g 自殺と事故はよく流行る

 師匠が観たいと言ったのは、海外の超有名なホラー映画の続編であった。

 ポップコーン片手に無表情で鑑賞する師匠の横で、見鬼があって日常的にヒトでないものを視ていてもホラー映画は普通に怖い綾人と巽は、声もなくひーひー叫びながら約二時間を耐え抜いた。

 終わる頃には丁度よく夕食どきになっていたため、車で移動し、くだんの踏切の近くにある二十四時間のファミレスで定食をご馳走になった。師匠はたまにこうして気前よくご飯を奢ってくれる。


 そうはいっても師匠は歪みなく師匠であるので、定食を頂いているあいだずっと、ジャパニーズホラーと海外ホラーの演出の違いなどを滔々と語られた。


 全員が箸を置き、追加で頼んだデザートが運ばれてきたところで、話を逸らすように巽が口を挟む。


「ところで終電の時間って何時なんでしょう」

「ダイヤ改正で当時とはだいぶ変わったはずだから、大体の時間でいいだろう。〇時過ぎくらいかな」


 コーヒーを啜りながらスマホを眺めていた師匠が「ああ、あった、これだ」と画面を見せてきた。

 どうやら例の踏切がネットで話題になった当時の投稿らしい。母子が亡くなった十年前の新聞記事の引用も載っている。


「概要は大体聴いたものと一致するね。自殺の動機は母子家庭による生活苦、遺書も見つかっているらしい。なんだか思い出してきたな。このあと、離婚して片親となった家庭で、離婚相手が養育費を払わないケースがかなり問題視されたはずだ」


 ――大滝市○○の踏切を深夜に訪れると子どもの霊が見えるらしい。

 ここでは昔、母子による自殺があって云々――といった発端の書き込みに始まり、続々と目撃例や体験談が寄せられている。

 確かにかなりの数が肝試しに訪れているようだ。

 それでも、安田が見るような夢に悩まされているといった書き込みはない。


 頬杖をついた師匠は、綾人と巽が全文読み終えたのを確認してから画面を消した。スマホをテーブルの端に寄せて、苺パフェにスプーンを差し込みながら、どこを眺めるでもなく左目を伏せる。


「たまに流行はやるんだよねぇ、こういうの」

「肝試しがですか?」

「いいや。ホームや線路での自殺」


 思わず口を閉ざした弟子二人を、師はその左目で一瞥する。


「一件起きたら続くんだよ、四、五件くらい。十年前のこのあともあったはずだ。五年前にも起きた。秋津くんも視たでしょう、繰り返し飛び込むサラリーマン」

「あ……布瀬駅の」

「そう。あれ、五年前の流感の一環だね」


 先日、アルバイトの帰りに遭遇した一件だ。

 あのとき姉御が通りかかっていなければと思うと肝が冷える。


「飛び込みとか自殺、それと事故はよく流行る。報道の影響もあるんじゃないかとか言われるから、特に未成年の自殺についてはニュースであまり取り上げないようにするのがここ最近の風潮だ。……でも恐らくそれとはまた別のモノが影響して、そういうよくない流行を生んでいるんだと思うよ」


 インフルエンザより嫌な流行だ。


 綾人は仲の良い両親のもとに長男として生まれ、三つ下に双子の妹弟がいる。見鬼のこともあって色々心配をかけたし、まだ拗れたままのこともあるが、それでも両親が離婚の危機を迎えたことや経済的に困窮したことはない。

 自分は恵まれている、と実感すると同時に、そのことに対するどうしようもない罪悪感が、心の隅っこに染みをつくった。


 うーん、と苦い気持ちでティラミスを口に放り込む綾人の横で、チーズケーキをざくざく切り分けながら巽が訊ねる。


「でも安田の見る夢のように、ほんとうに生きている人間を引き摺り込もうとしているのなら、その踏切かなりやばくないですか」

「まあね。ぼくらは特に、呼ばれるだろうね」

「姉御のいるときに出直したほうがよかったんじゃないすか? そんな厄介なのとっとと浄化してしまえば……」


「ああ……」師匠はふと表情を消した。「あの子はねぇ」

 まるでとても愚かなものを想うように、蔑如するように、嘲るように、左目が憂いを帯びたいろを浮かべる。


「だめなんだ。こういう場所には向いてない。まだ古瀬が自分の力の制御に慣れていなかった頃、一度連れて行ってひどい目に遭ったことがあって、自殺があったような場所にはもう二度と同行させないと決めた。おまえたちも見たくないだろう、古瀬がはらはら泣きながら縋りついて死なせてくれと懇願してくるところなんて」


 さらりととんでもないことを懐古しながら、その白い指先は、長いスプーンを操り苺を掬った。

 薄い唇に吸い込まれていく苺の血のような赤が気味悪い。


「姉御が……、なんですって?」

「ああいう場所は『死にたい』という気持ちが最も強い者を手っ取り早く捕まえる。あの子じゃあ問答無用で惹かれてしまうんだよ。生きていたくない気持ちが強すぎる」


 ――姉御が、『生きていたくない』?

 いつも春の麗らかな日差しのように穏やかで、仕草や言葉の一つ一つ可愛らしく、師匠の前では少しだけ子どもっぽくもなり、いつも綾人たちに慈しみ深く微笑みかけてくれる、あの人が。

 絶句する綾人に、師は多くを語らなかった。


「あれからずいぶん古瀬も力が強くなったし、さすがにもう手酷く引き摺られることはないだろうけれど、それでも嫌だからね、ぼくが」


 徐々に口が重たくなってきた師匠を察してか、姉御の話題を出した張本人は反省するようにしゅんと項垂れる。

 あの姉御の笑顔の裏に、死に惹かれるだけの衝動がある。

 それだけ辛いことがあったんだろうと考えるだけで胸が痛かった。


「つまり。踏切で安田を手招いているその少年は、誰か道連れがほしいということだよ」


 師匠の声に顔を上げる。


「第一候補となる安田は家に帰し、第二候補の古瀬もいない。――扨て、この三人のなかで誰が選ばれるのか見物だねェ」


 一転して楽しそうな顔になってパフェを食べ進める師匠に、弟子二人は顔を見合わせてあわあわと戦慄いた。


「うわ、そうか! そういうことになるのか!」

「なんか俺な気がする。一回死にかけてるし」


 巽は高校生のときにバイク事故に遭って生死の境を彷徨ったのだ。それをきっかけに見鬼が覚醒している。

 一方の綾人は、生まれてこのかた大きな病気も骨折もしたことがない健康体。


「俺も巽な気がする! 金属バット持ってかなきゃ」

「ひと気のない場所ならともかく普通の踏切に金属バット持って入ったら不審者じゃねえか」

「ハハハ。楽しみダナァ」

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