第12話 終章
南小倉の公園には線路側に面して、木製の大きなベンチがある。
砂場の真ん中に取り残されて、U字型の大きな肘掛(ひじかけ)がついている。
木枠の輪をひっぱって子供たちが連なって遊ぶので、公園の砂場に埋め込むように
そのまま残してある。
離れたところにあるベンチは硬いコンクリート製で、肘掛(ひじかけ)などない。
ひとつ残った木製のこのベンチが、彼は好きであった。
花壇をバックに芳子さんの写真を撮ったこともある。
ベンチに腰を下ろし、横を走る電車の音を聞いていると、営業の仕事の成績が振るわず、風邪を引いたことを口実に、休もうとした、会社勤めのはじめの頃を思い出した。
三十年前のその日も頭が痛かった。その日は、本当に休みたかったのに、
『このくらいで休んだら、本当に寝込まなければならないときに困るでしょう』
芳子さんが欠勤させなかった。
布団を引いて寝ているつもりだったのに、枕元でいつまでもソージ機をかける。 ソージ器の先で昭男さんの新聞を吸い上げた。
それ以来、辛い日があっても休みたいと思わなくなって出勤した。
家で一度もやさしく看病してもらった経験がない。芳子さんが家で臥(ふ)せった姿も見たことがなかったが、そんなひと(女性)だと言えばそうだが、男を育てるタイプの強い性格の持ち主であったろうか。
定年退職後のある日、芳子さんと将来のことで意見が合わず、夕食前に二階の部屋に抜け出してふてねをしたことがあった。つい寝入ってしまい、腹が減ったので眼を覚まして階下へ降りたら知らんふりだった。
普通なら、血圧の高い年寄りの伴侶が五時間以上も音を立てずに、真っ暗な部屋で横になっていることを知ったら、何事がおきたのではと見にあがってくるものだと思った。
芳子さんはテレビの前から離れなかったと良恵さんが言った。
うまく甘やかされてきたのだ。
咲き始めたサクラの花を見ていると、サクラの満開の下、爛漫の花の下で春に死にたいと言う歌があったことを思い出す。
西行法師の歌に心通ずるものが漂う。
「願はくば 花のもとにて 春死なん」、
物思いに浸ってぼけっとしていたら、数珠が左手から外れて地面に落ちた。
拾おうとかがんだら今度は、右足の濃茶の靴下に破れ穴を見つけた。
今までに見たことがない大きな丸い穴だ。
芳子さんは気性の強い女(ひと)だった。眼が悪くなり自分で縫い物が容易にできなくなると、穴の開いた靴下などはともかく、繕いを要する破れものは自分にも人の眼にもつかないようにした。
見つけたり見つけられたりすると、機嫌が悪くなった。
自分が外で働いて、家庭に腰をすえて繕(つくろ)ってやる手間がないことを
気にしていた。破れものを昭男さんが脱いでしまうまで、機嫌が悪かった。
これは怒られるかな……昭男さんは気になった。
ベンチの端に体を預けてズボンをたくし上げ,
て右足の親指側を向こう側に
グッとひっぱるとスッポリ穴がかくれた。
もう一度、手前を斜めにひっぱってはきなおした。
やれやれ…今頃、なぜこんなことを、脱いだ草履をまた履こうと足を伸ばして、
突っかけたら、草履が勝手に小砂の上を走リ去って・・・離れたところでとまった。
尻をベンチの端に乗せたまま腰をかがめて伸ばし、指を草履のところまで、
エイッと手を伸ばしたら、かろうじて届いた。やれやれ、腰をあげたらガツン、と
衝撃を後頭部に受けた。 ベンチの肘掛(ひじかけ)で首の後ろを強く打った。
熱い感覚がひろがって、やがて明暗になり、わからなくなった。
『バカね、昭男さん』声がした。
芳子さんが南小倉駅の花壇のかなたから歩いてくる。
人影は小倉北方の菩提寺にある白い石像によく似た姿をしている。
仏様になったからかな……芳子さんがニコニコ、やってくる。
街の景色が幾重にも白い輪郭の中に見えるのに、その人は、とても自然に、
はっきりみえた。女の人はベンチにもたれた彼の方にまっすぐやって来た。
『もう痛くないでしょう、昭男さん』
空がどんどん迫ってきて昭男さんは芳子さんと一緒にまっすぐ宙に浮いた。
かぶさったサクラの大枝が邪魔になると思ったのに、公園の上を通り越して
青い大空へ抜けた。
下方に線路と花壇が並び、ベンチが散在して小さく見えた。
『芳子さん、迎えに来てくれたのか。それならもっと早く決断すればよかった。』
『だめ、許しをもらったから迎えに来たのよ。あなたは本当の仏様になるまで
いくつも、審判を受けながら修行をしなければならないの。
あなたが急に来るから、迎えに行ってよいとお許しがでたのよ。』
『それは誰から?』
『とてもえらい、永遠の存在……わたしたちは見ることができないけど、光のような明るさとやさしい心。生まれ変わるときまでその方の下で審判を受けながら修業するの』
『ほぅ、また生まれ変われるの?』
『そうよ、生前の行(おこな)いが立派であったと判断されて、そうしたいという希望があればね。わたしの三回忌までの法事をありがとう、昭男さん』
死後2年目の三回忌は、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)による審判期と言われる──審判というのは、地獄・餓鬼・畜生界に落ちた亡者の再審制度で、亡者自身が、後悔や反省をしても手遅れであるが、残された親族、縁者による追善供養や回向(えこう)(死者の冥福を祈る仏事)が、どのように営まれているかということで判断される──。
『芳子さん やさしくなったなー。仏様になったからかな』
『下の方を見てごらんなさい。あなたのそばに誰か来ている』
義兄は遠く公園の端から昭男さんの様子を見ていた。
昭男さんが芳子さんに会うと言って出たので、一緒に行ってやろうとついてきた。
ベンチに腰を下ろしていた昭男さんの後ろ姿が傾いて倒れる音がした。
近づいてみると、昭男さんがベンチで横になって外れた足を投げ出していた。
口をあけて、満足そうな表情で倒れていた……息が絶えていたのだ。
女物の数珠が手から外れて地面に落ちている。
『これでよかったのかい、昭男さん』
何事か決心したように、義兄は大きく息を吸い込んだ。
上着を脱いで、昭男さんにかけてやる。
それからゆっくり、自分の携帯電話をとりだした。
『わしが倒れても、救急車なんぞは呼ばないでくれ。病院では蘇生したくない。
呼ぶんなら━━わしが芳子さんのところに着いた頃にしてくれ』
、昭男さんから言われていたのだ。
─ おわり ─
愛しの芳子さん(改) tokuyasukn @tokuyasukn
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