写真部

ミツワ

彼女との日々

 冬の雪を見ると、僕はあの日見せた彼女の涙を思い出して胸が苦しくなる。

 そしてその度に僕は考える。自分が彼女に何か出来たのだろうかと。




——彼女と出会ったのは、高校一年の四月であった。きっかけは同じ写真部に入ったことだ。


 その頃の写真部は、三年生の先輩一人と新入生の僕ら二人の計三人だった。と言っても三年生はすぐに引退したので、二人だけで活動した期間がほとんどであった。

 活動は休日に地元川越の景色を撮り、平日の放課後に元々暗室だった部室に集まって、構図などについて話し合うという名実の元、二人で雑談ばっかりしていた。


 そうやってテキトーに活動していたとある日の放課後のこと。季節で言うと長雨が続く六月の半ばであった。どういう流れだったかよく覚えていないが、地元じゃなくもっと遠くの場所で写真を撮りたいね、と彼女が言い出した。


「えっと……それはどういうこと?」


 僕が思わずそう訊き返すと彼女はこう言う。


「つまり、今度の夏に撮影旅行に行きたいなっていうこと」

「はあ、なるほど。でも、撮影旅行ってどこか行きたいところでもあるの?」

「そう、こんなところに行きたいの」


 彼女はそう言ってスマホを操作すると、こちらに差し出した。

 そこには、奥に広がる海と手前を走る小さな気動車、そして手前に広がる青々とした草原の対比が印象的な美しい写真が表示される。


「なるほどね……確かにこれはいいね」

「でしょう。それでどう? ここに行かない?」

 

 彼女は期待した顔でそう訊いてきた。自分としては特に断る理由も無かったので、いいよ行こう、そんな感じの返事をした。

 そうしてその日以来、幾度となく取材旅行の話をし、夏休みが始まる前には大まかな行程が決まった。



*****



 夏休みが始まって三週間ほどが経った八月の初旬。ついに撮影旅行の日がやってきた。

 朝早く、まだ日が昇りきっていない川越駅に向かうとそこには、白シャツに水色のスカートと、いかにも夏らしい装いの彼女がいた。

 そして、僕が来たのを確認すると、じゃあ行こうか、と彼女は言った。こうして僕らは旅に出た。


 目的地まで残りわずかの場所にある乗り換え駅で、今までよりも短い二両編成の電車に乗った。

 電車はとても古いらしく、床は板張りで、扇風機が力無さげに風を送っており、ノスタルジックな雰囲気の心地の良い車内である。そして思わず僕は写真を撮ってしまう。これは写真部の性なのだろうか、彼女も夢中になって撮っていた。

 

 電車が動き出すと俺と彼女は、ボックスシートに向き合って座った。

 しばらくして僕が、


「旅情を感じる車両だね」


 と話しかけると、彼女は、


「ね、そう思うよね。私これにも乗りたかったんだ。あっ、そう言えばこの先、窓からも海が見えるんだよ」


 と笑ってそう答えた。

 そして、しばらくの雑談をしていると、不意に車内が眩しくなり、風が強く吹き抜けて来た。僕は驚いて思わず窓の方を見るとそこには一面の海が広がっていた。


「うわぁ、すげぇ海だ」


 僕が感動のあまり興奮しながら感想を話すと、彼女も、


「ほんと、綺麗!」


 と風でなびく黒髪を抑えながら言った。そんな彼女を見てとても絵になるなと感じた僕は、思わず彼女をカメラに収めていた。

 

 そして十余分が経って、目的地の最寄り駅まで着いた。駅は簡素な造りで待合室があるのみの様なところであった。そこからゆっくりと歩いて坂を登ると、ひらけた場所にたどり着いた。

 そこで僕と彼女は今まで登ってきた方向を振り返ると、そこには彼女が前に見せてくれた写真の通り、いや、それ以上の景色がそこには広がっていた。


「はあ、こりゃあ凄いやぁ」


 僕がそうやって感嘆すると、彼女は得意げに、でしょ、と言って笑った。別に彼女が自慢することでも無いだろうと思ったが、そこは黙っていた。そもそも彼女が誘わなかったら、僕はこの場所を知らなかったわけだし……。


