そして十二時の鐘は鳴った

秋雨千尋

いじわる継母になっちゃった!

 ピピピピ。

 体温計の鳴る音、青ざめた顔をするお母さん。表示された数字に頭を抱える。


「はい。はい、すみません。娘が熱を。はい。そうですよね、すみません」


 スマホに謝り続ける、悲しそうな声。

 肩を落とした背中が、泣きたいと言っている気がした。


「お熱出してごめんなさい」


「桜、ごめんね。午前中はどうしても無理だって。病児保育もいっぱいで。お父さんにもメールはしたんだけど」


「大丈夫だよ」


「お義母さん達は『仕事休め』の一点張りだし。もう、どうしてこんな日に!」


「ごめんなさい」


「桜が悪いんじゃないわ、どうしよう……」


「わたし、ちゃんと寝てるから」


「駄目よそんなの!」


「頭に冷たいの貼って、お薬飲んで寝てるから」


 ぬいぐるみを抱きながらそう言うと、お母さんは泣き出しそうな顔をして、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 枕元には、大好きな【シンデレラ】の絵本が置かれた。


「絶対に玄関を開けないのよ? お水飲むのよ? トイレも我慢しないのよ?」


「はーい」


 お母さんは何度もわたしを見て仕事に出かけた。


「お仕事だから、仕方ないの」


 自分に言い聞かせて絵本を開く。シンデレラがいじめられて泣いているシーンがやってきた。

 継母ままははの意地悪さに腹が立つ。

 血が繋がってないからって、あんまりだ。


「こんなお母さんで、シンデレラが可哀想……」


 絵本の真ん中から光が伸びてきて、わたしの体を包み込んだ。


 +++


 気がついたら、広い家の中にいた。

 熱はすっかり引いている。

 保育園ともスーパーとも違う。どこだろう?

 歩いていくと大きな鏡を発見した。中に居たのは大人の女の人。

 綺麗なドレスを着ているけど、キツネみたいに細い目が釣り上がっていて、口元は平仮名の「へ」の形で固まってる。

 頰に刻まれたシワの数、一、二、三。


「シンデレラの継母!?」


 桜は驚いて腰が抜けてしまった。


「そんな。シンデレラの世界に入っちゃったの!?それも意地悪な継母に?」


 混乱する頭を抱えながら、ヒロインを探してお家の中をぐるぐる回る。ちょうど暖炉の灰を掃除している所だった。


「お継母かあ様っ!すぐに終わりますから」


 振り向いたシンデレラは小顔で色白。大きな目に長い睫毛の金髪美少女。

 ボロボロの服を着ても光り輝いている。

 早く綺麗なドレスを着せてあげたい。魔女がやって来て、カボチャの馬車をネズミの白馬が引いて、お城の舞踏会に行くのだ。

 わたしは意を決して、継母を演じる事にした。


「今夜は舞踏会だけど、あんたは掃除をしておくんだよ!」


 シンデレラが背後で泣いている声がする。

 胸が痛むけど、辛い思いをしないと魔女が来てくれないから仕方ない。

 ふと窓を見るとフクロウがクチバシで突いている。

 手紙を持っているようだ。


『娘が熱を出したので休みます。 魔女』


 ダメダメ!

 シンデレラはもう限界なの。今夜のパーティーを逃したら二度とチャンスは無いかもしれない。

 ちょっとでいいから来て、魔女さーん!


