2 大陸間横断「大洋航海」作戦

2-1 俺達の船旅

「海はいいわねえ……」


 火山の女神ペレに贈答された俺の船。甲板に立った吉野さんが、海風に長い髪をなぶらせている。


「波の音に潮の香り。それに見渡す限りの大海原に、太陽がきらきらと反射して……」


 うっとりと、俺の腕を胸に抱く。


「平くんと新婚旅行してるみたい……。南の島のリゾートに向かって」

「トリムのことが気がかりですけどね」

「ふふっ」


 微笑むと、俺の腕を囲む胸が揺れた。


「トリムちゃんだって、こうしてみんなで楽しんでるの、喜んでくれてるわよ」

「そうですかね」

「私にはわかるもの。……だって平くんに恋する、同志だから」


 背伸びすると、俺にキスを求めてくる。唇を合わせると、俺の舌を待つかのように、口が開いた。


「好き……」

「俺もです、吉野さん」

「ご主人様、いつまでいちゃついてるの」


 飛んできたレナが、俺の頭の上であぐらを組んだ。


「タマとケルクスが、話があるって」

「おう、今行く」


 大陸を出て、今日で航海三日目。朝から二時間ほど航海を続け、そろそろ南中を迎えよういう頃。そろそろタマゴ亭さん弁当で昼飯にする頃合い。もちろん毎日現実世界に戻るから、船旅の気持ち良さと現実世界の気楽さ、俺達は両方を楽しめている。


 この女神ペレ号は、全長約二十メートルの石造クルーザー。舳先へさきに謎の鳥居があり、中央部には八畳程度の操船室。操船室内には階下への階段があり、階下は居室と祠、最下層は船倉になっている。エンジンや帆などの動力はなく、操船室で念じることにより船を動かす。


「みんな気持ち良さそうだねー、ご主人様」


 レナは頭上であぐらを組んだままだ。


「だな」


 船体の幅は五メートルで、甲板には現実世界から持ち込んだデッキチェアやビーチパラソルがいくつも固定されている。もちろんそこには、俺のパーティーが全員揃い踏みで腰を下ろしていて、楽しげに語り合っている。


 いつもの海辺クルージングだと、みんな水着姿でシャンパン飲んだりしてるんだ。だが今日は違う。普通に全員、戦闘服。酒なんか飲んでる奴はいない。せいぜい茶と饅頭やクッキー程度だ。


「平ボス」


 操船室で、タマとケルクスは俺を待っていた。今はタマの操船当番時間だ。獣人ケットシーのタマは嗅覚が鋭く、風や波の具合から様々な気象状況を予測できる。役立つので操船当番の回数が多い。


「どうした、タマ」

「三日間航行して、もうだいぶ沖合に来た」

「そうだな」

「もう元の大陸は見えもせん。周囲三百六十度、全て大海原だ」


 ケルクスが付け加えた。


 俺は見回した。操船室は屋根こそあるが、後方は開放型、左右と正面には窓が広く穿たれているから、見通しは外と同じだ。


 たしかに周囲は全て海。沖合なので海は荒く、白波があちこちに立っている。だがペレ号は女神の加護を受けているので、ほとんど揺れない。毎日酔い止めを飲んではいるが、多分不要だ。


「大陸間の航行は、伝承によると帆船で片道二週間とある。だがあたしらはかなりの速度で突っ切っている。おそらく一週間で別大陸が見えてくるだろう」


 数百年前、聖魔戦争の影響で大洋に厄介なネームドモンスターが出没するようになり、大陸間交易が途絶えて久しい。だから向こうの大陸のことは本当かもわからない曖昧な噂や伝承があるだけで、実態は不明。森羅万象の歴史に詳しい王立図書館長ヴェーダでさえ、そうだった。


「タマがそう感じるなら、そうだろう」


 俺はタマに全幅の信頼を寄せている。頼りになる相棒であり、かわいい嫁だ。


「となるとここらでヤバい奴が出てもいい頃合いだ」


 腰に提げた短剣の柄を、ケルクスは叩いてみせた。


「ここまで三日間、海上戦闘は何度かあったが、たいしたことはなかった」

「ああ、雑魚ばかりだったな」


 なんかよくわからん二メートルのトビウオモンスターみたいな奴が海から跳ねて襲ってきたりとか、巨大海鳥ゾンビが上空から腐蝕性の糞を落としてくるとかな。嫌な野郎ばかりだったが、強敵とまでは言えない。


 むしろ、海上戦の訓練になって助かったくらいだ。なんせ海上戦では、俺やタマといった前衛はほとんど戦えない。ケルクスの魔法や吉野さん装備ミネルヴァの大太刀からの雷撃といった、間接攻撃主体の戦術にならざるを得ないからな。


 なんにせよ、エリーナのバンシースクリームがどえらく役立った。前衛が牽制の役割をこなせない以上、敵の足を止められる悲鳴攻撃は貴重だ。


「だからこうして皆、寛いではいるが、そろそろ用心したほうがいい」

「なるほど」


 操船室の窓から、俺は仲間を見た。全員、突然の戦闘に備えた装備ではある。だが戦いに備えて待機中の姿とは、とても思えない。


 キラリンがサタンと一緒に、ふざけてケーキ早食い競争をしている。ふたりとも口の周囲に生クリームを付けて楽しそうだ。見た目同じような中学生スタイルだからか、なんだか仲がいいんだわ。あれで謎の発明アイテムと魔王だからなー、笑うわ。


