2-4 辞世の句

「あとなんだっけ、土方歳三でしょ」


 吉野さんが、俺の皿に料理をサーブしてくれた。


「ありがとうございます、吉野さん」

「土方歳三はもちろんねえ……新選組の副長だよ」


 キラリンが解説を入れる。


「幕府が敗れ明治時代になっても、土方は抵抗を止めなかった。幕府軍と新政府軍の戦いが、戊辰戦争。土方はどんどん北に逃れ、ついには函館五稜郭を拠点に函館戦争を繰り広げた。頑張って戦ったんだけど政府軍の洋式武器には勝てず、土方が戦死して箱館戦争も終わった。これで明治政府が、名実ともに日本統治者として世界に認められたんだ」

「両勢力の戦いを、社長派・反社長派の闘争になぞらえてるのかしら」

「そうですね、吉野さん。そう思うとわかりやすい」


 また俺の下半身を撫で始めたタマの手を、そっと止めた。


「今は忙しい。それはベッドでな、タマ」

「……わかった。でも……もう一度……」


 キスをねだるタマの瞳は、しっとり濡れていた。かわいいなあ、タマ。ごろごろ言うタマの背を撫でながら、俺は考えた。


「要するに新政府軍、つまり反社長派に追い詰められた自分は頑張って逃げたが結局、戦死……退任させられたってことですかね」

「でもそれなら別にこんな思わせぶりな言い方する必要ないですね、平さん」

「それはキングーの言う通りだな。単に、弱みを握られて退任したんだよとか言えばいいんだし。別にそれだけなら、反社長派側も口止めするほどの情報じゃない」

「箱だけ戦争じゃなくて、門松のほうじゃないの」

「いやトリム、函館と門割な」


 正月にもらったチョコの箱だけかよ。


「でもたしかにそっちもあるよね、ご主人様」

「時代はちょっと違うしな。共通点は……どちらも薩摩絡みってことか」

「西郷隆盛とかは、幕末に随分極悪非道なことしたからね」


 キラリンがピザにかぶりついた。


「どうしようもない悪党を組織して江戸の町に放ち、強盗や殺人、強姦とかさせてたんだよ。散々っぱら人を殺した悪党は、いつもいつも江戸の薩摩屋敷に逃げ込むんだ。それがわかって幕府が処罰しようとしても、知らぬ存ぜぬで悪党を匿い続けたからね」

「治安を乱れさせ、幕府を圧迫するためだろうて」


 サタンは冷静だ。


「まあ魔族なら普通の戦略だな」

「薩摩は悪魔並ってことか」

「つまり反社長派はとてつもなく悪逆で危険だって言いたいんでしょ。それなら、そう口にできないのはわかるし」


 だから薩摩になぞらえたってことか。それなら確かに理解できる。


「仮にそうだとしても、何のヒントにもなっていないな、平ボス」


 俺に甘えながらも、タマが冷静に分析する。


「海部という男は、言わば権力闘争の敗残者だ。悔しくないわけがない。ならば敵を取ってもらおうと、平ボスに絶対ヒントを残すはず」

「たしかに」


 あの海千山千の海部があっさり退任したんだもんな。なんかとんでもない裏があるはず。それに、盗聴が無いと言い切っていたあの謎の蕎麦屋なのに、はっきりは言わなかった。つまり俺が勝手に思い込んだという形にしないと、自分がヤバいってことだ。


 俺や吉野さんの頭でも到達できる程度の謎掛け。しかも解読後に、どう考えても俺の邪推し過ぎだと言い張れる奴。つまり作成自体、とてつもなく難しい謎を。切れ者の海部だからこそ、為し得るラインで。


「あと解析してないのは、海部の野郎が言ってた『門割制度は明治時代に廃止された』っての。それに『箱館戦争のときの土方を調べろ』か」

「廃止が重要なんじゃないかしら」

「社内抗争で制度廃止と言えば、なんだろ」

「これまでの社内規定とかじゃない、平くん」

「なら函館戦争の土方ってのは」

「ちょっと解説するね」


 キラリンが教えてくれたよ。


 五稜郭を拠点に土方軍は松前城を奪い、残兵を追うも、土方の援軍「開陽丸」が挫傷し、戦力確保に失敗。これが分水嶺となって敗戦が続き、明治二年五月十八日に土方が戦死。箱館戦争は戊辰戦争最後の戦いだったため、幕府軍の組織的抵抗はついに潰えた。


「これだけ聞いてもね。単に社長派が負け続けるって喩えなだけだし」


 吉野さんも困り顔だ。


「土方は武士だろ。なら辞世の句があるはずだ。そうだろ、キラリン」

「あるよ、お兄ちゃん」


 三つの句を、キラリンは紙に書いてくれたよ。


──よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも 魂は東の 君やまもらむ

──たとひ身は 蝦夷の島根に 朽ちるとも 魂は東の 君やまもらん

──鉾とりて 月見るごとに おもふ哉 あすは屍の 上に照かと


「敗残兵のただの恨み言だなあ、どれも」


 紙をぴんと弾いてやったよ。ムカついたから。


「特にヒントにはならないわね」

「いや……あれ……」


 なにかが頭の隅を通り過ぎた。なにか……見覚えのある……。


「偶然かもしれませんが、吉野さん、これ……」


 とある漢字の上に、俺は指を置いた。


「鉾」に。


「なあに。ほこってやりみたいなものでしょ。矛盾の『矛』と同じ。これもほこって読むし」

「鉾田さん」

「あっ……」

「三木本商事副社長が鉾田だ」

「そうね、平くん」

「それに……」


 もうひとつの単語が、俺の脳に引っ掛かった。


「この句には、『月見』も詠まれている。俺が副社長と経理担当役員永野に呼び出されたのは、赤坂の怪しいクラブ、『salon moon』だった」

「偶然……かしら」


 吉野さんと俺は、目を見合わせた。

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