1999年3月8日

「卒業後に日本人の奥さんになる子が多いので、ここを”オヨメ学科”と呼ぶ人もいます」


 ワルシャワ大学日本語学科についてそう語るのはドジクル・ミロスワフ。去年まで筑波大学に国費留学をしていた25歳だ。

 <ワルシャワ大学には日本語学科があり…>というのをガイドブックの中に偶然見つけた。旅行者など入り口で追い返されるだろうと思ったが、意外にもポーランド最高学府はオープンだった。学食を食べて帰ろうとしたところ、日本語で声をかけてきたのがミロスワフだった。


「去年までは日本人の先生がいたんですが、今の後輩たちはネイティブに触れる機会がありません」


 だから暇なときにこうして日本語教師の真似ごとをしているんです、とミロスワフはよどみない日本語で切実な気持ちを語ってくれた。


「――よかったら今日日本語の先生になってみませんか?」


 あまりの飛躍にそれは困りますと答えたつもりだったが、ミロスワフが日本語学科の教室で呼びかけたところ案外暇な学生が多く、結局午後15人も引き連れてワルシャワ旧市街を歩くことになった。


「ジェンドゥブリィ!《こんにちは》」


 一夜漬けのポーランド語だったが多少の誠意を見せることはできた。

 <こんにちは>、<ありがとう>、<素晴らしい>。この3つの言葉に絞ったのは正解だった。「ごめんなさい」と言わなければならない状況など滅多に起こらないし、「さようなら」という代わりに「ありがとう」と微笑んだほうがよほどいい。


「バルゾドブジェ!《すばらしいです》」


 多少発音が怪しくても積極的に彼らを褒めることにした。大袈裟に喜ぶ俺を見て彼らは下を向いてはにかんだが、肯定的な言葉というものは発する側も気持ちがいいものだ。急にネイティブ講師という一段高いところに祭り上げられて戸惑っていたが、次第に彼らも積極的に日本語で話しかけてくれた。


「あ~、ポーランドは好きですか?」

「はい、とても好きです」


「あ~、あなたは学生ですか?」

「はい、私は大学生です」

「はい、わたしも大学生です」


 特に発展性のない会話が続く中、絶対に教科書に出てこない質問をしてきたのはミロスワフだった。


「この中でどの娘が好みですかな?」

「あの青い目のショートの子は何という名前ですか?」


 サファイヤのように澄んだブルーの瞳の名前をひとりぐらい覚えて帰っても罪にはなるまい。するとミロスワフはベルを鳴らす仕草をし、「(ご指名が入りました!)」と大声で余計な通訳をしようとした。慌てて野郎の口をふさぐ。別に嫁さん探しに日本語学科を訪ねたわけではない。

 ではわたしからも質問です、息を整えながら切り返す。


「日本の女性をどう思いますか?」


 ミロスワフはよくぞ聞いてくれたとばかりに目を輝かせると、つと遠い空を見て立ち止まった。


「皆さんとてもステキだと思いますが、やはりマツモトアキコさんが一番です」


 最初それは野郎が筑波大にいる間にこしらえたカノジョの名前かと思った。


「いいえ、違います。『電波少年』という番組で司会をしています」


 紛うことなきあの「松本明子」である。その後もミロスワフは「マツモトアキコ」とその名をなぞるたびに、首を左右に振ってニヤニヤしていた。


「ポーランドの女性はクールな人が多いですが、僕は明るい女性が好きなんです。マツモトアキコさんを見るととても元気が出ます」


 その松本明子はずいぶん前に元気あまって生放送中に卑猥な4文字をメインカメラに向かって叫び、しばらく業界から干されていたことを知っているのだろうか。


「ところでああいう女性のことを日本語でなんといいましたか?ナントカ牛とか馬とかだったと思いますが」

「じゃじゃ馬のことですか?」


 ミロスワフははばかることなく「そうそう、じゃじゃ馬!」と声を上げて手を打った。あまりにも喜ぶので「じゃじゃ馬ッ!」とメモ帳に記して持たせてやった。彼はニンマリ笑うとそれを大事そうに財布にしまった。

 後から考えると、彼はそれを無邪気に「元気で明るい女性」という意味に理解したのだろう。将来両国の橋渡しとなり「わたしはあなたはのような”じゃじゃ馬”が大好きです」と大和なでしこを傷つけたとしても、それはぜんぶ松本明子のせいだ。



「――ワルシャワ大学の校舎は学科ごとにバスで数駅離されています。なぜだか分かりますか?」


 陽も落ち、ミロスワフら数人と大学近くのバーで乾杯した。首を振る俺に彼は続けた。


「学生が一か所に集まって政治運動やデモを引き起こすのを防ぐためなんです」


 ジョッキを置くとミロスワフは目を細めた。

 1968年学生や知識層が中心となり民主化を求めた「三月事件」が勃発。89年の円卓会議で共産体制が崩壊するまで、ポーランドの民主化運動において常にその震源地になってきたのがワルシャワ大学である。

 NATO加盟を果たし、西側入りを祝うポスターが街のいたるところに張られていた。社会主義敗北から10年。国家が声高な学生を恐れるという時代は過去のものとなった。

 旧市街を案内してくれた学生たちは本当に気さくな連中だった。

 ようやく勝ち取った自由な1ページに何を書き始めるか。その震源地として今後の彼らに期待したい。

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