 エリーナは、天使亜人キングーとひそひそ話。澄まし切った顔のキングーが時折俺を見てなにか言うと、エリーナは口を押さえ、くすくす笑っている。なんか知らんが、俺の噂話だな、あれ。


 俺達と暮らすようになって、エリーナはだいぶ明るさを取り戻した。暗い過去から離れて。ベッドでは俺に抱き着いて寝るんだけど、たまに悲鳴を上げて飛び起きる。そんなときは、汗びっしょりだ。体も震えている。俺が抱いてやり、背中を優しく撫でていると、そのうち落ち着いてくる。


 全員エリーナの辛い日々を知っているので、俺の脇を譲っている。もう片方は、吉野さんやキラリン、ケルクスなんかの定位置だ。最近だとサタンが甘えてくることも多い。キングーは遠慮しているのか、ベッドをいくつも連結した寝台の端に陣取るかな、だいたい。フィギュアサイズのレナはもちろん、俺と誰かの間にくっついて眠る。


「たしかに、ちょっと気が緩み過ぎか」


 船旅は俺達仲間しかいないせいか、みんな気安いんだろうな。


 考えたら、俺も気を抜きすぎていた。ここのところ、現実世界では反社長の陰謀調査ばかりしていて、しんどかった。なんせ敵かもしれない奴らと面談して海千山千の役員相手に互いの本音の探り合いだからな。どえらく疲れる。


 反社長派がいよいよ勢力を増してると報告したら、社長もぴりぴりしてたしな。いや俺に怒鳴っても知らんわ。俺は言われた通り、正直なところを教えただけだし。


「平くん、君は私が失脚しても平気なのか」と責められてもな。「しょうがないっしょ。詰められる前に今すぐ辞めたらどうすか」って言ったら顔真っ赤にして怒ってて、面白かったわ。社長相手に言いたい放題の俺を見て、吉野さんははらはらしてたけどな。


「婿殿は、ここで嫁達と寛ぎたいのだろう。あたしも同じだ」


 ケルクスは、俺の手を取った。


「新月の晩、ダークエルフ村で婿殿とは誓いの夜伽をしておるが、こうして一緒にいると、それ以外にも婿殿があたしを呼んでくれるしな」


 そのまま胸に抱え込む。


「あのマンションの小部屋で、あたしをいいようになぶってくれて。たまにはここの船室でも……」


 ダークエルフの寡黙な戦士なのにケルクス、いじらしくなったな、俺の前だけだと。


「だが、締めるところは締めないとならん」

「わかってるよ、ケルクス」

「あっ……」


 抱き寄せると、首筋にキスしてやった。ケルクスが体を震わせる。唇はなしな。唾液を交換すると、俺もケルクスも「聖なる刻印」効果で腰砕けになるしな。


「……かわいいぞ、ケルクス」


 解放してやると、恥ずかしそうにうつむいた。


「あ、あたしは……戦士だ」

「わかってるさ」

「へへーっ」


 頭上から飛び降りたレナが、首筋に抱き着いてきた。


「ご主人様、すっかりたくましくなったね。……映画の主人公みたいに」

「そうかな」

「そうそう。ボクもたまには現実世界で大きくなっておこうかな……」

「それは後な」


 俺はタマに向き直った。


「お前の言うとおりだわ、タマ。昼も近いし、それまで警戒態勢を取ろう。舳先とともに歩哨を立て、残りはここ操船室に集める。すぐ命令を伝達できるようにな」

「それがいい。それでこそあたしのパートナーだ」


 操船室の窓から顔を出すと、声を掛けた。


「よし、ここから警戒態勢に入る。取り決め通り位置取りしろ」

「はーい」

「うん」

「平さん……」

「はい」


 三々五々、声がする。みんな立ち上がった。


「最初の歩哨な。舳先はエリーナ、艫はキングーに頼む。キラリン、お前は顕現時間節約のため、スマホに戻って俺の胸だ」

「お兄ちゃん、わかったよ」

「よし、全員動――」

「平ボスっ!」


 タマが割って入ってきた。大声で。


「ポップアップする。でかい奴だ」


 もう操船室から駆け出している。


「全員、戦闘に備えろっ! すぐ来るぞっ」

「見ろ婿殿。右舷二時方向っ!」


 ケルクスが指差した瞬間――。




 ――どんっ――




 大太鼓を力任せに叩いたような音と共に、どでかい水柱が立った。いくつも。そこから巨大な触手が突き出している。青白く、吸盤だらけの。


「ご主人様っ!」


 慌てて、レナが俺の胸の定位置に潜り込んできた。


「クラーケンだよ。こんなに大きいと、クラーケンロードかな。これ絶対、ネームドモンスターだよっ!」

「俺がタマと前に立つ。ケルクス、お前は中衛で攻撃を主導しろ。ネームド相手に効くとは思えないが、エリーナにバンシースクリームさせろ」

「婿殿っ!」


 俺とケルクスは駆け出した。早くもタマが舳先寄り右舷に仁王立ちしている。そこを目指し。


 くそっ!


 まだ全員、日常から戦闘準備に気持ちも構えも切り替わっていないっていうのに、雑魚じゃなく中ボス、それも、よりにもよってネームドかよっ。


「行くぞ、トリム」


 胸に収めた「トリムの珠」を、俺は服の上から撫でた。


「不本意だろうけど、そこで俺の戦いを見守っていてくれ。……いつか一緒にまた戦える日まで」




●明けましておめでとうございます

三が日も終わったので、ここから通常の週一更新に戻ります

本年も平&吉野さんと嫁軍団をよろしくお願いします


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