——そこからは、僕らは木陰でゆっくりと撮影できる場所を見つけ出すと、そこで幾つかの電車が来るのを狙って写真を撮り続けた。

 そして、日が真上に登る頃には切り上げて、駅近くの地元の海鮮丼屋さんで昼ご飯を食べた。海鮮は新鮮でとても美味しかったし、初めてわさびの良さに気がついた。

 また、午後は近くの砂浜でいくらかの写真を撮った後、お土産を買って帰る運びとなった。


 

 帰りもまた、ボックスシートに二人で座った。窓からは海に沈みゆく夕日が流れ、車内を優しく包み込むように照らしている。


「そういえばさ、ずっと私のことを撮っていたでしょ」


 電車に乗ってしばらくして、彼女は意地悪げな顔でそう僕の方を見て来る。


「ごめん、まずかった? 消したほうがいい?」


 僕がそうやって言うと彼女は笑った。


「別にいいんだよ。それより、その写真を見せてほしいな」

「ああ、そういうこと……はいどうぞ」


 僕はそうやってカメラの確認画面を表示して差し出す。彼女はそれを受け取るなり、真剣な面持ちで何枚も見る。


「どう?」

「うーん、自分が写っている写真を評価するのは変な感じだけどね……正直言うと凄くいい。多分賞を狙えるぐらいだと思う」


 彼女は少し興奮が冷め切らないような感じでそう話してきた。だから僕は思い切ってこう言った。


「じゃあさ、今やっているコンクールに出してもいい?」

「本当はダメって言いたいところだけど……うん、こんだけ凄いんだし、いいよ」


 彼女はそう少し寂しげに言った。そんな彼女の反応にすこし戸惑ったものの、僕は家に帰るなり、すぐに、彼女の写った写真をいくらか印刷して、コンクールに応募した。

 そして、この後は何があったわけでもなく夏休みは終わった。



*****



 九月になって、二学期が始まった。この時期になると学校に行きたくないとボヤく人が多くなるが、僕は真逆だった。むしろ早く学校が始まってくれと思っていた。

 なぜなら放課後には写真部があって、また、一学期みたいに彼女と話せると信じて疑わなかったからだ。


 話したかった。


 写真について、夏の撮影旅行について、今度の文化祭について、ありふれた日常のちょっとしたおかしなことについて等々……。


 でも彼女は来なかった。

 

 いつまで経ってもだ。

 僕は気になって彼女のクラスメートに訊くと、彼女は学校にも来ていないとその人は言った。

 ただ、それは初日だけでなく、次の日もまたその次の日も、はたまた次の週も、彼女はずっと休んでいた。

 無論、九月の中旬に行われる、文化祭の時も例外ではなく、写真部の展示は僕の作品しか飾ることが出来なかった。

 そして、文化祭が終わると、彼女についてのとある噂がクラスを跨いで流れて来た。


 

 休んでいるのはずっと入院しているからだ、と。



 僕が最初に聞いたときは、ただの聞き間違いだと言い聞かせていたが、そのうちに、どこどこの病院にいるらしい、今月で三回手術したらしい、職員室で先生同士で話していた、などと具体的な内容が流れてくるうちに、それが事実であると認めざるを得なくなった。


 そして彼女が入院しているという病院に僕は何度も訪れた。でも、その度に僕は無機質に巨大な病院に圧倒されてしまい、ただただ、彼女の病室があるであろう上の階を眺めることしか出来なかった。



——噂が流れ始めてから二ヶ月ほどが経った。



 季節は巡ってすっかり今は十二月である。着ていた制服も半袖シャツから長袖、学ランとすっかり冬の装いである。

 その間僕はいつも、放課後、部室にいた。彼女がもしかしたらいるかもしれない、そう期待をしてここに来るが、その度にそれは見事に裏切られ、僕は一人静かに佇むのみである。

 そういった生活が始まってすぐは、元暗室の部室がとても広く感じたが、それは今も変わらないままで、とてつもなく違和感を覚える。



 そんなある日のことである。


 

