山葵

深川夏眠

山葵(わさび)

 何だか回りくどい真似をする……と思った。親類が訪ねてくる予定だったから、腕によりをかけて、いくつも料理をこしらえたのに、急用が出来たと言って断られた、とか。

 帰宅した自分を待っていたのは萌葱もえぎの和服に割烹着姿で髪をまとめた妻で、座卓には翡翠のような色ガラスの酒器。胡坐あぐらを掻いたが、どうにも居心地が悪い。わざとらしい演出の陰には策謀がつきものだ。奸計と言ってもいい。

 料理が出てきた。マグロの赤身とアボカドの賽の目切り、わさび醤油和え。イカやらサーモンやらの手毬寿司、わさび多め。牛ステーキを一口サイズにカットして刻みわさび添え。……言わんとするところが呑み込めてきた。

「もういいよ、そんなに腹も減っていないし」

「少食ね。それともどこかで召し上がっていらしたのかしら。じゃあ、これでシメですわ」

 と、わさび茶漬け。職人の世界の言葉で、わさびを「涙」と呼ぶことくらい、知っている。私の気持ちを思い知れとでもいうつもりか。

 大振りな湯飲みになみなみと湛えられた、いつもの茎茶。まさかと思ったが、さすがにお茶はだったのでホッとしたのも束の間、

「あなた、これ」

 向かいに腰を下ろした妻が差し出したのは、予想通り、彼女の分だけ一切合財、記入・捺印の済んだ離婚届だった。



                 【了】



◆ 初出:同人誌『みどり芽吹く』(2016年)

*雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/TLDn0nxn

**縦書き版は

  Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山葵 深川夏眠 @fukagawanatsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