4-7 三猫銀行本店ビル十二階

──「三木本商事子会社、三木本Iリサーチ社の社員は実質、私と平のみで始まりました。皆様ご存じのとおりに」──


 イヤホンから、吉野さんの演説が聞こえてきている。


 俺が率いる潜入チームは、注意深く進んでいる。三猫銀行本店ビル十二階の廊下を。この土壇場で見つかってつまみだされたら元も子もない。だから俺はもうスマホ画面を見ていない。音だけ聞きながら、左右の人影に注意しながら、ゆっくり進んでいる。キラリンが指し示す会議室「椿つばきの間」に向かい。もちろん、俺達は無言だ。


「異世界での見聞は当然、私達を通してのみ皆様に伝わっています。一時関わっていた川岸課長や、現Iリサーチ社配属の栗原課長補佐からも情報は上がるでしょう。ですが彼らが案件に絡んだ頃には、私と平はすでに、異世界で大きな秘密を握っていました」


 ほのめかしていた謎の存在に、吉野さんは取締役連中の興味を持っていっている。注意深く。


「で、その秘密とは」


 ぶっきらぼうな口調だがその実、副社長は興味津々の声色だ。


「はい、鉾田副社長。異世界は剣と魔法の世界。多種多様な種族が暮らし、現実世界とは全く異なる価値判断で動いています。実際、平は現地人から個人的にダイヤの贈与を受けております。……ごく少量ですが。向こうでダイヤは、全く無価値で放置されていたので。平とダイヤの関係については、皆さんもよくご存じですよね。どこからともなく情報が漏れましたし」


 皮肉を込めて告げる。


「ですがダイヤなど、この秘密に比べれば、取るに足らないものでした」


「ご主人様、横のドアが開くよっ!」

「パパ、こっち」


 キラリンが、俺とキングーを小部屋に導いた。胸から顔だけ出したレナが、周囲をきょろきょろ見回している。


「なんだかごちゃごちゃした部屋だねー、ご主人様」

「ここは多目的室だよ、パパ。……まあ実質物置だけど。大震災時の備蓄とか」


 たしかにキラリンの言うとおりだな。長期保存水や乾パン、ヘルメットなどが積み上げられているし。


「危ないところだったな」


 二、三人がなにか話しながら、廊下を歩いているようだ。


「レナが気付いてくれて助かった」

「しばらく隠れていましょう、平さん。彼らが消えるまで」

「そうだな、キングー」


──「君と平シニアフェローは以前、『魔法』のようなものを探していると言っていたね。それが見つかったということかな」──

「はい。鉾田副社長」


 三木本商事役員会議室にざわめきが広がるのが、イヤホンから伝わってきた。


「それはなんだね。我が社の利益にどれほど貢献する」


 がっついてやがる。でも吉野さん、どんな大風呂敷を広げるつもりなんだ。俺にもさっぱりわからない。


「魔法的な効果を持つアイテムはありました。それはいずれ稀少鉱石のように価値を持つでしょう。ただ……鉱物のように一箇所にまとまっているわけではなく、出会いと偶然が必要で、採掘して商業化するのには無理があります。価値は高いとしてもあくまで、副産物程度の認識をしておいたほうがいい」

「魔法系アイテムでないとしたなら、それはなんだね。価値を持つ物は。はっきり言い給え」

「それは……」


 吉野さんは、俺のために時間稼ぎをしてくれている。この散々っぱら回りくどい大演説も、そのためだろう。


「それは……多種多様な種族間の繋がり。……そう、あえて『愛』と呼んでもいい」

「はあ? なんだねそれは」


 副社長は、あからさまにがっかりした声だ。


「馬鹿らしい。採決に移れ」

「いいえ副社長、聞いて下さいっ!」


 ここぞとばかり、吉野さんは大声になった


「異種族間の愛──。それこそ我が社にとってとてつもない権益になり得ます。向こうでは各種族は比較的孤立している。それぞれが先祖伝来のマジックアイテムや宝物を隠し持って。……でも多様な異種族・各部族と愛を通じた人間なら、そうしたアイテムを入手できる機会がある。逆に言えば、そうでなければ無理だと断言してもいい」


