4-2 「C12H26──ドデカン作戦」開始!

「そろそろか……」


 大手町三猫銀行本店前のカフェ・スターニャックス。サボりや打ち合わせ中のリーマンで、店内はごった返している。俺は、ネクタイを締め直した。今日は、三猫百貨店で誂えた勝負スーツを着込んでいる。無責任野郎の俺が、少しでも大手町のエリートに見えるようにという、涙ぐましい手法だ。


 声が漏れにくい、最奥ボックス席に陣取った。地味な学校制服風のキラリンとキングーが向かいに陣取り、脚をぶらぶらさせながら豆乳ラテなど味わっている。


「こうしてると俺達、まるで家族だな。お受験面接の塾かなんかに来た」

「美味しいよ、ここのラテ」


 これから作戦というのに、キラリンは呑気だ。


「ね、『パパ』」


 にやにやしてやがる。趣味悪い奴だ。


「家族は家族だけど、子供じゃなくてお嫁さんでしょ、ご主人様」


 シャツの胸からネクタイを押しのけて、レナが顔だけ出してきた。


「隠れろアホ。朝のカフェだぞ」


 慌てて押し込む。


「それにこの三人で、嫁にしてるのはお前だけだ。キラリンとキングーはまだだし」

「『まだ』なだけだよね」声だけ

「あたしはいつでもいいよー。マリリンママにも、早くお嫁さんになって、感想を聞かせろって言われてるし」


 キラリンの奴まで、けろっとしてら。


「やなこった。あんな謎ロリに初夜感想とか」

「僕も……その……いつでも」


 キングーが赤くなった。


「レナさんに、心得は聞いていますし」


 ……レナの野郎、いくらサキュバスだからって、誰彼構わずエロ指南しやがって。キングーはそもそも、アンドロギュノスだぞ。まあ最近は、俺への恋心で体はほぼ女性化してるようだが。


 シャツ越しに、レナの頬をつねってやったわ。成敗。


「そこまでだ。全員、気合を入れろ。作戦準備中だぞ」

「はい」

「うん」

「はーいっ」

「さて……」


 腕に巻いたニャシオ・Nショックは、十一時九分三十秒を示している。衝撃対応電波時計で、狂いは全くない。


「ふう……」


 一度深呼吸した。


 私用スマホ画面では、メッセージングアプリ「nyarms」が起動している。もちろん、仲間全員がログイン中だ。完全無線イヤホンを片耳だけ、俺は耳に押し込んだ。


「無線状況確認のため全員、点呼する。潜入班、つまり俺のチームは既に確認済みなので省略する。……最初に、戦闘班」


──タマ。ケルクス──


 イヤホンから、ふたりの声がした。背後に雑踏ノイズが聞こえる。街中だからだろう。


──エンリルじゃ。エリーナです、平さん──


「よし。次、陽動班」


──額田だよ、平さん。ケータリングバンに目一杯お弁当詰め込んだから、周囲はいい匂い。それにタマゴ亭周年記念特別無料配布の看板立てた。だからもう、人だかり凄いよ。早く始めないと、お客さんに殺されそう──


 楽しそうな声だ。リーマンとしてはまだ昼休み前だが、弁当購入してオフィスに戻る分には、割と自由だ。それにここは大手町。リーマンが多過ぎて、いくら店があっても昼飯難民が多いからな。だから多少のフライングは黙認される。人が並んでいても当然だ。


 まして無料配布だ。大手町リーマンネットワークで知れ渡っただろうから、これから幾何級数的に人だかりが増えるだろう。配布はなんせ渡すだけで金のやり取りがない。捌くのに時間も掛からないしな。


──はよ暴れたいわい甥っ子よ、いつでも構わんぞ。トリムだよー──


「サタンにトリムだな。よし。次に情報班、吉野さん」


──平くん、頼りにしてるわ──


「『お見張りくん』を起動してみて下さい、吉野さん」

「うん……」


 俺のスマホ画面に、経営企画室個室が映った。吉野さんの個室だ。


「社内の様子はどうです」

「どうもこうも……全員浮足立ってて、仕事なんか誰もしてないわ」


 呆れたような口調だ。「お見張りくん」は窓を通して街路樹を映している。


「社長解任動議提出が確実ですからね」

「私が午後の臨時取締役会に出席するってどこかで聞いてきたのか、それとなく探りを入れに来る人もいるし」

「まあ、そうでしょうね」

「同じく取締役会出席予定の平くんが影も形も見えないでしょ。それも社内で噂になってるわ」


 くすくす笑い声が聞こえた。


「絶対なにか、どでかい爆弾を破裂させるに違いないって」

「そりゃ『ドデカン作戦』ですからね。どでかいと掛かってるし」

「ドデカンってどういう意味」

「俺達は十二人。それに合わせて、炭素十二個の炭化水素の名前にしました。化学式の簡易表記で言えばC12H26。厳密に書けばCH3カッコCH2カッコ閉じでえーと10の──」

