Station:10 地獄二番街駅
◉
おれの名前は広瀬スズ。
神奈山県横花市の学校に通う、メロンクリームソーダを何よりも愛する普通の高校一年生だ。
いつからだろうか。
学校の行き帰りで乗っていた地下鉄が。
『異世界』に迷い込むようになったのは……。
きっかけは工藤アスカだったと思う。
部活が終わったその日。
いつもの地下鉄に乗り込むと、同じ車両に工藤アスカと乗り合わせたことがある。
つり革を掴んで立っていた工藤は、イヤホンで音楽を聴きながらスマホの画面を凝視していた。同じ車両にクラスメイトのおれがいることに、まったく気づいていない様子だった。
──うちの学年で一番可愛い女子って誰だ?
部活終わりに、部員の誰かがくだらない議論をふっかけてきたことがあった。
おれは議論に参加する気がなかったから無視していたのだが、「で、広瀬は誰なんだ?」としつこく訊いてきたものだから、てきとうに頭に浮かんだクラスメイトの女子の名前を上げた。
──それが工藤アスカだった。
工藤はおれの中で印象に残る存在だった。
前髪ぱっつんの赤縁眼鏡に、小柄で華奢な体型で、胸は控えめ。
運動や勉強はそこそこ。
おれの知る限りどこの部活にも入ってない。
友達もいない。
なにが不満なのか、学校にいる間、ずっとムスッとしていて、笑ったところをあまり見たことがない。
休み時間とかは誰とも絡まず、教室の端っこでスマホをいじってばかりいる所謂『ぼっち』に徹底している。
この勢いだと、マジで便所メシとかしているんじゃないかって心配するぐらい、クラスでは浮いた存在だった。
可愛いか可愛くないかっていったら、結構可愛い部類だと思う。
まつ毛は長くて目もクリッと大きいし、もしかしてハーフなのか? ってぐらい派手な顔をしている。テレビに出てるアイドルとか芸能人の誰かに似ているって思う。
だけど、ずっと不機嫌な表情を浮かべていて、学校にいる間は、誰ともまともに会話していないものだから、クラスや先生たちからは『何を考えているよくわからない奴』というキャラレッテルを貼られてしまっている。
よーするに。
見た目はそこそこ可愛いけど、近づき難い残念なヤツということだ。
そんな残念キャラの工藤と電車が一緒になったところで、とくに絡むこともないから、おれはあえて気づかないふりをしていた。
そしたら、だ。
「げ! まただ」
突然、工藤が独り言をつぶやいた。
そこそこの声のボリュームだった。
工藤の独り言をきっかけに、車窓の外の景色が変わっていることに気づいた。
よく見ると、車窓の外が横花市の街の景色じゃない。
どこだ、ここ?
火山に。
砂漠に。
でかい鳥……いや、ドラゴンが飛んでいるぞ。
え?
え?
ドラゴン?
は?
どういうこと?
《この度は【横花市営地下鉄 異世界アクアライン】をご利用いただき誠にありがとうございます。次は『地獄二番街』に到着です。お出口は左側となります。Ladies and gentlemen.We will soon make a brief stop at JIGOKU 2nd.The exit will be on the left side.Thank you.》
突然、車内アナウスが流れた。
地獄二番街?
聞いたことないぞ、そんな駅。
っていうか、ここマジでどこだよ!
いつの間にか乗客がおれと工藤だけになっているし、一体何が起きたんだ?
「おい、工藤! ここって……」
テンパったおれは、思わず座席から立ち上がって工藤に声をかけた。
すると、電車が止まった。
電車は止まると、地獄二番街駅のホームで扉が開いた。
工藤はイヤホンを外さないまま、ぶつぶつ文句をつぶやきながら、一人で降りた。
「待てよ工藤!」
俺は工藤の後を追いかけ、電車を降りた。
──どこ行くんだよ。
ここ、絶対普通の場所じゃないぞ!
一人でいたら絶対危ない!
《あの子を追いかけたらダメだぞ》
工藤の後を追いかけようと、おれはホームに降りた。
ホームに降りた瞬間、おれは不意に誰かに呼び止められた。
振り返ると、ホームの真ん中にあるベンチに、ジャケット姿に口髭を生やした老人が座っていた。
《追いかけると、あんた死ぬぞ》
老人はおれをじっと見つめてきた。
おれは老人を無視して工藤を追いかけようとしたが、一瞬目を離したすきに工藤の姿が視界から消えていた。
「くそ! なんなんだよ、あんた!」
クラスメイトが目の前から消えた焦りからか、初対面の老人に向かって暴言を吐いた。
老人は顔色ひとつ変えず、冷静な眼差しでおれを見据える。
《あの子はな、『特異体質』なんだ》
落ち着いた口調で、老人はおれに向かっていった。
特異体質?
何いってるんだ、このじいさん。
《異世界に迷い込む特異体質だ。あのまま追いかけているとな、あんた帰って来れなくなるぞ》
「……あんた、誰だよ」
《たまにあんたみたいに迷い込んだ若者に、親切にしてあげることを生き甲斐にしてるくたばりぞこないさ》
ぎぇえええええー!
