pr-2 ドラゴンロード・エンリルの巣穴
「なんだよ、居ないじゃねえか」
ペレの海辺に飛んだが、エンリルの姿はない。ただ草が海風に葉を揺らしているだけだ。
「どうする、お兄ちゃん」
俺の手を取ったまま、キラリンが見上げてきた。
「ここであたしも待ってようか」
「いいよ。王宮中庭のみんなのところに戻ってくれ。そこからハイエルフの里とダークエルフの森にピストン輸送だ。終わったら国王のところで、ケーキでもごちそうになってろ」
「いいね」
大喜びだ。いつもだとキラリン、トリムとふたりでスイーツ食べまくるんだけどな。そう思うと、胸の奥がきりりと痛んだ。
「わかったけどお兄ちゃん、なにか困ったら異世界スマホで呼んでね」
「了解」
キラリンが消えると、あたりは静寂。ただただ波の音と海風の囁きが俺を包むだけになった。はるか遠く、邪の火山が邪悪な噴煙を上げている。
ルシファーの最後っ屁で大噴火を起こしたものの、その後は勢いがやや収まっている。とはいえ以前のようにアールヴの里になんか、とても近づけない。それくらいの噴火が依然、続いている。
「エンリル」
天を仰ぎ、俺は大声を出した。
「どうせ見てるんだろ、ここ。早く来いよ」
「せわしないのう……」
どこからともなく声が聞こえると、空に小さな点が見えた。あっという間に、俺の脇に着地する。
「ドラゴン遣いの荒い奴だ」
「今日はお前が呼び出したんだろ」
「まあ……それもそうか」
大声で笑っている。
「で、用事ってなんだよ。別大陸への航海準備で俺、忙しいんだけど」
大陸間航海は長いと、こっちの漁師の言い伝えにある。毎日現実世界に戻れるとはいえ、それなりの準備が必要だ。なんせ、モンスターが活性化したおかげで、大陸間移動が途絶えて久しいって話だしな。
「その大陸の件だ」
「なにか情報くれるってのか」
「まあのう……。ほれ、乗れ」
体を倒すと、またがるように促してくる。
「どこ行くんだよ」
「余の巣穴よ」
エンリルの巣なんて、行ったことがない。俺が見たことのあるドラゴン巣穴は、イシュタルの洞窟で、それだって一度きりだ。毎月イシュタルの巣穴にマッサージに赴く吉野さんは、もう十回以上は行ってるわけだが。
「お前の巣に、情報があるってのか」
「そうとも言える」
「なんだそれ。なぞなぞかよ」
「とにかく乗れ。時間が惜しい」
まあ、それは俺も同じだ。またがると、エンリルはふわっと舞い上がった。
「魔法で保護しておるが、念のため、落ちないように気をつけろ」
「わかってるよ。これでもドラゴンライダーだぞ」
魔導シートベルトみたいなもんだからな。あれがないと、高速移動してしかも加減速半端ないドラゴンの背からなんて、秒で落ちるわ。
「それもそうだな」
くすくす笑うと、いきなり加速した。
「なら余も遠慮はいらんか」
「うひーっ」
いやエンリル、今日はどえらく加速するじゃん。この間の、邪の火山から退避したとき以上の速度だわ。
「ほれ着いたぞ」
エンリルの声に、我に返った。
「どこだここ……」
見回した。いつの間にか洞窟の中にいる。天井の高さ三十メートルはあろうかという、大洞窟だ。随分奥まで進んでいたのか、入り口は見えない。それでも明るいのは、壁全体が発光しているからだ。イシュタルの洞窟もそうだった。なんでも魔力を持つ苔のおかげらしいから、ここもおそらく同じだろう。
くねくね曲がりくねった洞窟の、どこか中間地点。すぐ先で洞窟は三つに分岐している。
「平お前、気絶しておったぞ」
楽しそうに笑ってやがる。
「そりゃ、お前が遠慮なしにぶっ飛ばすからだろ」
