2-5 臨時取締役会、発議

「平くんっ」


 三木本商事経営企画室。俺の個室に、経営企画室長が飛び込んできた。


「室長……」


 今、この個室には吉野さんもいる。接客用テーブルにB4用紙を広げ、ああでもないこうでもないと、反社長陰謀に関する思いつきを、ふたりで走り書きしているところだった。


「会議は夕方ですよね。まだ……時間があるはずだ」


 言いながらも、さりげなく紙を裏返す。室長は味方だし、俺や吉野さんのことを重用してくれる。でもヤバい情報を見せるわけにはいかない。それとこれとは話が別だ。


「なに呑気なこと言ってるんだ」


 小さな冷蔵庫からお茶のペットボトルを出すと、一気に飲んだ。俺が自腹で買ったものだが、別に文句はない。小銭はどうでもいいからな。俺も室長もかなりの高額報酬を得ている。おまけに天猫堂に売却を続けている異世界ダイヤで俺は、桁違いの資産を築きつつあるし。


「そんな態度だと、まだ聞いてないな」

「なんなんです、いったい」

「それがな……」


 テーブルの席に着くと顔を寄せ、声を潜めた。


「臨時取締役会招集の発議があった」

「臨時……取締役会……」

「そうだ」


 室長は、またペットボトルを口に運んだ。今度はややゆっくり飲む。


「今、特に緊急に決議すべき案件などない」

「そもそも臨時取締役会とか、かなりの不祥事とか大規模M&Aが揉めてとか、よっぽどのことがないと招集されませんよね」


 落ち着いて、吉野さんが確認する。


「そんな案件が無いとすると、目的はひとつよ、平くん」

「いよいよ表に出てくるのか、反社長派が」

「そういうことだ」


 室長は、背もたれに体をもたせかけた。


「先日の、金属事業部長退任がある。あれで反社長派は、社長解任の票読みを固めたんだろう」

「これなら投票になっても勝てる……ってわけね」

「代表取締役解任には、出席取締役過半数の賛成が必要だ。……もうそんなに攻め込まれていたのか」

「社内はもう、大騒ぎだ。仕事しているのは現場だけ。上は全員、雲隠れしている。社長派は内部結束に必死だろうし、反社長派は切り崩しを続けてるだろうし。……中立派の役員は、どちらと組めば自分が得か、双方の接触を天秤に掛けているはずだ」


 三木本商事は、社員千人クラス、年間売上千五百億円程度。大商社とは比ぶべくもないが、腐っても中堅商社だ。もちろん上場している。


 臨時取締役会での社長解任劇ともなれば、興味津々のマスコミがあることないこと囃し立てて大混乱になるに決まってる。それがわかっていてすら、穏やかに水面下で退任を迫るのでなく、荒事に出たんだ。票が読めた以外に、なにか大きな理由があるに決まってる。


 俺の頭は、次第に回り始めた。


「それで、誰が発議したんですか」

「永野常務だ」

「やっぱり……」


 脳裏に、永野のあのスケベ面が浮かんだ。赤坂の謎クラブで色仕掛けし、俺を籠絡しようとしたときの。


 しかしあれだな、永野が動いたなら、同席していた副社長鉾田も、反社長派に傾いたかもしれない。なにせ副社長は、社内に波風立てるくらいなら、大勢に乗って動く、それによって三木本商事の安寧を図る……ってはっきり言ってたし。


 冷たい対応ではあるがある意味、たしかに企業としての三木本商事だけを見ていると言えなくもない。なんせ三木本商事の副社長は歴史的にも「上がり」ポジション。後はなるだけ長く、その地位に留まりたいだろうしな。永野が社長になった折も副社長ポジを与え続けてくれるなら賛成するってことは、充分に考えられる。


 なんせ金属事業部長が放り込んできた謎解きに、副社長の名前も詠み込んであったからな。「上がり」とはいえ商社で副社長まで成り上がってきた、政治使いだ。舐めてかかるわけにはいかない。


