4-3 陽動&戦闘展開

──お弁当はありますよー。押さないでっ──

「タマゴ亭がタダとか奇跡かよ」

「押すな押すな」

「その中華弁当は俺んだ」

「幕の内よこせっ」


 俺のイヤホンに、神田橋の悲鳴が次々飛び込んでくる。大混乱だ。


「平パパ……どうする」


 大手町スターニャックスで豆乳ラテを抱えたまま、キラリンが不安そうに俺を見上げてきた。


「タマゴ亭さんが、怪我をしないといいのですが」


 天使亜人キングーも不安顔だ。


 俺達十二人全員、スマホと無線イヤホンを装備、全ての状況は共有している。まあキラリンは本人自身が謎スマホだから何も持ってないがな。


「こんなに早く発動する羽目になるとは思わなかったが……」


 予定は狂ったが、路線を切り替えるしかない。俺は瞬時に決断した。


「陽動班、プランBに変更。作戦を即時実行せよ」

「わかった」

「甥っ子甲よ、あたしに任せよっ」


 あはははははっ──と、サタンの哄笑が聞こえた。


「愚民共よ、この魔王の施し、たんと受け取るがよいぞっ!」


 ぶんぶんと、なにかが飛ぶ音が響き、大勢の足音が乱れた。サタンが弁当袋を四方八方にぶん投げているのだ。車両周囲にだけ人が集まらないように。


「ほれほれ、弁当は後ろじゃ。前にばかり押し寄せると損するぞい」

「こっちにもあるよーっ!」


 トリムの叫びと同時に、鏑矢かぶらやがひゅうっと鳴った。弁当を括り付けた矢を、トリムが左右に射っているんだ。音に惹かれた群衆が、ケータリングバンから離れるのがわかった。


「大丈夫。これなら将棋倒しとかもないよっ、平さん」

「良かった。そのまま続けて下さい」


 プランBではサタンやトリムの人間離れした能力を使うことになる。陽動班はあくまで善意の弁当屋設定だから異世界を思わせる力は使いたくなかったがまあ、仕方ない。それにトリムは人間化けしていて、エルフ耳を隠している。戦闘班の行動が始まればメディアや警察の耳目はそちらに集まるし、陽動班はなんとかなるだろ。


「次、戦闘班。エリーナ、記録しているな」

「はい、平さん」


 俺のスマホ画面に、南大手町の和田堀公園に立つタマとエンリルの姿が映った。通り過ぎるモブ通行人がこらえきれず、ふたりをガン見していく。そりゃあな。本来の姿を隠していても、まあ別格だからな。愛嬌と美しさ、両方を兼ね備えた美少女ふたりなんだから、当然だ。


「タマ」

「平ボス」

「作戦開始せよ。徐々に。スロースタートだ」

「わかった。まずあたしが人間化けを解く」


 揺れるスマホ画面に、タマがバギーパンツを脱ぐのが映った。目深に被ったフーディーも放り投げると、ショートパンツに革戦闘服の獣人ケットシー姿となる。二股に割れた長い尻尾に、ネコミミ。瞳も本来の猫目に戻っている。


「うおーっ!」


 タマの咆哮が轟いた。駆け出すと、電柱にハイキック一発。衝撃音と共に電柱が道路に倒れ込むと、電線から火花が散る。和田堀公園付近は走っている車がまばらだが、それでも慌てたように路肩に停めるのが見えた。


 タマの美少女姿に見とれていたリーマンがひとり、口をぽかんと開いた。目の前で起こった事態が飲み込めないのか、呆然としている。


「なんだあれ……」

「映画の撮影かな」

「馬鹿言うな。カメラないし、電柱壊してるだろ」


 混乱した声が飛び交っている。


「ぐおーっ」


 ひときわ大きく吠えたタマが、今度は信号柱を蹴り倒した。大地震や事故用のプログラムでもあるのか、周囲の信号全てが、あらゆる方向に赤信号を表示した。


 周囲を破壊して回る。消火栓をブチ折ったから、水柱が高くまで噴き出した。


「いいぞタマ、人的被害ゼロなのに、ド派手に見えるからな。叫べ」


 思いっ切り息を吸ったタマが、さらに声を出す。


 ようやく状況が掴めたのか、周囲の野次馬がスマホでタマの狼藉を撮影し始めた。どうやらこっちには襲って来ずに道路インフラだけ破壊しているとわかったのか、遠巻きにこそしているが、全速で逃げる奴は稀だ。