あまりの加速度に脳内血流が片寄ったせいだ。現代の戦闘機乗りでもトップスピードで旋回すると起こる危険性があるって話だし。
「ところでここ、お前の巣穴か」
「
「どこにあるんだ、ここ」
「奥地よ。後でその『すまほ』とかいう魔法の地図で確認しておけ」
「そうだな。……で、用事ってなによ」
「ついて参れ」
のしのしと、分岐を右に進む。天然洞窟だがどういうわけか、地面はどえらく平坦で歩きやすい。おそらくエンリルが削ったか、なんらかの魔法を使ったのかもしれない。
「ここだ」
右の通路に入ってすぐ、また右の穴に。そこは小部屋――といってもドラゴンサイズだが――になっていた。
「へえ……」
俺は見回した。
「なんだか、人間の部屋みたいだな」
「そうであろう。お前を呼ぶのに、これまで集めた宝から適当なものを見繕った」
実際、部屋には人間サイズのローテーブル(に使えそうな、なにかの宝箱)、数人は掛けられそうな長いソファー(に使えそうな、柔らかな物体)、さらに大きなベッドっぽいものすらある。
「まあ座れ」
「おう」
「ソファー」に腰を落ち着けた。なんだよこれ、どえらく座り心地いいじゃん。普通のソファー感はない。ぐっと沈み込むと、俺の体に合わせて変形し、柔らかく俺を包んでくれる。まるで生き物。ドラゴンロードが「宝」と呼ぶだけあるわ。
「で、用事ってなんだ。情報をくれるって話だったが」
「うむ」
頷くと、エンリルはしばらく黙った。俺の目を、じっと覗き込んでくる。
「な……なんだよ。気味悪い」
「平お前、別大陸に行くのは止めろ」
「へっ!?」
とんでもないことを言い出して、驚いた。
「そんなのできるわけないだろ。トリムを救うには、なにがなんでも行かないとならない」
かの地で、トリム復活の秘法を手に入れないと。
「前に話したことがあるはずだが、余もイシュタルも、あの大陸には行けない」
「ああ聞いたよ。なんでも取り決めがあるとかなんとか」
意味はよくわからなかったけどな。なんの取り決めかすら、教えてくれなかったし。
「別大陸では、余はもうお前を助けてやれない」
「それはわかってる」
「あの大陸には、この大陸とはまた違う、いろいろな困難が待っておる。新しいモンスターも、まったく別種の困難も」
そもそも真祖シタルダがこの世界を創造し、まずこの大陸を作った――と、エンリルは続けた。
だがやがて、この世界に不満を抱く種族が増え、シタルダは彼らのためにはるか離れた海上に別大陸を創造し移住させた。両大陸間は交易で結ばれていたが、六百年前の聖魔対戦で海中に異様なほど強力なモンスターが増え、それ以降、交流は途絶した。
そこまで語ると、エンリルはまた俺を見た。
「余の助けが無ければ、いかな平と言えども、あの大陸で命を落とすであろう。トリムを救うどころではない。吉野やタマを道連れにしてもいいのか」
「それは……やってみないとわからない」
別大陸の危険性については、もう何度も考えた。俺達はいつでも現実世界に帰れる。戦闘で危なくなれば逃げるの一択だし、また後で挑戦すればいい。
そう説明してやると、エンリルは頷いた。
「では、どうしても行くのだな」
「ああ。トリムは俺の使い魔だし、嫁のひとり。俺が守ってやらなくてどうするんだ」
「そうか。お前ならそう言うやもと、危惧しておった。……やはりか」
ほっと、エンリルは息を吐いた。
「まあそれも平らしい。嫁や使い魔、仲間を大事に思う男ならではな。余のパートナーとなる資格があるだけの男だからな。……ならもう止めはせん。余は少し席を外す。そこに――」
首で示した。
「冷たい茶を入れた容器がある。脇のカップで茶を飲んで待っておれ」