「もういいわ、それ。……平くん、理系だもんね。私は文系だから、化学はさっぱり」

「十二人の俺達が、がっつり繋がって、容易なことでは分解されないってことっすよ。安定的な化合物なので」

「今度十二人で繋がろうか」

「それは……いずれ」


 ヤバい方向に進みそうになったので、話を逸らした。俺+十一人とはいえ、嫁にしたのはまだ七人だからな。


「俺が尻尾巻いて逃げたかもって話はないすか」

「あるある。私、困ったような顔で聞いてたわ。内心笑いながら」

「……いずれにしろ、勝負は三木本商事役員会議室。臨時取締役会は十三時スタート。それまでに俺達がなんとか、突破口を開かないと。でないと社長が解任され、陰謀黒幕のカス野郎、永野常務が次期社長に収まっちまう」


 あのクソ経理プロパーは、絶対許さんわ。


「そうよね」

「全員、聞け。今、ヒトヒトイチゴウ。約五分後、ヒトヒトニイマル定時をもって作戦を開始する。作戦の狙いはこうだ──」


 まず、陽動班が弁当無料配布開始。周辺の人流を、大手町北部の神田橋周辺に誘導、戦闘班による人的被害を回避させる。直後、戦闘班が和田倉噴水公園から丸の内南口方面に掛けて暴れ、混乱を演出する。人間を襲うのではなく、道路や信号などのインフラを攻撃する。


「いいかタマ、戦闘開始と同時にエリーナ以外の全員、人間化けを解くんだ。エリーナはOL服のまま、少し離れてろ」

「わかった」

「はい」

「ネコミミの俊敏な異世界格闘士、遠近両対応の魔法戦士ダークエルフ、それに巨大ドラゴンがブレスで暴れる。世界初の異世界人騒乱事案だ。所轄警察だけでなく当然、第一方面機動隊が出てくる。それに加えSAT──つまり対テロ特殊急襲部隊まで投入されるだろう。自衛隊は行政側の手続きが面倒だからな。短時間では出て来られるはずがない。といっても一機やSATだってヤバい。もちろん戦って殺すわけにもいかない。だから──」

「私の出番ですね」

「そういうことだ、エリーナ。お前のバンシースクリームで対応部隊を無力化しろ。OL服でステルスしていたお前は、隠し玉だ」

「わかりました」

「陽動と戦闘で、大手町は大荒れになる。その隙に、俺達潜入班が三猫銀行本店に侵入。不祥事対応で会議中の北上常務を略取誘拐する」

「大騒ぎだから、不祥事会議なんか中止になるんじゃないの、平くん」

「戦闘はむしろ本店から離れる方向に進行するんで、継続すると踏んでます。なんせ本店直轄不祥事だ。コンプライアンス委員長が逃げるわけにもいかない」

「でもそれだとどっちにしろ、三木本商事の取締役会なんかに出てくれないわよね。銀行本体のが大事だもの」

「北上常務の意志なんか関係ないっす。俺、誘拐するんで」

「……困った子ね」


 はあ……という、吉野さんの溜息が聞こえた。


「でも、それでこそ平くんよ。私やみんなを嫁にして引っ張る、逞しい私達のリーダーだもの」

「ありがとうございます……」


 再度時計を確認する。十一時十九分を回ったところだった。


「五十八秒後に陽動班、作戦開始。タマゴ亭さんとサタン、トリムで弁当を投げるように配りまくれ。なに、個数なんか聞かなくていい。ひとつずつ袋詰めにしておいて、片っ端から配ればいい。複数欲しい奴は勝手に持ってくさ」

「うん」

「あと三十二秒。もう返事はいい。陽動班、準備開始。戦闘班は俺の指示を待て。エリーナ」

「はい、平さん」

「ヤバい連中が出てくるまでは、戦闘班の状況配信を頼む。スマホで動画撮影し、nyarmsで流しっぱなしにしろ。それを見て、俺が色々判断する。ガチもんが出てきたら、もういい。戦闘に集中しろ」

「了解です」

「カウントする。五、四、三……」


 俺は、思いっ切り息を吸い込んだ。


「ゼロ。ドデカン作戦、開始っ!」

「はーいっ」


 イヤホンから、タマゴ亭さんの大声が響いた。


「お待たせしました。ご存じ皆様の仕出し弁当屋、タマゴ亭ご愛顧感謝の無料配布、開始しまーす」


 暴れ牛の大群が駆け抜けるような怒涛と共に、うおーっという歓声が上がった。


「慌てないで。たくさんあるから。あっ、あっ、あーっ!」


 どかーん、めりめりという音が、イヤホンから聞こえてきた。


 ヤバっ。


 開始五秒で問題発生とか。


 どうすりゃいいんだ、これ。

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