b 踏切の前に立っている夢

「幸丸大学理工学部、電気電子工学科二年の深沢圭太です」


 名乗って頭を下げたその人を見て、それでアイスを六個も買わされたのか、と内心で納得した。

 このお化け屋敷に集まる面子といえば大抵、家主の師匠、弟子二人と姉御の四人だ。それに玉緒を足しても五人。六個は多くないかと首をひねりつつ言われた通りにしたのだが、今日は珍しいことに来客の予定があったらしい。

 綾人がこの心霊スポット巡礼ツアーの仲間入りを果たしてからふた月以上が経つが、この屋敷に誰かが訪ねてくるのは初めてだった。


 深沢圭太と名乗ったその先輩は、普段綾人がごろごろ寝転がっているソファに、身を固くしてちょこんと収まっている。

 ひょろりと縦に細長いシルエットで、骨ばった鼻梁に分厚い黒縁眼鏡を載せ、チェックのシャツにジーンズを合わせていた。綾人の想像する『理工学部の学生』をそのまま具現化したようなコーディネートである。


 対する師匠は夏らしく涼やかな薄物を、辛子色の博多帯で締めていた。絹のような前髪が顔の右側を覆ってしまっているが、そのどこか中性的で謎めいた顔立ちは今日も美しい。

 見た目だけなら文句なしの和装美人。

 この人が、綾人の師匠であった。


「今日はその、織部先輩にご紹介頂きまして……」

「うん、聞いてるよ。織部も来る予定だったけど急に都合が悪くなったんだってね」


 オリベ?――横に座る巽を一瞥して首を傾げると、肩を竦めて返された。

 察するに師匠の知り合いなのだろうが、この人に姉御以外の知人友人がいたなんて初耳だ。

 まあ、師匠と呼んではいても、彼もまた大学生だ。弟子の知らない人間関係があってもおかしくはない。

 想像つくかつかないかは置いといて。


「一応織部からざっくりした話は聞いているけど、こっちの二人は何も知らない。とりあえず最初から話してみなさい」


 そう言いつつ師匠は、姉御を送ってきたあと冷凍庫を覗きこむや否や「ぼくこれね」と問答無用で選んだ、チョコミント味のカップアイスに手をつけた。

 深沢の手元には、彼を書斎に通してすぐに選んでもらったチョコ味のものがある。

 話を促された彼はしかし、口ごもったまま、ちらちらとこちらを窺っていた。どうやら綾人の隣で仏頂面をしている兄弟子に委縮しているらしかった。


 確かに巽は初対面には度肝を抜かれる見た目をしている。

 一八〇センチを超える長身、念入りに脱色したきれいな金髪。重めの前髪で目元は見えづらいが、誰もが認める迫力美形で、このご時世に『高校時代は地元一帯をまとめる番長的存在で、一人で五十人の不良を相手に喧嘩して勝った』とかいうとんでもない噂を持つ美丈夫だ。

 ちなみに一人で五十人はさすがに眉唾らしいが、喧嘩上等なんでもござれのヤンキーだったことは本当だとか。


 師匠もその怯えに気づいたようで、「ああ」と目を細める。


「この金髪は気にしなくていいよ。別に取って食ったりしない、刺激しなけりゃ至って大人しいうちの番犬だから。まあアイスでも食べながら気楽に話して」

「は、はぁ……いただきます」


 師匠も色々な意味でそれなりに変な人なのだが、巽の迫力に比べるとまだとっつきやすいようだ。

 深沢はアイスの蓋をぱかっと開けて、よく磨かれたシルバーのスプーンを差し込んだ。


「あの、それでは、本当におかしな話というか、変な話なんですけど……」

「おかしくなくて変じゃない話ならいますぐ摘まみ出して織部を叱り飛ばすだけだから安心しなさい」

「師匠、一般のかた相手なんですから、もうちょっと容赦というものをですね」


 初対面の人に向かってなんつーこと言うんだこの人。

 師と兄弟子に比べればかなり普通の大学生である自負のある綾人は、自分もアイスの蓋を開けながらすかさずフォローに回った。

 師匠のざくざくした物言いにも若干気圧され気味だった深沢だが、あまりに開けっぴろげなので逆に開き直ったのか、ほんの少し緊張を解いた様子で口を開いた。


「……大滝市にある心霊スポットの踏切、ご存知ですか」

「ああ、新幹線の高架下の踏切だろう。何年か前にネットの掲示板に記事が投稿されてから一気に有名になったところだね」

「はい。十年ほど前にあそこの踏切で母子が自殺したことがあるんです。それで、深夜、終電が通る時間に踏切に立っていると子どもの霊が現れるとか、足を掴まれるとか、そういう噂があるんです。自分と、今日ここに来ていない安田に松永という三人組で肝試しに出掛けたのは、先週のことだったんですが……」


 ここでようやく、綾人にもことの次第が見えてきた。

 肝試しに出掛けた先で心霊現象に見舞われたか何かして、そのメンバーのうち誰かがそれに悩まされている。ということで織部という知人を通して師匠に相談が持ち込まれ、どうにか解決を頼みたい――ということだろう。

 眉を寄せて渋い顔をしてしまった綾人を、巽が軽く小突いた。


 視えることで色々苦労したこともある身からすると、自ら進んでそういう場所に向かう連中の気が知れない……と以前までは思っていたし現在もそうなのだが、いまや綾人自身も師匠に連れられて同じようなことをしているので、人のことは言えまい。

 強烈なブーメランであった。


 そもそも綾人が師匠に出会うこととなったのも、知人が巻き込まれた心霊現象がきっかけだ。

 誰かに助けを求めたい気持ちもよくわかる。

 自分の常識に当て嵌まらないものは、誰だって怖い。


「終電が通る時間に踏切に行って、何枚か写真を撮って、その場では特に何事もなく全員帰宅したんです。ただ翌日から、大滝市に住んでいる安田がなんていうか、夢を見るらしくて……」

「夢ねぇ」


 師匠はいつも通り抑揚のない平坦な声で相槌を打った。

 ともすれば興味なさ気にも聴こえるので(もしかしたら本当に興味ないかもしれない)、憔悴した様子で師匠を窺う深沢が不憫に思えてくる。綾人は思わず助け舟を出していた。


「どんな夢なんですか?」

「踏切の前に立っている夢を毎日見るそうなんです。遮断機が下りていて、警報が鳴っている。線路のなかには男の子がいて手招きしている。最初は遠くから眺めているだけだったのに、日が経つにつれて距離が近くなってきていて、そろそろ自分も踏切のなかに入るんじゃないかって……」

「うわ」


 毎日同じシチュエーションの夢を見るというだけでもぞっとするのに、遮断機の下りた踏切に少しずつ近づいていくとは。

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