 そうか……。


 吉野さんの持って行く方向が、俺にもなんとなくわかってきた。以心伝心で。明かすとなにかと憶測と波乱を呼ぶだろうが、今はそんなことを言っている場合じゃない。


「キラリン、急いで神田橋に跳べ。陽動班の三人を異世界クラブハウスに運んで、待機させろ」

「もう陽動班の役割は終わりましたものね、平さん」

「そうさキングー。それにもうひとつ考えがある。吉野さんの演説を最大限に生かす方法が浮かんだ。行けキラリン。すぐ戻ってこい」

「りょうかーいっ、パパ」ヒュン


 敬礼したまま消える。とてつもなく長く感じたが、それでも一分ほどだ。キラリンが戻ってきた。


「大丈夫だったか、キラリン」

「うん」


 頷いた。


「残ったお弁当を全部置いて、みんなでタマゴ亭配達バンに乗り込んだんだよ。中から転送した。荷室のカバーも閉じたから、テレポートは誰にもバレてないよ、平パパ」

「よし」


 頭を撫でてやると、瞳を細めて喜んでいる。


「もう外の気配も消えた。俺達も行くぞ」

「うん」

「はい」


──「その異種族の愛をどうこうできる存在。それが平だというのか」──


 向こうでも話が続いている。さすが鉾田の野郎は察しがいい。悪党と言えども頭目だけに、頭が回りやがる。


「そうです」


 吉野さんは、落ち着いているようだ。


「平は向こうで使い魔を多く持っています。元ピクシープリンセス、ドラゴンロード、ハイエルフ、それに……魔王」

「魔王だと?」

「そんなの聞いてないぞ」

「報告がない。君と平の業務規程違反だ」


 会議室の動揺が聞こえてきた。


「使い魔が増えたあたりから私と平は、次第に情報を伏せるようになりました。それは謝罪します」


 吉野さん、きっとぺっこり頭を下げてるだろうな。


「ですがそれは……魔王サタンのように、使いようによってはこちらの世界に危険をもたらす可能性があったためです」


「パパ、ここだよ」


 角を曲がると、キラリンが正面の扉を示した。マホガニーだかなんだか、とにかく焦げ茶で重厚な扉だ。豪勢な彫刻が施されている。


「ここが椿の間」

「たしかに椿の花だね、これ」


 大きな彫刻を、レナが指差す。


「どうします、平さん」

「そうだな、キングー……」


 中では三猫銀行本店不祥事の、シリアスな会議が続いているはず。だが外には少しも音が漏れてこない。まあ……この分厚い扉じゃな。


「踏み込む。時間がない」


 どでかい取っ手に手を掛けると、ボタンを親指で押す。ラッチの外れる感触があった。


「レナ、合図を待てよ」

「わかってるよ、ご主人様。打ち合わせどおりだよねっ」


 シャツの胸の隙間から、レナがネクタイを跳ね上げた。


「とにかく隠れてろ。妖精なんか見たら、まとまる話もまとまらなくなる」

「ラジャーっ」


 扉を開いて中に踏み込む。十人ほどのおっさんが、口々に怒鳴りながら議論している。資料らしき紙が、大テーブルに乱雑に散乱していた。


──「使い魔以外にも平には、現地の仲間が増えた。今でも皆、冒険に同行しています。具体的には、天使と人間のハーフ、ダークエルフ、王女、バンシー、そして私の使い魔であるケットシー」──


 吉野さんの大演説が引き続き、俺の耳に響いている。


「失礼しますっ!」


 俺の大声に、部屋中の視線が集まった。学園制服姿の中学生(に見える)ふたりを連れた謎社畜を見て、議論の声が消え去った。三猫銀行コンプライアンス委員会の全員が目を見開き、呆然とこちらを見つめている。


 いよいよ正念場だ。


 金玉を握って俺は、気合を入れ直した。

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