e でも視えないんだよな。
それから二週間ほど経っても、ニシノの足元には白い毛玉がまとわりついていた。
見守っている限りでニシノの体調に変化はなく、毛玉に憑かれて寿命が縮んでいるとかいう様子もない。綾人たちもそう警戒しなくなってしまった。
梅雨が明け、前期の考査に向けて課題やテスト範囲が続々と発表されつつある。
この間にも師匠率いるオカルト巡礼ツアーでは、山中の小屋から妖怪みたいなものを持って帰ってしまったり、珍しく外部から持ち込まれたトラブルを半ば無理やり解決したりもしたが、大学に入学して初めて迎えるテスト期間にその余韻もあっさり掻き消された。
これが終われば夏休みである。
盆は実家に帰るとして、それ以外は恐らく師匠の巡礼ツアーに日々を浪費することになるだろう。怖い思いをするのは正直御免なのだが、師匠の家は居心地がいいし、何よりヒトならざるものに対する自衛の力を身につけるに越したことはない。
その日の三限が休講になったので、次の講義が始まるまでA館一階の学生ホールにいつものメンバーで集まっていると、千鳥がふと顔を上げた。
「そういえば綾、この間上げた動画見た?」
二人でゲーム実況をしていることは五月頃、つるむ面子がだいぶ固定された時点で話している。
ニシノはなんと視聴者側だったらしく、「名前聴いたときからもしやとは思ってたんだ!」と握手まで求められた。ちなみに巽は「動画? ゲームを実況? よくわからんが凄いな」というボケっぷり。
「見てない。コメント怖いから」
「小心者ー。綾の下手くそプレイが好きな人もいるんだから気にせずやればいいのにさ」
「そんな物好き以上に苛々する人のほうが多いだろ。カットすればいいのに……」
「いーじゃんたまには」
にかっと笑う千鳥の口元に八重歯が覗く。
高校時代からこの底抜けに明るい笑顔に絆されまくっているので、毎度文句をつけつつも、綾人は半ば諦めていた。どうせ最終的には「まあいっか」と思わせる、不思議な魅力のあるやつなのである。
千鳥の視線が横にスライドした。
それに合わせて綾人も、巽も、千鳥の隣に座ってスマホをいじっているニシノに注目する。
普段であれば実況関係の話題になると楽しそうに喰いついてくるニシノが、珍しく重たい空気を漂わせて、溜め息をついていた。
そのスキニーパンツの傍らには今日も白い毛玉が寄り添っている。
自分から話を振るほうではない巽はお手上げ状態、次いで千鳥から「おまえがいけ」と目で訴えられたため、綾人が代表して口を開く。
「どうした、ニシノ、溜め息ついて」
「……秋津ぅぅぅ、聴いてくれぇぇ」
「痛ぇ」
ニシノはわあっと泣き真似をしながら、隣に座っていた巽に頭突きをかました。脈絡なく攻撃された巽は多分に文句言いたげだが、どうやら傷心中らしいニシノを振り払う気もないらしい。
ぐりぐりと巽の肩辺りに頭のてっぺんを押しつけているニシノの足元には、やはり毛玉がうろちょろしている。この毛玉、たまにニシノに蹴られてころころ転がるが、綾人や他の友人の脚は見事にすり抜けてしまう。無作為にニシノを選んだというよりは、なにか理由があってつきまとっているようにも思えた。
最早ペットみたいだ。ニシノはこれっぽっちも気づいちゃいないが。
「実家で飼ってた犬がさあ、二週間前に死んじゃったんだよな……」
――犬。
巽と目が合った。
「生まれた頃からちっちゃくて体が弱かったんだよな。けっこう病気も持ってて、大学に入学した頃にはだいぶ調子よくなくて、ちょいちょい様子見に帰ったりしてたんだけど……」
自宅で猫を飼っている千鳥が眉を下げる。
「そういえばニシノ、土日はけっこう実家に帰ってたな。地元に残してきた彼女に会うとか言って」
「そう。サクラっての、俺の可愛い彼女」
二週間前という時期も毛玉が現れ始めた頃と一致していた。
最早ペットどころの話ではない、本当にニシノの大事な家族だったのか。
知ってから改めて視てみれば確かに挙動が犬のようにも思える。綾人も巽も犬だなんて考えもしなかったのは、互いにペットを飼ったことがなくて馴染みが薄かったからなのかもしれない。
「最期には一緒にいてやれなかったんだけど、母さんは苦しまずに逝ったよって言ってた。長くないだろうなってのは覚悟してたからそれなりに平気だったんだが、今ちょっと写真見てたらうるって来てな、ごめんなー」
「これ見てサクラ超可愛い」と目を潤ませながら突き出してきたスマホの画面には、満面の笑顔のニシノと、小さなポメラニアンが一匹映っていた。
……サクラだ。
相変わらず綾人の目には毛玉にしか視えないが、「ああ、この毛玉はサクラなんだな」と、腑に落ちる。
「……犬も猫も飼ったことがないから、うまいこと言えんが、大事にしてたんだな」
巽の正直で不器用な言葉にニシノがしょんぼりしながらうなずいた。
もふもふの毛玉がその靴にじゃれついたのを眺めながら、綾人は「でも」と口を開く。
「そんな大事にしてたわんこなら、会いに来てくれてるかもしれないなぁ」
「なんだよ秋津、お前そういうの信じるタイプ?」
励ますための冗談だと受け取ってか、ニシノはけらけらと無理のある笑い声を上げたが、「でもそうだといいなぁ」とひとつだけ涙を零した。
会いに来てるよ。
多分、苦しまずに逝ったその瞬間から、お前を目がけて真っ先に飛んできた。
今までの分を埋め合わせるみたいに一生懸命お前と遊んでるよ。お前、たまに蹴ってるよ。それでもサクラは嬉しそうにお前にじゃれついてるよ。
でも視えないんだよな。
俺と巽にしか、視えていないんだよな。
一度思い出したらどうしようもなくなってしまったらしく、涙声でサクラの話を始めたニシノに、千鳥が優しく相槌を打つ。
他の犬より少し小柄で、病気があって体は辛いはずなのにいつもニシノの足元にまとわりついてきた。よく転ばされたり蹴っ飛ばしたりしてしまうから、駄目だと言い聞かせていたのに、サクラはめげずに脚にすり寄ってきた。最後に会ったときも嬉しそうに額をこすりつけてきたから、頭を撫でてやった……。
ニシノの話にうなずいていたら、不意に巽が肘で小突いてくる。
巽が顎で示した方を見やると学生ホールの入口に姉御が立っていた。
端麗な容姿や上品な立ち居振る舞いのせいで、そこにいるだけでちらちらと視線を集めている。そういうものには全く気づいていないのか、彼女は穏やかな表情でこちらを眺めていた。
綾人たちの視線に反応して、ちょっとだけ微笑む。
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