「ならもう副社長も取り込まれてますね。あの狸野郎……」

「平くん……」


 たしなめるように、吉野さんがかすかに首を振った。俺だけにわかるように。余計なことを言うなってことだろう。


「すみません吉野さん」


 一応謝っておいた。……でももう、動き始めたんだ。各人の旗印は鮮明にせざるを得ない。俺も吉野さんも、なんなら経営企画室長だって社長側と言い切っていい。なにせ室長、社長に含みのある言われ方してたからな。いずれ三木本を任すなら、君のような人材がいいと。あの言い方なら、次の次の次くらいだろ。


 派閥は順送り基本にカオスの揺れが入る。室長が無難に三木本立て直しに成功していくなら、充分割り込んで入れる。実際、AIツールを用いたバックオフィス半減提案で、劇的なコスト削減を成功させつつあるし。


「で、臨時取締役会はいつなんですか」

「一週間後だ」

「嘘でしょ」


 吉野さんが息を呑んだ。


「そんなの、役員全員のアポイントメントが取れるわけないわ」

「マジ、そうだ。全員、秒刻みのスケジュールこなしているわけで。そんなゴリ押し、物理的にも通じるわけない。役員秘書が全員、調整過労でぶっ倒れますよ」

「でもそう決まった」


 困ったように、室長は首を傾げてみせた。


「全てはパワーゲームだよ、平くん」

「そう決まったってことは、むしろそのほうがいいと社長が判断したのかも知れないっすね」

「時間を掛けて陣営を切り崩されるよりは、逆に最大戦速で中間派を固めようって腹かもしれないわね」

「社内が割れる事態を、私も懸念している。どちらが勝つにしろ、大きな悪影響が長く残るからな」

「室長がまとめるんすよ、荒れた社内を」

「私が……かね」

「ええ。この腐った会社を立て直すなら、室長は最適の人材だ。なにせ情実人事など無視して、経営合理性だけで判断するから。それならどっちの派閥の残党も、表立っては反論できない」

「たとえどちらの派閥が勝って経営権を握ったとしても、次の社長を選ぶのは難しい。どちらの派閥から出しても大揉めになるもの。それならば色の着いていない、なおかつ仕事ができて荒れた社内を合理性で整理していける人材に任せればいい。おそらくそういう流れになるわ。……室長、平はそう言いたいのです」

「どうにも……」


 室長は苦笑いを浮かべた。


「君たちふたりは本当によくできたコンビだな。若い時分の私にも吉野くんのようなバディーが居たら……と、なんだかうらやましいよ」

「平は私のベストパートナーです」


 俺にだけわかるように、瞳がかすかに微笑んでいる。社内バレしていないとはいえ実際、私生活でももう嫁みたいなもんだもんな。


「それは良かった。……で、平シニアフェロー」

「なんすか、室長」

「君のところに、社長から連絡は無いのか」

「まだっすねー。多分今頃、派閥の引き締めと役員説得に手一杯っしょ。俺は役員でもなんでもない。そもそも三木本商事始まって以来の無責任野郎だと、社長に面と向かって馬鹿にされてるくらいだ。後回しっしょ」

「なるほど」


 なんだか知らんが、室長は楽しそうだ。


「面白い人生だな、君も」

「まあそうっすね。……おっと言ってる間に、社長からメッセージが来ました」


 振動するスマホ画面を、俺は示してみせた。


「今晩お呼びが掛かった。行ってきますね、室長」

「頼む。何があったか、後で教えてくれ」


 室長は、身を乗り出してきた。真剣な瞳で。


「私もそれなりに社長や平くん、吉野くんをフォローするからな」

「よろしくお願いします」


 俺と吉野さんが頭を下げると、室長は手を出してきた。


「こちらこそだ」


 いつもクールな室長なのに、握手の手は熱く燃えていた。




●おまたせして恐縮です。ようやく公開できました。今後の物語構成を調整するのに時間が掛かり、陰で苦闘中。結構ハンドリングが難しい展開なんです。。。

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