 脳裏に浮かぶ、謝る母親の姿。


『はい。はい……すみません』


 そうか、“お仕事”とはこういう物で、運動会の組体操みたいに皆で力を合わせているんだ。

 いきなり休むと誰かの運命が変わってしまう。

 一つ賢くなった心地で、力強く床を踏みしめる。


「わたしが魔女の代わりをするしかない!」


 まず意地悪な娘達とドレスを買いに行き、シンデレラの分もこっそり確保する。

 次にカボチャの馬車を用意するのだが。

 所有している馬車は茶色で四角。どう見てもカボチャに似ていない。


「塗るしかない!」


 倉庫からオレンジのペンキの缶を持ち出し、デッキブラシでバシャバシャ塗りまくる。

 仕上げに本物のカボチャを飾り付ける。

 作業が終わる頃には、汗だくになっていた。


「──って、白馬いないじゃん!!」


 飼っているのは黒毛の馬。流石に生物にペンキを塗るのは可哀想すぎる。いくらシンデレラの為であっても。

 悩んだ末に、目の所に丸く穴を開けたベッドシーツを被せてみる。


「うん、遠くから見ればギリ白馬」


 夜だから誤魔化せるだろうと安心して水を口に含み……


「ガラスの靴!!!」


 盛大に吹き出してしまった。

 一番肝心なアイテムが足りていない。ガラスの靴無しのシンデレラなんてルーの無いカレーだ。

 急いで靴箱に走り、一番綺麗な靴を布で磨く。ゴシゴシ。まだまだ。ゴシゴシ。

 全然キレイにならない。


「どう頑張ったって、ガラスになるワケないじゃん!」


 涙がぽたぽた靴に落ちる。

 シンデレラが舞踏会に行けなくなったら、誰のせい?

 お仕事を休んだ魔女? 急に熱を出した魔女の娘?

 ううん、二人は悪くない。運が悪かっただけ。それなら悪いのは──


「ここであきらめちゃう、わたし!」


 外に出て石を掴んで、窓ガラスを一枚粉砕する。

 靴にノリをベタベタ塗って、ガラスの欠片をくっつけていく。

 指先が切れたら包帯を巻いて、休まず続ける。


「待っててシンデレラ!」


 灰を被りながら泣いていたシンデレラの前に、カーテンを体にまとって現れる。

 えん、完璧な変装だ。


「お継母かあ様?」


 いきなりバレた。名探偵シンデレラ。

 でも誤魔化すしかない!


「えーコホン。わたしは魔女です。あなたを魔法で変身させてあげましょう!」


 そう言ってドレスと靴をテーブルに並べた。

 シンデレラはキョトンとしている。


「あの……」


「この先はセルフサービスとなっております。さあ着替えて着替えて」


 シンデレラは怪しい視線を送りながらも、とりあえず着てくれた。だがブカブカだ。


「さ、さあ、この靴も履くのです」


 ノリで貼り付けられたガラスの欠片は、時間の経過と共にボロボロと落ちて、見る影も無くなっている。

 でも押し切るしかない!


「あなたを王子様の元に導くガラスの靴です!」


「はあ……」


 シンデレラはガラスが中に入っていないのを確認して、仕方なさそうに履いた。これまたブカブカだ。

 だってサイズなんて本に書いてない。知らないよー!


「カボチャを馬車に、仲良しのネズミを白馬に変えました」


 雑に塗られたペンキが中途半端に剥がれて、ハロウィンの仮装のような不気味さを醸し出している。

 白い布は馬のお尻にかろうじて付いている。


「さあ行くのです! その美しさで王子様のハートを掴むのです! そうそう、12時の鐘が鳴ったら魔法が解けるので気をつけて」


 既にほぼ解けている魔法の数々を黙って見つめたシンデレラは、それでも馬車に乗り込んでくれた。

 優しい。さすがシンデレラ。

 走り出した馬車から顔を出して彼女は言う。  


 「おかあさま、ありがとうございます」



 シンデレラを見送りながら、わたしは晴れ晴れとした気持ちだった。

 それは初めて『お仕事をした!』という充足感だった。


 その体を光が包み込む。



 布団の中で目を覚ましたわたしは、ヨダレが垂れた絵本を拭く。

 なんだ夢だったのかと残念に思っていると、内容が変わっている事に気がついた。


『王子様は、体に合わないドレスを身にまといながら、それでも自信に満ちた笑顔が美しいシンデレラに一目で恋に落ちた』


『ガラスの靴はブカブカ過ぎて、ダンスの途中で脱げてしまったが、二人はそれすら笑いあった』


 まるで違ってしまった展開に、ちょっとだけ罪悪感を覚えたが、物語は無事にハッピーエンドを迎えている。

 良かった……。

 大好きな本をぎゅっと抱きしめた。


 その時、玄関のドアが開いた。


「桜! なんとか昼前に帰れたわ。ゼリーとかプリンとか買ってきたから!」

「桜! 大丈夫か? 皆にこぞって帰れって言われてな。ゼリーとかプリンとか買ってきたぞ!」


 お母さんとお父さんが揃って帰宅した。

 そして十二時の鐘は鳴った。魔法の時間は終わり、家族の時間が始まる。



 完

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そして十二時の鐘は鳴った 秋雨千尋 @akisamechihiro

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