h 「世の中には社会的弱者の霊が多い」
「心霊スポットや都市伝説なんかの怪異で『幽霊』が目撃される際の傾向として、若い女性、少年少女などの子ども、老人、中年男性や女性、最後に若い男性という順で少なくなっていく。これは解るね」
「俺たちに視えているものは別として、っていうことですよね?」
「そう」師匠はうなずいた。
時刻が〇時に迫った頃、ファミレスを出た綾人たち三人は、そこから徒歩数分のところにある例の踏切に向かっていた。
「順番といっても詳しい統計は取れないから一概には言えないが、ともかく若い女性が出てくる怪談や目撃例は多い印象だね。それも『白いワンピース』を着ている女性。一般的には『女性のほうが情念が強いから』女性の霊が多いのだとされているが、ぼくらからしてみたらそういうわけじゃないのは解るだろ」
「はぁ、そうですね。スーツ着たおっさんみたいなのとか普通にいますね」
「あー、確かに。特に女の人が多いってことはないような……」
綾人の場合は人の形がはっきりと視えることもそうないのだが、それが女性的な性質を帯びているか否か程度であれば、なんとなく判ることもある。
「ということを踏まえてみるとね、なぜ白いワンピースを着た女性や少年少女の霊が世の中には多いのかという話になる」
そこで師匠は足を止めた。くだんの踏切に到着したのである。
時間計算はぴったりだった。あと二分で今日の終電が通り過ぎる。頭上を新幹線の高架が通っており、周囲にはアパートやマンションが立ち並んでいた。その部屋から零れる電気や街灯の灯かりのおかげで、周辺はやや明るく、いつものボロ懐中電灯を出さなくても十分に見渡せる。
「世の中には社会的弱者の霊が多い」
「…………」
「白は死と同時に純潔も表す。若い女性の霊の目撃談に白いワンピースを着ていることが多いのはそのためかな。死装束の白だけが理由なら子どもや老人たちだって白い服を着ていないとおかしいからね。つまり?」
と、師匠は不意に綾人を振り返って続きを促した。
ぐっと身構えつつ必死に思考を動かす。
「つまり……未来ある女性や子どもたちの命が絶たれたことに対する、社会的な罪悪感があると?」
「そういうことだね。未来ある、特にこれから母となったかもしれない若い女性、幸せでいるべき子どもたち、思いやられるべき高齢者の生が理不尽に踏み躙られたことに対する社会的な罪悪感という巨大な信仰心が、見鬼を持たない人々の先入観や恐怖心に作用する。残念なことに、中年男性と若い女性、殺されたと聞いて『かわいそうに』という情がより深く湧くのは、若い女性に対してのほうだろうからね」
カン、カン、カン、カン――
警報が鳴りだした。
年季の入った遮断機が不安定に揺れながら下りてくる。線路の左右をきょろきょろと眺めてみると、下りの電車のライトが遠くに見えていた。
「今回この踏切で、離婚や養育費未払いにより苦しい生活を強いられて自殺せざるをえなかった母親よりも、男の子の霊が目撃されているのは――」
車輪が線路と擦れる音がする。
夜中の住宅街だからか、少しゆっくりめに通り過ぎていった電車には、終電だというのにかなりの人が乗っていた。
こんな時間まで飲み会か仕事かスーツ姿のサラリーマン、大学生と思しき若い男女、観光客らしい外国人。六両編成の山吹色の車体が、風と音に余韻を残して去っていく。
「小さな男の子が、父親と母親の都合に振り回された挙句無理心中で命を奪われたことに対する、社会的罪悪感の発露だ……」
遮断機が上がりはじめるや否や、師匠はずかずかと踏切内に進んでいった。
いつもみたいに弟子を先頭に立たせないのは、一応自分の知人を介して寄せられた相談ごとだからだろうか。綾人と巽で顔を見合わせてから恐る恐る後をついていく。
遮断機の位置を超えて踏切内に立ち入った瞬間、不可視の壁をすり抜けた感覚に肌が震えた。
景色は変わらない。頭上に高架が通り、周囲にはアパートやマンション。
だが音の一切が消えた。
風も、住宅街から僅かに聞こえていた生活音も、虫の鳴き声も、線路伝いに聞こえる電車の走る音も、車のエンジン音も、すべて。
ここは彼岸だ。
彼らの棲家。彼らの生きる層。生きとし生けるものが住まう層とは別に、幾重にも折り重なる層のうちのたった一つ。
静寂に耐えかねた耳が空気の震えを拾いはじめる。地続きになった遥か遠い場所で、低く、地鳴りのような音が響いていた。
足の裏に何かの振動を感じる。
「まあ、地縛霊ってとこだね。この踏切を中心に『場』を展開するタイプ。安田くんが選ばれたのも恐らく単純に彼の手が届く範囲に住んでいたからなんだろう。このまま放っておいたら十中八九ここに呼ばれただろうから危ないところだった」
「え、でもそれってつまり」
「うん。ここでどうにかしておかないと、彼の夢は続く」
「ひえ……」
軽ぅく言ってのけるがこの人、自分で深沢にも釘を差していたように除霊する力があるわけではないのだ。一体どうするつもりなのだろう。
それも気になるし、先程から続いているこの地鳴りも気になるし、と眉を顰めたときだった。
師匠の後ろに、黒い影が立ちのぼる。
「師匠……」
「情けない顔してんじゃないよ。所詮はここから出られない程度のものだ……」
「師匠うしろっ!!」
綾人には黒い影にしか視えない。だが男の子だと頭が理解している。
師匠の着物に手をかけて、誘うように彼を見上げた。「おや」と左目を丸くした師匠が男の子を見下ろし、そのまま動きを止める。
「――うそだ」
――扨て、この三人のなかで誰が選ばれるのか見物だね。
「師匠が選ばれたってことか……!?」
ひどい衝撃だった。漠然と、やっぱり見鬼が覚醒するほどの命の危機に瀕した経験のある巽が、死にたいとか死にたくないとか関係なく選ばれるのだろうと思っていた。仮に巽に何かあったとしても、自分で言っていたように怒鳴るか殴るかして追っ払ってしまいそうだし、なにより師匠がいるからどうにかなるかと軽く構えていた。
師匠が『死にたい』に一番近いだなんて、思いもしなかったのに。
カンカンカンカン――と警報が鳴りだした。
年季の入った遮断機が不安定に揺れながら下りてくる。この『場』に入ったときから感じていた、地鳴りのような音が近づいてくる。見ると数分前に通り過ぎたばかりの下り電車のライトが遠くで光っていた。
電車が、きている。
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