f 会いたい人には会えない
席を立って彼女の方に向かうと、姉御は「こんにちは」と目元を和らげた。
綾人たちは師匠の専攻を詳しくは知らない。
それと同じように姉御についても知っていることは少なかったが、同じA館ですれ違うことが多いので、文学部なのだろうということだけわかっている。
「姉御、あの、なにか視えますか」
「あれ、二人にも視えてるんだと思ってたけど」
「俺にも巽にも毛玉にしか視えないんです」
頭を掻きながら訊ねると、彼女は口元を緩めて「ふふ」と首を竦めた。
「可愛いわんちゃん。ポメラニアンかな。あの男の子のことすっごく好きなのね」
レベル10の師匠の見鬼さえ軽く上回る彼女には、相性とか波長とかそういうものはほとんど関係ないらしい。
そう思い当たって、綾人はなぜだかしんどくなった。
小学生のときに亡くなった母方の曾祖母も、二年前に横死した伯父も、なぜ自分のもとには現れてくれないのかと考えたことがあった。
見えないものが視える自分たちでも、姉御でさえ、会いたい人には会えない。
そういうものだ。
そういうものなのに、それならどうして綾人の目には映るのだろう。
どうして会いたい人には会えないのに、視えない人に会いにきたものが視えてしまうのだろう……。
「姉御は辛くないですか」
「うん?」
「会いたい人は会いに来てくれないのに、ニシノに会いに来たサクラが視えて、でもニシノにはサクラが視えない、そういう理不尽を辛く思ったことはないですか」
大学に入って巽や師匠と出会うまで、自分の視える力と正面きって向き合ったことがなかった綾人には、こうして無性に『視えること』がしんどくなるときがあった。
視えている。それでも意思疎通はできない。触れることもできない。ただ一方的にその存在を押しつけられるだけ。
綾人の何倍も、何十倍ものノイズを視界に映しているはずの彼女は、それでも柔和な微笑を湛えていた。
「そうねぇ。人よりも少しやかましい視界が億劫だったこともあるけれど、ああいう優しい世界も人より多く視ることができるのだと思えば、そう嫌なことばかりでもないかな……」
そう答える横顔がどこか切ない痛みを帯びていたのは見間違いだろうか。
「でも、どうしてわたしに視えるのだろうとは、いつも不思議に思うわ」
どうして自分に視えるのか。
それはとてもおおきな、おおきな問いだった。
***
あの鮮やかな日々から何年か経った今も、その答えは見つからない。
師匠でさえ終ぞその答えを与えてくれることはなかったのだけど、もしかしたら世界の全てを見透かしたようなあの人にも、わからないことがあったのかもしれない。
そう思うと、やたら師匠に会いたくなる。
だけど、――そういうものなのだ。
その後サクラはしばらくニシノと一緒にいたが、夏休みを挟み、後期の授業が開始する頃には、姿を消していた。
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