「なんだ……あの女」

「コスプレじゃないだろ。耳とか尻尾が動いてるし」

「まさか……異世界からの侵略」

「新富町で厳重に管理されてるんだろ、異世界通路は」

「とにかく通報だ。一一〇番」


 ざわめきが聞こえる。タマの活躍により、人が次第に集まり始めた。サイレンの音が近づいたかと思うと、パトカーが何台か遠巻きに停まるのがスマホ画面に映った。降りてきた制服警官が、説得のつもりか、マイクを握った。


「ちょっと落ち着き過ぎてるな。もう少し混乱が欲しい。雑魚パトカーだけじゃなく、機動隊もな。……エンリル、頼む」

「待ちかねたわい、婿殿」


 マントを脱ぎ捨てると、エンリルは素裸だった。といっても俺の嫁の裸を皆に晒したのは、一瞬だけ。婚姻形態を解いたエンリルが、巨大竜姿となる。体長十メートル弱の、ドラゴンロード。タマ百人ほどの大声で吠えると、和田倉噴水公園の池にさざ波が立った。


 天を仰いだエンリルが、上空にドラゴンブレスを放つ。ごおっという轟音が響き、あまりの熱気に腰を抜かした警官が、慌ててパトカーに這い戻るのが画面に映った。続いて噴水にブレス攻撃すると、瞬時に蒸発した水が雲のように水蒸気を噴き上げた。


「いいぞエンリル。交差点のアスファルトを熔かして発煙させろ。タマは周囲の電柱に攻撃範囲を広げろ。街路樹は攻撃するなよ」

「おうよ」

「平ボス」


 ふたりの破壊が本格的に始まると、さすがの野次馬も逃げていった。パトカーはじりじり後退したが、逃げ去りはしない。状況報告をしているのだろう。


「よし、いい感じだ。タマ、エンリル。丸の内南口に向かい、ゆっくり進軍しろ。インフラを破壊し、混乱範囲を広げるんだ」

「わかった」


 うまいこと少し離れ一般人偽装したバンシー、エリーナが、スマホで実況を続けている。


「あっちは楽しそうだね、パパ」


 うまそうに、キラリンがケーキを口に運んだ。


「あたしも戦闘班になりたかったな」

「僕もです」

「いやキングー。お前はこっちの隠し玉だ。それにお前の能力は、攻撃というより防御向きだ。なんせ天使と人間のハーフだし」

「そうですね」

「陽動班、具合はどうだ」

「平さん、混乱はだいぶ落ち着いたよ。サタンちゃんとトリムちゃんのおかげ。……でもすごい人。無料パワーって凄いね」

「タマゴ亭さんの力ですよ。なにせタマゴ亭仕出し弁当は、大手町での一流ブランドですからね。なんせうま弁当を各社に届け続けた歴史の厚みが違う」

「だといいな」

「いい感じに人集まってますね。戦闘班も順調だし」


 俺は腕時計を確認した。十一時四十九分。陽動班の無料弁当を求める群衆は、ここから昼休み前半に掛けて、さらに集結するだろう。


 戦闘班エリーナの動画では、パトカーのスピーカーから警察の指示が聞こえていた。警察が対処に当たるので、周囲の人間は退避するようにと。見ると、機動隊車両と思しき中型車両が何台か、道路脇に停まっている。地味なブルーグレイ車両で、窓が金網で防護されている奴だ。


「第一方面機動隊だな」

「でも誰も外に出てきてないね、パパ」

「多分、SATと連携するつもりだ。タマはともかく、ブレス攻撃の巨大ドラゴンとなると、それなりの武器が必要だ。機動隊レベルじゃあ太刀打ちできない」

「SATなら自動小銃があるよ、パパ」


 脳内検索したキラリンが、ばーんっと銃を撃つ仕草をした。


「ヘッケラーアンドコッホのMP5とか。それでも小銃でライフル弾じゃないから、対ドラゴン戦だと心許ないけど。……でもまあ進軍抑制にはなるでしょ。その間に、東京都知事から自衛隊に害獣駆除名目の出撃要請があるだろうし」

「治安出動じゃなくてか」

「治安出動だと侵略や騒乱ってことで、ハードル高すぎる。時間が掛かるよ。その点、害獣駆除なら地方での前例もあるし、多少はスムーズ。ドラゴンを害獣扱いに強弁してなんとか、早期出動を実現するんじゃないかな」

「なるほど」


 さすがはマリリン博士の娘(元は機械だけど)。検索による無限の知識量だけじゃなくて、推論機能も優れてるな。


 自衛隊なら、首都防衛の即応部隊が市ヶ谷などに駐屯している。道路によるルート確保が面倒な戦車展開の前に、戦闘ヘリが出てくるだろう。ヘリなら対戦車ロケット砲だの高速機銃がある。毎秒何十発の発射速度を誇るチェーンガンだとかガトリング砲とかの。ヘリに展開されると、戦闘班の命に関わる。


