その七、川贄の姫神の憂鬱
a 神さまっているんですか?
以前、のっぴきならない複雑な事情があって師匠たちと「こっくりさん」をやったことがある。
そこで呼び出してしまったあまりにも強大な力を持つもの――ヤツカハギと名乗ったそれが、八束山に祀られる神だと聞いたとき、綾人はこう尋ねた。
「えっ、神さまっているんですか!?」
彼岸のものが視える身でなんとまあ間抜けな質問だが、この頃の綾人はまだ彼に弟子入りもしておらず、恐いものには近寄らないスタンスを貫いていた。耐性はあるが知識も経験もなかったぺーぺーだったのだ。
そして師匠はこう答えた。
「まァ、いるんじゃないかな知らないけど」
「知らないんですか」
「知らないよ。だってあれらは自分で神を名乗るわけじゃないから」
例によって扇子をパチパチといじりながら、
「この世界には『層』がある。例えるならマンションの一階、二階というように棲む階層が分かれていて、人間は人間の層に、霊は霊の層に、そうなれないものも、神さまと呼ばれるモノも、それぞれの階に生きている。その話はしたね」
――こう続けた。
人間に人間と名前をつけたのは人間だ。
霊と、神と、妖怪、悪霊、怨霊、その他あらゆる『ヒトではないもの』に対して、これこれこうと名前を付け、その存在を定義したのも人間だ。それらに善悪の性質を振り分けて、勝手に信奉し勝手に畏れているのも人間。
もともとあれらはそこにただ在るだけの存在のはずだった。人間が先か、神霊が先かという問題はわかりようもないが、人間の知恵や言葉のほうが後だったことだけは確かだ。
また、世界は陰と陽の性質を帯びてできている。
陰はヒトならざるもの、陽は生きとし生けるもの。女性と男性、太陽と月、光と闇、生と死、白と黒……。
陽の気を常に抱く生きた人間の信じる力は強い。
ときには本来こちらからは関われないはずの層にまで影響を及ぼしてしまう――
***
だから、ほとんどの神さまは、自分が神である自覚もないまま神と呼ばれ崇め奉られ、そんな気分になってしまっただけの、もともとはただそこに存在するだけのものだったはずだ。
例えばそう、山に棲んでいた妖怪が師匠の師匠が流した噂で勘違いを起こし、心霊スポットと化してしまったように。
それが師匠の持論であり、多くの場合これは正しかった。
だがこの年の夏、綾人たちは「神」を自覚するものと出会うこととなる。
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