c 都市伝説で有名なのは『猿夢』とか

 顔も知らない安田に同情しかけた綾人の横で、師匠が腕組みをして踏ん反り返る。


「まあそのパターンでいくと十中八九、その男の子に誘われて踏切の中に入って電車に撥ねられる展開だろうね。現実でどうなるかは知らないけど」

「師匠もっとオブラートに包んで!」

「所詮夢だろ。肝試しに行ったことに対する罪悪感とか恐怖が残ってるだけだ。手招きしてるっつーんならいっそこっちから殴り飛ばしてやりゃいい」

「武闘派ヤンキーも黙ってろ!!」


 悩んでいる人に対する配慮というものを母親のお腹の中に置いてきてしまったらしい二人に鋭く突っ込むと、師匠はくつくつと喉の奥で笑い始めた。

 容赦ない意見にめった刺しにされた深沢は、可哀想にしゅんと項垂れてしまっている。いまにも「やっぱこの話なかったことに」とか言い出しそうだ。


「いや夢の中で男の子を殴り飛ばせるかどうかはともかく。まずは踏切に行ってみるところからでしょうねぇ」

「あ、あの、安田は大丈夫でしょうか。あいつ怯えきっちゃって、寝るのも怖いって言ってここ数日はずっと家に引きこもってて……」

「そりゃまずいね。もうすぐ期末だし」


 軽ぅい調子で七月下旬から始まる考査の心配をしている師匠に、深沢が「この人本当に大丈夫なんだろうか」と疑いの目を向けているのがわかる。

 そして残念ながら綾人も、「こんな相談されて、この人ほんとうに解決する気はあるんだろうか……」と、思っている。


「夢、というものは案外馬鹿にはできない」


 そんな懐疑的な視線を受け流しながら、師匠は帯に挟んでいた扇子を取り出して、指先でそれを弄りはじめた。


「現代では一般的に、睡眠中、脳が過去の情報を整理している過程を再生しているのが、夢を見ている状態だとされている」

「それは聞いたことあります」

「だろうね。だが古代には夢とは、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に体験したことなのだとされていた。古代ギリシアではそもそもゼウスやアポロンによって見せられるものだと考えられていたうえ、神のお告げを夢に見るというケースも東西問わず遍く存在している……」


 パチン、と親骨を開いては閉じる。

 扇子が傷むからよくないと口では言いつつ、師匠は手慰みにそうすることが多かった。パチン、と響く音とともに淡々と語られる薀蓄を、半分以上聞き流しながら綾人はアイスを食べ終える。


「現在においても夢を見る理由やメカニズムについては不明なところが多いんだよね。――初夢で縁起がいいものといえば? はい秋津くん」

「はいっ! 一富士、二鷹、三茄子!」

「そう。それと夢占いなんてものも意外と根強かったりするしね。寝言に返事をするとあの世に連れて行かれるだの、寝ている人間がこちら側に戻ってこられなくなるだの――まあこれはレム睡眠の邪魔をしてはいけないという説もあるが――、それと都市伝説で有名なのは『猿夢』とかね」


 サル、夢。

 いまいちつながりの薄い単語に首を傾げる。どちらかというと猿というワードでは、先日三人で突撃した人工心霊スポットに棲む猿神を思い出してしまうのだが。

 しっくりきていない弟子二人を見やった師匠が、学のない者を心底嘲るような目つきになった。


「どうやらこの莫迦弟子二人は浅学非才にしてご存知ないようだから簡単に教えてやろう。二〇〇〇年ごろからネット上で見られる怪異で、サルを模した電車に乗る夢を見ていると乗客が小人に惨殺されていき、その順番が自分に近づいてきているというものだ。似た系統の怪談はいくつか存在する。大抵は夢から醒める直前『次はおまえだ』という予告を受けるので、だから眠るのが怖いのだ、というオチだ」

「「なるほどそれは怖い」」


 師匠の薀蓄に慣れている巽も適当にふんふんうなずき、そしてバカにされながらアイスを片づけているが、深沢のほうは呆気に取られていたようだった。


「……深沢さんは知ってたんですか?」

「まあ、かなり有名な怪談ですよね」


 話の方針をもとに戻すように彼に振ると、若干呆れたような返答を寄越す。

 それはもちろん、こんな相談を受けている人の弟子が、有名な怪談を知らないなんて不安だろう。

 だがこちらにはこちらの言い分がある。

 スマホオンチの巽はそもそも置いておくにしても、綾人の場合、そういう怪談をネットで拾っていると下手すればのだ。心霊特番も、ネットの怪談も、修学旅行の夜にクラスメイトがしていた怖い話も、だから極力触れないようにしてきた。

 無知な弟子にもう一度溜め息をついてから、師匠はパチンと扇子を閉じる。


「つまり、巽の言った通りに罪悪感や恐怖に基づく強迫観念である可能性もあるが、けっして楽観視はできない。これこれこういう夢のなかで霊につかまった結果、現実世界では心臓発作で死んでいたようだとか後日遺体で発見されたとか、そういうオチの怪談も珍しくないからね。――とりあえずいまからその安田くんに会えるかい?」


 やっぱり行くのか……。

 彼岸のもの関連の相談が持ち込まれたのだと察した瞬間から、なんとなく嫌な展開になりそうだなと感じてはいたが、案の定であった。

 師匠に弟子入りして、居心地のいいお化け屋敷に入り浸り、色々な考え方や距離の取り方や薀蓄を教わったり、教わらなかったりしてきた。それらについては文句なしのオカルトライフだが、やはりこの心霊スポットに積極的に突撃していく姿勢だけは歓迎できない。


「だから言ったろ」綾人の弟子入りに際して強固に反対していた兄弟子が、かれこれ何度目かのぼやきを零す。


「命がいくつあっても足りんってよ」

「まだ死んでないから残機1のままですぅ」


「客の前で阿呆なやりとりするんじゃない」と、師匠の扇子の一喝が降ってきた。

 けっこう痛いのだ、これが。

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