3)韻律について

 ようやく本論の一つに入ろう。


 Tolkienは作品中ですべからく韻律を大切にかつ執拗に守っている。英詩でのその伝統は現在にも受け継がれ、Mother Gooseの様な子供向きと考えられ得ている伝統的な戯れ歌や、米国で盛んなロック、ブルース、ラップなどの歌詞にも多くの場合、踏襲されている。欧米の楽曲は(多分)、韻律の面白さがないと大衆にも評価されなのではないだろうか。英米人は会話中にも好んで韻を踏む人も居る。ロックバンドのEaglesの歌詞には完全に韻を踏んでいるものが多いことが知られている。日本人である我々でも(私もそうであるが)、韻律を持った英語のからくりを意識すれば楽しむことは可能である。


 論じている四行で構成される節(スタンザ)の韻は次のように踏まれている。


 X A

 Y A

 B B

 Z A


 ここでAとBは韻を踏んでいる語句である。

 第一節から韻を踏んでいる脚尾の語句のみ見ていくと、その面白さと巧妙さが分かるだろう。


 X Cold

 Y  Old

 Away Day

 Z Gold


 X Spells

 Y  Bells

 Deep Sleep

 Z  Fells


 X Lord

 Y Hoard

 Wrought Caught

 Z Sword


 X Strung

 Y Hung

 Fire Wire

 Z Sun


 ・・・

 X Themselves

 Y Delves

 Long Song

 Z Elves


 X Height

 Y Night

 Red Spread

 Z Light


 X Dale

 Y Pale

 Ire Fire

 Z Frail


 X Moon

 Y Doom

 Hall Fall

 Z Moon(初行と同じ言葉Moonである。ここはTolkienにとっては暫定的な韻ではなかったか?私が作者ならばそうである。後にも他の言葉を探し続ける)


 X Grim

 Y  Dim

 Away Day

 Z  Him


 映画「Hobbit」で最後に挿入された主題歌は、この原詩の形式が踏襲され、映画製作者と歌手による秀逸な二次創作的な歌詞となっている。そこで踏まれているパターンも同様である。初節四行は特に優れている。聞いたとたんに情景が目に浮かぶからである。


Far over the Misty Mountains rise

Lead/leave us standing upon the height

What was before, we see once more

Is our kingdom a distant light

("Song of the lonely mountain", performed by Neil Finn)


  遥か霧山がそびえ立ち

  我らはその高みに導かれる

  嗚呼、確かにそこにあった

  遠い光のゆらぎの中に、我らの王国が


 2行目の始まりは leave us とされているが、実際の歌はlead にも聞こえるので両方記した。トールキンの原作を敬ったか、全く同じ韻を踏んでいる。


 X Rise[raiz]

 Y Heights[haiz]

 Before More

 Z Lights[laiz]


 実は出版されたCDのパッケージに添付されたこの主題歌の歌詞が印刷されているのだが、歌われた歌詞と比較すると、ネーティブスピーカにとっても謎の点があるということが分かった。lead/leave も一例だ。

 重要と思うのは、中盤のサビで歌われる部分に対して添付された歌詞には、


  (2行分のハミングのコーラスの後)

 We must awake, and make the day

To find a song for heart and soul


   我らは目覚め、一日をまた生きるために

   心と魂の歌を求めて


とあるのだが、曲の流れとして前述した法則の3行目、4行目にあたるので、


B B

Z A


となる部分である。


 最初の2つの行はコーラスによって歌詞無しで演奏されるので、We must...の行は3番目の法則に則るべきである。

 しかし印刷された歌詞では、その行のawakeはその次のdayとは韻を踏んでいない。歌手の声を聞いて見ると、語尾をフェードさせており、awakeともawayとも聞こえる。私よりも耳が良い私の妹にも聞かせたが、判別は出来なかった。


 Tolkienの原詩ではこの部分に当たるところは、法則「B B」に該当し、特に最初の節では次のようになっている。


 We must away , ere break of day (我々は夜明け前に遠くまで行かねばならぬ)


とあり、韻律的にもTolkienの作詞法則でもAwakeとされた語句はAwayでなくてはならない。


  We must away, and make the day

To find a song for heart and soul


   我らは旅立たねばならぬ、そしてその日を迎えなければならない

   心と魂の歌を求めて



 意味もおかしくない。

 というか、We must awake と We must away が変わっただけで私は訳文を変えねばならなかった。毎日の「目覚め」でその日の旅を有意義な旅に終わらせなければならない、という意味に対し、We must awayで「ついに旅立ち」、make the day:「その日を記念すべき日にする」という意味合いが強くなるからだ。

 映画「ダーティ・ハリー」の台詞で、


 Go ahead, make my day!

引き金を引けよ、俺の記念日にしてくれよ!


という文句をご存知だろうか?


 CDの付録の歌詞を拾った人は、Awayのあまりない使い方(Go動詞を省いているか、ドイツ語の"Ich muss weg" (I must away)(出典*)に見られる文法を用いて古風な感じを出しているか、ともあれ「遠く離れて」というニュアンスを残す)を嫌ったとも思われるが、主題歌のここ以外の部分はちゃんと前述の法則に従って作詞されているのである。この法則は作詞者ならば絶対に崩さないし、崩すなら他の語句の使用を考えただろう。文学の創作者が自分に課す厳しさを知らない人が担当したと思われる。ただ、作詞者達がこれを黙って見逃しているということは、うがってみれば歌手と作詞者の間のフアンを戸惑わせる遊び、あるいは微妙な歌唱をして古来行われてきた典型的な二重の意味を伺わせる明確な意図があるではないか。


 余談ではあるが、私は添付された歌詞の誤植と思い、インターネット上に有る海外のTolkienフアンが主催する掲示板にこの疑問を質問してみた。すると主催者から返答があり、(英語で)「ここは曲を聴いてもどちらの語句を歌っているのか私にも分からない。私はCDに添付された歌詞に従う」とあった。

 英語を話す人にとってもこの様なことが起こりえるということを知ったのは至極愉快である。


出典*)http://en.wiktionary.org/wiki/Talk:away


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