2-2 対「クラーケンロード」戦

「ダメだ平ボス、こいつはヤバい」


 船べりに足を掛けていたタマは、一歩下がると俺を振り返った。


「全員下がれっ」


 抱き着くようにして、俺を下がらせる。


「どうした」

「こいつ、海面には出て来ないつもりだ」

「なにっ!?」


 たしかに。海面から突き出ているのは触手ばかり。それも普通のイカタコ路線じゃあない。ど太く、一メートル近い直径のものも数本あれば、数十センチ径だが異様に素早く動く触手が数十、さらに途中で分岐して蜘蛛の巣のように広がっている触手まで、数本見えている。


 海から突き出た触手は、船を捉えると吸盤で吸い着き、甲板に這い上がってきた。本体は海中に沈んだまま。


「足首を掴まれたら、引きずり込まれるぞ」


 たしかに。海中にさらわれれば本体に食われるか溺れるか、どっちにしろろくな死に方はできそうもない。細い一本ならまだ切ることも可能かもしれないが、あの網のような触手とかとりわけ太い奴に絡め取られたら、もう最後だ。


「船尾に逃げろっ!」


 全員、船尾に固まった。触手は周囲を探りながら、徐々に船尾へと近づいてくる。生臭い臭いが、次第に強くなってきた。


 どう攻撃を組み立てるべきか、一瞬悩んだ。


「ドラゴン呼ぶか、レナ。上空から掃討してもらうのはどうだ」

「無理だよご主人様。わかってるでしょ」


 思いつきは、レナに瞬殺された。


 たしかに、ドラゴンは手下扱いをとりわけ嫌がる。だがエンリルは俺を連れ合いとして認め、体を任せてくれた。まだ誰にも教えてはいないがエンリルは嫁になったわけで、今ならおそらく頼みを聞いてくれる。俺にはそうした勝算があった。


「それにご主人様。もう大陸間の中間地点は過ぎたっていうのがタマの読みだからね。言ってみればこの海域はすでに新大陸の力が及んでいる。ドラゴンは新大陸には居られないんでしょ。契約だか約束だかで」

「くそっ」


 そのとおりだわ。ならどっちにしろこの手もダメか……。


 俺は腹を括った。今あるリソースで戦うしかない。



「タマ、お前は俺と後衛護衛に立て。あくまでも、近づいてきた触手を剣で斬るだけだ。深追いはするな」

「ボス」


 タマは短剣を抜き放った。


「ケルクス、サタン、お前らは魔法攻撃だ」


 直接攻撃の難しい海上戦では、どちらにしろこのふたりが攻撃の中核になるしかない。トリムがいれば弓矢を使える。貴重な間接物理攻撃の使い手になれるのだが、無い袖は振れない。


「敵は水属性。雷撃中心で行けっ」

「婿殿。了解だ」

「契約者甲、甥っ子よ。あたしは火属性でいく」

「はあ? 水属性に弱いだろそれ」

「魔法が操る、地獄の業火は別よ」


 ちっこい胸を精一杯張って、言い放った。


「あんなもの、イカ焼きにしてくれるわ」


 魔力継承に失敗した新米魔王とはいえ、なかなか頼もしい。


「吉野さん。ミネルヴァの大太刀で雷攻撃して下さい」


 それだって立派な雷撃属性だからな。


「任せて、平くん」

「キングーとキラリンはポーション使え。パーティーをエンカレッジするんだ」

「はい、平さん」

「お兄ちゃん」

「キラリン、最悪飛んで逃げる。用意しておけ」

「うん」


 キラリンは頷いている。


「エリーナ」

「平さん」

「敵は用心深い。顔なんか出しやしない。耳が出てきてないから、バンシースクリームは効かない。お前もキングーに合流しろ。最後尾だ」

「はいっ。恥ずかしがり屋のモンスターさんですね」


 珍しく冗談を口にする。俺と暮らすようになって、徐々に明るくなってきたな。無邪気なキラリンによく懐かれてるせいもあるだろうけどさ。


「ご主人様、ボクは」

「レナ、お前は情報収集。俺のサポート。あと応援だ。俺の胸から全てを見ていろ」

「へへーっ。ご主人様、大好き」

「よし、全員かかれっ!」


 号令と共に、総攻撃が始まった。雷魔法とサタン炎に晒された触手は、びくっと引くと一度海に入り、別の方角からまた出てくる。まるでモグラ叩きのゲーム並だわ。……ただこいつは、掴まれたら確実死の待つ恐怖のゲームだが。


「それっ」

「このっこのっ!」

「サンダーライトニングっ」


 仲間の激しい息遣いや叫び、魔法宣言が飛び交い、甲板には千切れた触手の切れ端が散らばっている。焦げるような生臭さが、潮の香りを圧倒し始めた。


「あっ!」


 悲鳴と共に、誰かの倒れる音が響いた。


「エリーナっ!」


 バンシーのエリーナだ。いつの間にか背後から忍び寄ってきた触手に足を取られたようだ。


「くそっ!」


 すでに触手に巻かれ、船尾に引きずられている。一体になっているから、魔法攻撃はできない。斬撃でたたっ斬るしかない。


「道を開けろっ」


 駆け込んだ俺は、滑り込むようにして触手に斬りかかった。


「エリーナ、俺に抱き着け。キツく」

「はいっ」


 無我夢中でしがみついてくる。


 エリーナを背後に守り、足首の触手を切りつける。野郎の青い血が広がり始め、触手の力が緩んだ。


「よしっ」


 幸い細い触手で助かった――と思った瞬間、俺の視界は塞がれた。網のように広がる、蜘蛛の巣状の触手によって。俺もエリーナも、もう身動きは取れない。


「ボスっ」


 俺とエリーナを巻き取った触手に、タマが繰り返し斬りつける。ケルクスも短剣で参加して。


「平くん、頑張って」


 ミネルヴァの大太刀を振り回し、吉野さんは俺とエリーナに近寄ってくる他の触手を牽制している。


「ご主人様、ヤバいよ。引き込まれるっ」


 レナの叫びが聞こえたのと同時に、ジェットコースターのような感覚があり、轟音がした。俺とエリーナ、そしてレナは、水に包まれた。恐ろしいほど冷たい、海水に。


 ――息が……。


 必死で息を止めた。周囲がどんどん暗くなってくる。深いところに引きずり込まれているから。周囲には、触手が何十本も伸びている。その先はるか、海底と思しき暗がりに、大きな球根のようなものが見えてきた。直径数十メートル。全ての触手が、そこから生えている。まるでイソギンチャク。あれが本体だろう。


 触手の中心に、俺達は持っていかれている。花が開くように触手が広がると、中央部に真っ黒な穴が開いた。周囲に乱杭歯が見えている。あれは……口だ。



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