f 巽の超物理的な解決法

 こういうときに迷わず出てくる選択肢が「殴り飛ばす」一択の辺り、元スーパーヤンキーという噂の信憑性が増すというものだ。

 噂というか事実だったらしいが。


 以前『夜な夜なバイクを乗り回していた暴走族と抗争して勝利した』という噂の真偽を確認したところ、「暴走族なんていねぇよ。まあ数年くらいダラダラ敵対してた工業高校の不良ども全員叩きのめしたことはあるが」という意味の解らない回答が返ってきたことがある――

 閑話休題。

 そんな巽は低い声で続けた。


「夢で呼び出しっつぅのがまず回りくどくていけねぇ。話があるなら起きてるときにしてくれねぇと。とりあえず一発殴って、夢から醒めて、もう一回現実で殴りに行く」

「…………いや幽霊殴れるわけないだろ!」


 ご尤もな反論をしたのは、はっと我に返った安田だった。

 まことに仰る通りだし綾人も大きくうなずきたかったが、深沢と安田に見えないテーブルの下で師匠が扇子の先っぽで脇をぐりぐり抉ってくるので、沈黙せざるをえなかった。

 痛い。とても痛い。


「なんでっすか」

「なんでって……それが普通だろ? 幽霊って触れないよな?」

「向こうはこっちの足掴んだり首絞めたりできるのに、こっちが向こうを殴れないなんてずるくないっすか」

「ず……ずるいと言われれば、まあ、そうかもしれないけど……」


 話しているうちに、なんだかばからしくなってきたらしい。

 安田は疲れたように椅子に凭れると相好を崩した。


「……ま、夢のなかで自分の思うように行動できるかっていうとまた別の話だけど」


 頃合いを見計らった師匠が腕を組み、窓の外に視線をやりながら嘆息する。

 細い路地に面した喫茶店なので人通りは少ない。見ているだけで茹だるような日差しが降り注ぎ、地面や並木を白く輝かせていた。

 もうすぐ夏休みだ。


「考え方次第だね。背中にべったり張りついている見ず知らずの子どものために、夜も眠れず引きこもって講義を休んでテストもさぼって単位を落とすなんて損だ。殴り飛ばしてやる、くらいの強い気持ちでいた方が人生前向きでいいと思うよ」

「そういう問題ですか?」

「そういう問題。大丈夫、憑り殺すほどの力の持ち主ではなさそうだから、暫らく放っておけば勝手に剥がれるよ。それでもなお夢を見るとか、変化が起きたとか、そういう場合はすぐに連絡して」


 懐の札入れから取り出した名刺を、師匠は安田に渡した。

 綾人も一枚持っている。師匠の偽名と、あのお化け屋敷の固定電話の番号が書かれただけの簡素な名刺だ。


「もし電話したときは、ぼくら以外の人が出るかもしれないけど、そこに書いてある名前を言えばつないでくれるから」


 ぼくら以外の人、というのは当然、姉御や玉緒のことではない。

 お化け屋敷と呼ばれる要因たる存在が応答し、何らかの方法で師匠につなぐのである。

 実際そうしている場面は見たことがないが、この人とあの屋敷ならそれくらいはあってもおかしくない。


「ぼくらは今夜にでもその踏切に行ってみるよ。でも肝心なのはきみの気の持ちようだということは、憶えておきなさい」


 巽の超物理的な解決法ですっかり気が楽になったらしい安田が、顔を合わせた当初よりいくらか明るい表情でうなずいた。


「ありがとうございます。……病は気からっていうし」

「そう。この世界に生きている我々に作用するのは、基本的には彼岸のあれらの陰の気ではなく、此岸の人間の陽の気ですからね。――ちなみに俗説だけど、霊的な現象に悩まされているときは思いっきりいらやしいことを考えるといいらしいよ」


 巽と顔を見合わせる。

 弟子入りして二ヶ月が経つがそんなものは初耳だ。


 師匠は伝票を取って立ち上がると、弟子二人にも退席を促した。


「三大欲求の中でも性欲は異色で生々しくて、しかも強いからね。霊もドン引きするくらいの妄想ぶつけてやれば一発なんじゃないかな」

「頑張ります!」

「うん、頑張れ」


 安田はすっかり吹っ切れた様子でいる。

 隣にいた深沢もその表情を見てあほらしくなったのか、ちょっと呆れたように笑っていた。


 それでいいのか、と首を傾げたくなるような展開だったけれども、ひとまず師匠のあとについて綾人らも店を出た。

 喫茶店を出て、助手席にあざらし様を設置し直すと、師匠は車を運転して市街地に向かう。肝試しの条件として深夜という時間帯が設定されているからには、これからどこかで時間を潰すつもりだろう。


「あれでいいんすか?」


 運転席の方に身を寄せて訊ねた巽に、師匠は「いやぁ」と肩を竦めた。


「だっておまえたちも見ただろう、何も憑いてないんだから、どうしようもない」

「なのにべったり張りついてるとか言っちゃって……」


 嘘をついた罪悪感でちょっと胸がちくちくする。


「あそこで『何も憑いてないよ、きれいなもんです』って言ったところでハイそうですかって納得しないだろう。背中にくっついている、そのうえでそいつに負けるもんかって、そういうのが大事なんだよ。普通の人にはね」

「じゃあ夢は?」

「まあ夢のほうは本物だろうね。恐らくその子どもは踏切から離れられないんでしょう、だからわざわざ夢で手招きをして安田を呼んでいる。……夢の中でつかまったらどうなるのか、ちょっと興味もあるけれど」


 物騒な笑みを口元に浮かべた師匠に、そうだよこういう人だよ、とがっくり肩を落とした。


「まあなんの罪もない織部の後輩があっさり死んだら可哀想だし、打てる手は打っておこう。とりあえず指定の時間まで暇を潰すか。別に一旦家に戻ってもいいけど、どうせだし映画でも観に行くかい?」

「行きたいです!」


 諸手を挙げて賛成した綾人の脇に、巽の強烈な肘鉄が炸裂した。


「てめえ余計なこと言うな!」

「いっ……痛い……」


 弟子二人が騒いでいるのをしれっと聴きながら師匠が鼻で笑う。


「じゃあ行こうか。いやぁいま丁度海外の傑作ホラーが公開中なんだよね」

「やだ! 師匠俺もっと楽しいの観たい!」

「聴こえないナァ」

「てめえ秋津! 毎度迂闊なんだよこの馬鹿!!」

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