないと思う。彼女が光そのものだとしか考えられない。こんなの視たことない……」
「光と感じるなら、少なくとも悪いものではないか」
基本的に見鬼の強いほうではない綾人や巽にもはっきりと形が視えて、恐らく見鬼のない普通の人たちにも視認できて、物理的な感触があり、師匠にも姉御にもよく解らないモノ?
綾人はびっくりするやら怖いやらですっかり硬直してしまった。
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