ゆびさきを切り刻まれても

残響

第1話「陰茎病」

 ヤバみの極致!百合がこの世から無くなってしまいそう!

 困った困ったこれは困った、他でもないこの百合恋愛中のわたしが困った!現在進行形でこの困りが積載しまくり現象で、ふん詰まってしんでしまう!


 なぜ百合がこの世から無くなるか?

 それもこれもぜーんぶ、あの奇病「精神固形化の先端隆起における過敏性症候群」のせ・い・だ!


「むつかしい言葉で表現してるけど、要は陰茎病のことよね」

「ファマーーーーーッ!穢れた言辞!」


【いんけい(陰茎)】動物の雄の生殖器にみられる円柱状の突出部。男根。ペニス。(小学館『現代国語例解辞典(第三版)』)


 わたしは手に持ってた国語辞書を病室の床にビシャーンと叩きつけた。

 ベッドに横になっている唯湖(ゆいこ)は、わたしをジト目で流し見しながら、

「病室でやかましいわよ、葵山楓子(アオイヤマ・カエデコ)氏」

「なぜにフルネームで呼称するか」

「貴女のようにうるさい存在を機械的デリートするには、正式名称でコールするのが似つかわしいと思わない?」

「理系~。指先がち●こ化してるくせに」

「セクハラ&モラハラ、その上、前半部(理系)と後半部(くせに)に、何の因果関係もない煽りっていう三重ハラスメントね!楓子氏のゴミ!」

「いやぁ、元気そうでよかった」


 京都に住んでるわたしが、唯湖が病気を発症し倒れ、入院したと聞いて、両日中に新幹線&高速バスで山梨のこの病院に弾丸特急した。疲れた。


 ※京都駅新幹線最終便→新宿バスターミナル→(途中、富士山周辺の山脈や湖)→山梨甲府駅→郊外の病院、という旅程。実際やればわかるが、短時間で結構な大移動である。


 久しぶりに唯湖の姿を見て、確かに病気のせいだろうか、前の唯湖にあった生気が、いくらか失われているのがわかった。

 気落ちするのは当然である。なにせ、


「しかしまぁ、唯湖にもとうとう発症するとは」

「世界の終わりね」

 そう言って、唯湖は右手に巻かれた包帯を取り始める---

「……あー、そうシリアスになるなら、わざわざ取らんでも、と思うの心」

「正直、私が貴女に恋してるのはね、理由は、大きく分けて三つ。ひとつ、仕事兼趣味に対して全身全霊全力だ、ということ。ふたつ、恋び……と、のためなら、倒れた次の日に全部すっ飛ばしてここまで来てくれるよな行動力」

 彼女は、しゅるしゅると、詩を吟じるようにして、右手の包帯を外していく。

「シリアスはやめい、っちゅーにな……」

「そして三つ目は、いつも最終的に、私を笑わせてくれる、ところ」


 唯湖の右手の人差し指は、どこからどう見ても、屹立し隆起した陰茎(ペニス)であった。



 唯湖は「どろん」とした目をして、陰茎(男根)と化した右手の指先を見る。

「どろん」とした、というのは、言い換えれば「死んだ魚の目」。

 あるいは、「もうだめだ」という言葉が今にも形のよい唯湖の唇からするすらりと出てきそうだ、というか。


「楓子氏、もうだめだわよ私……」

「思った通りのセリフを吐きやがって……。ええと、違和感……はバリバリ有りまくるよな。日常生活には……ええと、支障ありまくりだよな……」

「大体ここで私たちが想定出来るレベルのは、起こりうる範疇よね……世界の終わりだわ……」

「……陰茎病かぁ……唯湖がそうなるとはねぇ……」


「精神固形化の先端隆起における過敏性症候群」

 通称(俗称)、陰茎病、ペニスシンドローム、ち●こ生え、勃起人間、ナチュラルTS(トランスセクシャル)……どれも結構ひどいな俗称。しかし、正式病名がさすがに長いので、以後「陰茎病」で通す。 

この陰茎病は、数ある症例の中のひとつ。

」の中の、ひとつ。


 わたしたちが生きるこの現代っていうのは、実は世界の終わりが近づいてるんじゃないか、っていう世界的不安がある。

 お察しの通り、自然汚染・災害が、日に日に大きくなってる、っていうのもさることながら。しかし、絶望的な全面戦争はまだ起こっていない。

 代わりに、全世界的に「奇病」が、物凄く発症しやすくなったのが、いまの現代社会だ。


「天使病」……背中に白い羽根が生え、その美しさの分、精神が崩壊していく、統合失調症の悪夢。

「蜘蛛の糸症候群」……その人のいわゆる「才能」と呼ばれるものだけが、ある日突然この世からさっぱり消え失せてしまう、奇妙な現象(アスリートの両足が、起床時に突然切断されている、など)

「オート美食」……通常、美味しいとされる料理、食物が一切体に受け付けず、その代わり他人の嘔吐オウト……吐瀉物、排泄物しか摂取出来ない地獄。


「それに比べれば……って言っちゃいけないのかもしれないけど、私のこの右手ち●こは、まだ良いのかしら」

「良くはないぞー、良くはないぞー」

 唯湖が強がっているのは、どう見ても明白だった。

 それでも、その強がり……言い換えれば「毅然としていようとする精神の誇り高さ」こそが、わたしが唯湖にベタ惚れな理由なのだから仕方がない。唯湖の本質は騎士だから。


 しかし……右手の指が、ねぇ。

 唯湖は言葉を漏らした。

「グロいわね」

 その言葉が、まさに今回の状況のすべてを表していた。


 陰茎病による精神の混乱を落ち着けるのと、日常リハビリ。そのために唯湖は病院に入院している。

 むしろ、入院2日目にして、一応は落ち着けているのだから、唯湖の騎士的な態度をしっかと認めるべきなのだろう。


 唯湖の流れる黒髪。平安時代の姫君のように、切り揃えられていて、それが病院着にしゃらりと垂れかかっている。ああっ撫でたい梳かしたい。

 まったく白い肌、怜悧な知性を感じさせる瞳。背は普通くらいだが、スマートの権化のような体つきである。

 なぜ唐突に唯湖の外見描写をするか?もちろんわたしの唯湖を愛でるためである。


「……というのが今のわたしに見える唯湖の様子です」

「あはーはーはーはー(呆れた顔)、それを聞かされて私はどうすんだ、って話よ」

 唯湖は右手でわたしのデコをこつん……としようとして、右手を引っ込めて、左手で同じ行為をした。

 その意味がわからんわたしではないから、

「うわーん、唯湖がわたしをぶったー!」

「恋人をぶつ為に私は生まれてきた、ナチュラルDVウーメンよ私は」

「このターミネーター!」

「あはは。……笑ったけど、よく考えたらその返しはちょっと意味不明ね……」

 そう言って、再びあはは、と笑った唯湖なのだった。

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