応援コメント

1999年3月8日」への応援コメント

  • 電波少年のマツモトアキコですか?何気に見てました。懸賞生活のナスビ🍆も居ましたね(笑)
    当時のポーランドで人気だったんですね。デ・カルチャーですね。
    Σ ゚Д゚≡( /)/エェッ!
    国が違うと、何が受けるか分からないとは、この事ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    ここに登場したミロスワフとの交流は続き、後に『電波少年』が終了となる2003年までふたたび日本に留学し、今ではワルシャワにある日本の広告代理店で偉くなっています。

    とにかく彼は日本一の美人にマツモトアキコを挙げていました。日本留学中に見た『電波少年』で一目惚れしてしまったようです。はい、あのマツモトアキコです💦たぶんポーランド中探しても、日本人美人にマツモトアキコをあげるのはミロスワフただ一人だと思います💦
    (あ、そうそう。後にその名もアキコという名の日本人女性と結婚し、幸せに暮らしています😀)

    ポーランド人みたいなすましたクールビューティーより、歯を出して豪快に笑う松本明子のほうがいいそうです。松本明子が聞いたら泣いて喜ぶでしょう💦

  • 電波少年!懐かしい!松村邦洋さん、感染して大変な目に遭ってしまいましたね…
    ポーランドにそんな時代ってあったんすね、無学でして知りませんでした。
    学生が国を動かす時代ってもうないのかもしれませんね…

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    実は昨年8月、私もコロナウイルスに感染し生死をさまよいました。オミクロンについては当時のデルタ株よりも感染力が高い(けど、症状は軽い)ようですが、どうかご自愛のほどを!


    ここで登場するミロスワフというのも実在でして、実際彼はその後再度日本に留学し、『電波少年』が終了となる2003年まで東京にいました。今では某大手広告代理店のワルシャワ支店で偉くなっています。

    学生運動と聞くと、我々の祖父と父親の間の世代が、何やら大騒ぎしていた時代のことを思いますが、東ヨーロッパにおいては比較的最近まで学生運動が盛んでした。その若いエネルギーがベルリンの壁を引き倒し、天安門事件を起こしたことは注目に値します。

    「もう年寄り共には任せられねぇ!俺たちの力で国を変えるんじゃ!」

    ただ、革命というものは歴史的に見ても”やりすぎてしまう”傾向があります。全部一気にひっくり返すというのは無理があるのです。
    ソビエトの息がかかった東欧陣営が次々と資本主義化していった89年末を総称して「東欧革命」などと呼ばれますが、歴史の教科書はそこで話を終えてしまっており、その後どのようにして革命で出来上がったいびつさを是正していったかこそ、本当に注目すべき部分だと思います。


    改めまして、コメントありがとうございます。

  • 松本明子は、さすがに笑いました。

    でも、自分も嫌いではないです。
    干されて仕事のない時、石川ひとみのドレスを勝手に路上で売っていたとか。

    ミロスワフ氏に幸福あれ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございました!

    このストーリーは私の創作ではなく、
    ミロスワフという人物も実在で、
    私が初めてワルシャワに行った時に出会った、
    当時ワルシャワ大学の学生です。

    まさか彼の地ワルシャワで松本明子の名前を聞くとは思いませんでした(笑)。
    後述しますが、電波少年の猿岩石(現有吉)やドロンズなどの企画を見て、
    バックパッカーをやってみたいと思った世代なので、
    松本明子と聞くと、一緒に松村や出川が思い出されます。

    「何がいいのだ?」とだいぶしつこくミロスワフに聞きましたが、
    彼が挙げたのは「ポーランド人女性にない明るさ」でした。

    向こうは、いくらでも美人はいます。
    ただ広場に座っているだけで幸せになるほど、です。
    そういうのに飽きた男たちが求めるのは、
    松本明子のような破壊的な明るさなのかもしれません(汗)

    改めましてコメントありがとうございました!
    今後ともよろしくお願いいたします。

  • うわー素敵経験をされていたのですね。でもじゃじゃ馬娘=元気な女性(笑)
    間違って使わないか心配ですね。でも、それがきっかけで話に花開か…ないかも知れませんが(笑)

    作者からの返信

    いつもご愛読ありがとうございます!とても感謝しております!

    さて、“じゃじゃ馬”ですね(笑)。それは全部松本明子のせいです(笑)。その後ミロスワフとは、後年日本で再会するのですが、ある日本人のカノジョが出来たとき、「私は貴女のようなじゃじゃ馬が好きです」と言って相手を泣かせてしまったとか(笑)。それも私のせいではなく、全部松本明子のせいです(笑)。

    旅はポーランド第二の街クラクフへと続きます。ここでは二人の画家との出会いがありました!お楽しみに!

    コメントありがとうございます!