 その日は十二月も半ば。もうすぐで二学期も終わる時期であり、川越では初雪を観測した寒い一日であった。

 僕はいつものように放課後の部室にいると、しばらくして部室のドアの開く音がした。


 普段人の出入りが無い分、余計に緊張が走る。


 そして僕が、その開いたドアの方を見ると、そこには彼女がいた。

 しかし、そこにいた彼女は僕が知っている彼女ではなく、だいぶ疲れてやせて、やつれた顔をしていた。

 

 しばらく無言の状態が続いた後、口を開いたのは彼女の方だった。


「ごめんね、二学期は一度も顔を出せなくて」

「……ああ、ずっと心配だったんだよ」


 僕はそう返事をする。


「そう、ごめんね心配かけちゃって」

「ううん、でも今日ここにいるってことは、また学校に来れるようになったっていうこと?」


 すると彼女は少し顔を強張らせる。


「違うんだ……私、今日は学校にある自分の荷物を取りに来ただけなんだよ」

「それって……学校をやめるっていうこと?」

「そう、出席日数が足りないからね。でも、それも関係ないかな。どっちにしたって三学期に来れるわけないんだから」


 彼女はそう言って何かを諦めた顔をする。


「……って」


 声にならない声を僕が出すと彼女は続けた。


「私はさもう長くはないんだよね。今日もここに来るのがやっと。でも大丈夫だよ。ずっと昔からこうなることは知ってだからね」

「ちょっと……何を言ってるのさ」


 すると彼女はハッとした顔をした。


「そうだよね、私のことをよく知ってないもんね」


 そう前置きして、話を彼女は続けた。まとめると、どうやら彼女は小学生頃に病気が発覚して、幾度となく病院の入退院を繰り返し、そして去年、余命一年を宣告されたらしい。彼女の両親はあまり進めなかったらしいが、彼女の意思で高校受験をし、この高校に入学したという。


「それで後は、僕の知っての通りっていうことか……」


 彼女の話を一通り聞いた僕はそう話した。


「まあ、そういうこと。だからね、私はもうすぐ死ぬんだ」


 彼女は気丈に振る舞っていたが、どうも無理しているようにも見える。

 だから、


「無理してるの?」

「無理……?」

「そう、なんだか気丈なフリをしているように僕は見えるよ」

「そう……」

「もしさ、無理してるのなら、僕の前でまでそうしなくてもね……」


 僕がそう話すと彼女はしばらく黙り込んだ。

 そして、彼女は啖呵を切ったように泣き始めた。


「そうね……わかった……私ね、こうやって平然としているけどね……、本当は怖いんだ、死ぬの。本当はさ、もっと青春したかったし、友達をもっと作ったり、楽しんだりしたかった……。だからさ、今日は辛いんだ……。学校に来ると元気な同級生が楽しそうな生活を送っててね。なんで私だけこんな目に合わなきゃダメなんだろうってね……。私さ、もっともっと楽しみたかった……」


 その後も彼女は泣きつかれるまで何十分も泣いていた。そして僕はその度に、うん、うん、うん、と繰り返し頷くことしかできなかった。

 

 そして泣き終わって落ち着いた彼女は、


「グチいっぱい訊いてくれてありがとう。あと、写真部の活動、本当に楽しかった。だからさ死ぬまで一生忘れないよ」


 そう言った。だから僕も、


「こっちだって本当に楽しかったよ」


 そう答えた。そしてそれが彼女と僕が交わした最後の会話であった。



 それから一週間後、世間がクリスマス一色に染まるなか、彼女は静かに息を引き取った。



*****



 彼女が亡くなってから僕は心ここにあらずといった感じで、何も頭に入ってこなかった。

 そして三学期に入り、また学校が始まると、僕はまた放課後に部室に足を運んでいた。今度こそ誰も来ないのは知っていたが、それでも何かを期待して来ていたように思う。



一月も終わろうとする頃、家に僕宛の一通の封筒が届いた。



 僕はおそるおそる封を開くと、それは夏に応募したコンクールについてのものであり、中には受賞した旨の用紙と受賞作品の載ったパンフレットが入っていた。

 そして元気な彼女が写った写真を見たとき、僕は泣いていた。


 それは受賞の嬉しさと彼女との過ごした日々を思い出しての涙だった。

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写真部 ミツワ @mitsuwa

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