彼方からドラゴンらしき獣の鳴き声が聞こえた。
《心配するな。1時間後には現実行きの電車が来る。それまでここで待ってればいいさ》
老人は手招きし、自分の隣に座るように促してきた。
おれは老人の前に立ち、じっと老人を見下ろす。
《あの子のことは心配いらん。もうすっかり異世界に慣れてるから、観光でもして1時間後には帰ってくるだろ》
「なんで、あんたにわかるんだ?」
《よく見たからな。ああいう無自覚に異世界に迷い込むタイプってのをな》
老人は両膝に両肘をつけ、前のめりの姿勢になると深く息を吐いた。
《白ウサギを追いかけて落とし穴に落ちたり、嵐に巻き込まれて異国に飛ばされたり……異世界に飛ばされる女の子っていうのは、決まって自分のせいじゃないと思い込んでいる。異世界に迷い込むのは体質のせいだっていうのに、自覚がないんだろ》
老人はそういうと、ジャケットの内側に手を入れてた。
ジャケットの内側から、老人は一枚のグレーの『カード』を取り出した。
カードの表面には、ピンク色のポップ体フォントで『PASUKA』と『異世界⇆現実世界』と印字されていた。
これ、もしかしてIC乗車券のPASUKAか?
《このPASUKAは、異世界と現実世界を行き来することができる異世界アクアラインの乗車券だ。これさえ持っていれば現実に帰ることはできる》
老人はPASUKAを指2本で掴むと、おれに向けた。
《あの子の特異体質はどうすることもできないぞ。あのままあの子のあとをおいかければ、あんたは一生異世界に閉じ込められて現実に帰ることができなくなってしまうかもしれん》
「……あの子……工藤のことか?」
老人がこくりと頷いた。
《どうもあんたは、あの子の特異体質に巻き込まれて、異世界に流れ着いたみたいだ。あんたはこの乗車券さえあれば、二度と異世界に迷い込むことはない》
「このカードがあれば、工藤も異世界に迷い込むことなくなるのか?」
老人はかぶりをふった。
《いっただろ。あの子は特異体質だ。どうすることもできない。いずれあの子は異世界に頻繁に迷い込んだとして、異世界の駅員たちから『無賃乗車客』として処罰されることになるだろう》
「……処罰?」
《駅の『一部』にされるんだ》
ぽんぽんと老人はベンチを手で叩いた。
……うううう。
どこからうめき声が聴こえた。
人間のうめき声だ。
かすかに声が老人が座っているベンチから聴こえたような気がする。
ベンチのそばに誰かいるのか?
おれはベンチのそばに誰かいるのか確かめようとして、ベンチの裏に回ってベンチ下を覗いた。
ぎょっとなった。
うううううううう……。
ベンチの下に人間の顔が埋め込まれていた。
顔は、地面を見つめるように埋め込まれていて、うううとうめき声を漏らしている。
《この『ベンチ』はな、特異体質だったが故に異世界への無賃乗車を繰り返してしまってな。3年前に乗車料支払いのために『ベンチ』にされたんだ》
おれは老人の手にあるPASUKAを受け取った。
「工藤も……ベンチにされるのか?」
《わからん。だが、『異世界の駅員』は、たとえ特異体質持ちだからといって容赦はしない。無賃乗車を繰り返した人間は、地の底まで追いかけることは絶対だ》
はっきりとした口調で老人は言い放った。
「このPASUKAを渡せば、工藤は異世界に迷い込まなくなるのか?」
《やてておけ。そのPASUKAはあんたみたいに異世界に迷い込む体質のない人間が持てば効果はある。だが、あの子のような特異体質持ちには意味はない。それどころか》
老人は口に手を当て、ふぅーと深く息を吐いた。
「PASUKAの効果はなくなって、あんたも現実に帰ることができなる危険もある》
低い声色で老人はおれにいった。
警告する意味をも込めて、強い口調で老人はいった。そうおれは感じることができた。
《今はまだ駅員の連中に気づかれてないようだから、あの子も現実世界にまだ帰ることができるみたいだが……いずれはバレるのも時間の問題だ。悪いことは言わん。あんたはそのPASUKAを持って、さっさとあの子に関わらんことだ》
おれは受け取ったPASUKAを手に持って見つめる。
工藤とおれほ、まともに会話をしたことがあるほど、仲が良いわけではない。
恋人でも、ましてや友達ですらもない。
ただの知り合い程度の関係性しかない。
──だけど。
「そんなの無理だっつーの」
おれはPASUKAを制服のポケットに入れて、老人に背を向けた。
《なぜだ? あの子はあんたの恋人だからか?》
おれは老人に背を向けたまま、改札口に向かった。
いつ、その『異世界の駅員』とやらが、異世界に無賃乗車する工藤の存在に気づくかわからない。
それまでに、おれにできることは何か?
この異世界のことを『調べる』ことが、おれのできることだ。
この異世界のことを少しでも理解しておけば。
工藤のことを助けることができるかもしれない。
──どうしてそこまでするのか。
工藤は恋人でもなければ友達でもない。
ただのクラスメイトだ。
あの老人のように、おれには工藤を助ける理由やメリットがないのかもしれない。
──でも。
クラスメイトを見捨てる理由は、おれにはない。
「ったく、部活帰りだってーのに骨折らせるなよなぁ」
おれは独り言をぽつりとつぶやき、地獄二番街の改札をPASUKAを使って抜けた。
To be next station....
横花市営地下鉄 異世界アクアライン 有本博親 @rosetta1287
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