「自衛隊に来られると厄介だ。タマ」

「ボス」

「進軍速度を上げろ。警察を嫌でも前面に出させるんだ。治安部隊が展開していたら、自衛隊も無茶はできないからな」

「エンリル」

「婿殿」

「派手にブレス攻撃しろ。警官の避難を確認したら、パトカーや一機車両を燃やして構わん。爆発とかがあれば、もっといい」

「うむ」


 戦闘班の動きが激しくなった頃、カフェ・スターニャックス店内も騒がしくなった。もう昼休みに入った時間帯だ。


「なんでもテロらしいぞ。大手町で」

「いや、異世界からの侵略だ。ドラゴンが人を食って回ってるとか」

「見ろ」


 誰かがスマホ動画を見せている。エンリルが上空にブレスを吐いたシーンだ。こんときはまだ野次馬もギリ遠巻きにしてたからな。


「マジか。俺逃げるわ。地下鉄動いてるんだろ」

「俺も午後半休取る」

「俺は営業ってことでタクシー拾う」


 次々に飛び出す客の姿を、店員が困ったように眺めている。自分達も避難すべきかどうかわからないようだ。正常化バイアスって奴だな。


「吉野さん、そちらはどうですか」

「平くん」


 スパイ眼鏡「お見張りくん」をテーブルに置き自分に向けた吉野さんが、自撮りの要領で俺に手を振ってくれた。


「こっちでも、タマちゃんたちの騒ぎをネットで見てる人が出てきてるわね。でも場所が南大手町で離れてるし、丸の内に動いていってるから、別に大騒ぎにはなってない。それに……」


 楽しそうに微笑んだ。いや吉野さん、異世界で過ごすうちに随分たくましくなったよなー。異世界初日とかびびって一日数十歩しか歩けなかったのに。


「それに三木本商事は、それどころじゃないもの。問題の臨時取締役会議まで、あと三十分かそこら。社長が首になるかもって、ドラゴンより大問題でしょ」

「そうですね。こっちもそろそろ動きます。キープインタッチで行きましょう」

「うん。……無茶しないでね、平くん」

「平気ですよ。それに……タマやエンリルが最前線で命を張ってる。それに応えてやらんで、なんのリーダーだ……って話です」

「そうよね。私も頑張るわ」


 ちゅっとキスを送ってくれてから、吉野さんは「お見張りくん」を再装着した。


「よし、行くぞキラリン、キングー。俺達はこれから三猫銀行本店に侵入する」

「やったあ」


 ぴょこんと、キラリンが椅子から飛び降りた。


「やあっとあたしの出番だね」

「キラリンは朝から大活躍だろ。みんなを配置に飛ばしてくれて」

「まあねー」


 微笑んだキラリンは、俺とキングーの手を取った。


「平パパのためだもん。みんなのお婿さんだし、将来のあたしのお婿さん。マリリンママだって、応援してくれてるよっ」


 街路を走る人が増えている。カフェを後にした俺達は、三猫銀行本店ビルの扉を潜った。一階と地下は一般人も入れる。コンビニやカフェ、サンドイッチ屋とかがあるからな。


 一階奥に、ICカードのIDがないと入れない領域がある。そこから先が、三猫銀行本店だ。本店とはいっても、ここに銀行店舗はない。純粋に本社機能だけが「本店」だ。俺達はこれから、大企業本社中枢部に侵入することになる。


 ICカードリーダーを脇に備えた自動ドアの前に立った。


「よしキラリン、侵入する。ここから一瞬、異世界王宮のクラブハウスに飛び、戻るんだ。一メートル前にな」


 キラリン転送は、一度行った場所でないと不可能だ。マッピングした地点しか飛べないから。でも既存地点から「一メートル先」なら、問題なく飛べる。地点認識範囲内だから。


「ラジャー、ボス」


 キラリンがふざけて敬礼した瞬間、俺とキングー、キラリンの三人は瞬時に転送を繰り返し、ドア内部に立っていた。三猫銀行本店内へと。


「よし、行動を開始する。急げ」


 端から見たらふたり子連れのリーマンだ。社員証も首から提げていない。エリート社員しかいない本社内で怪しまれるのは見えてる。必要なのは作戦実行速度だ。


 腕時計を見る。


──十二時四十六分三十九秒──


 三木本商事臨時取締役会開始まで、あと十五分もない。俺達三人は、早足になった。


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