「ありがと。ちょうど喉が乾いていた」
テーブルの上に、水差しとカップがあるのは気がついていた。どちらも金属や木製ではなく宝石のように輝く謎素材製で、微かに七色の燐光を放っている。
これは人間サイズ……というか、モロに人間用といった感じ。水差しの取っ手とか、カップの持ち手とか見る限り。ドラゴンが使えるはずもないから、おそらくどこぞで入手したアーティファクトってところだろう。ドラゴンが宝を溜め込む習性があることは、ヴェーダも口にしていたし。
「いい香りの茶だな」
カップに注ぐと、香りが立った。杏仁豆腐とかバニラビーンズ系の、アルデヒドっぽいいい匂いがする。でもエンリル、あの馬鹿でかい図体で、どうやってこんなこんまい容器に茶なんか入れられたんだ。下働きの妖精かなんか、いるんかな。
「うまいぞ。ほら飲め」
「ああ」
ひとくち飲んでみた。
「たしかにうまいな。なんだこれ」
なめらかな喉越しで、あでやかなフレーバーが鼻に抜ける。
「そうであろう。とっておきだ」
「もっと飲んでいいか」
もう飲み干したわ。
「何杯でも飲むがよい」
俺がカップにおかわりを注ぐのを見て、微笑んだ。
「では待っておれ」
そのまま、部屋奥の穴へと消えた。
「はあ……うまいなマジ」
二杯目を秒で飲み干すと、部屋をまた見回した。壁には作り付けの棚があり、ソフトボールほどもある大きな宝石らしきものや、金のように輝く金属塊が置かれている。
「マジ、宝を溜め込むんだな」
持ってみた。
「重っ!」
金よりよっぽど重いじゃん。よく見ると金色というよりややピンクがかってるし。この貴金属だの宝石を銀座「天猫堂」に持ち込んだら、俺の買い取り担当の貴船マネジャー、絶句するだろうな。
貴船さんには目立たない程度に、定期的に異世界ダイヤを流している。だが、こんなとてつもないお宝は特別だ。目を白黒する紳士の顔を想像したら、おかしくなった。
「なにを笑っておる」
背中に声がかかった。
「いやこの宝石、凄いなって」
「欲しいのか? 平になら、やっても構わんぞ。余がパートナーに選んだ男だし」
俺とエンリルは、ドラゴンライダーと使い魔の関係だ。たしかにパートナーと呼べなくはない。
「いや悪いよ。それに俺、もう資金は潤沢だ。金なんていらない」
なんせ数兆円分のダイヤが手元にあるからな。
「ところで風邪でもひいたのか、変な声で……って、お前誰だよ」
振り返ってぶったまげた。そこに居たのが「のしのし」ドラゴンではなく、女の子だったからだ。見た感じ、十八歳くらい。真っ白の肌に異国的な薄衣をまとっているが、微妙に透けていて、体の線がなんとなくわかる。スタイルだけでなく、顔もかわいい。顔立ちははっきりしているが、冷たい美人系というより、愛嬌があって親しみやすい感じ。長い金髪が腰まで伸びていた。アラビアンナイトという言葉が、脳裏に浮かんだ。
「やっぱり下働きの妖精が居たのか」
「なにを世迷言を」
一笑に付された。
「余を忘れたのか」
手を口に当て、静かに笑っている。
「『余』ってお前、まさかエンリルか」
エンリルの声質ではあるが、いつもの野太い声ではなく、普通に女の子の声だ。風邪でもひいたのかと思ったが、変身したとは……。
「そうじゃ」
「なに。エンリルの替え玉か。それともエンリルは、お前が遠隔操作していたパペットやロボットだったとか……」
もうそこまで行くと、普通にアニメかよって設定にはなるが。
「これは余の、婚姻形態よ」
手を広げくるっと回り体を見せつけると、エンリル(?)は、
「どうだ、かわいかろう……。他人に見せるのは、これが初めてだぞ」
「婚姻……形態?」
それって……。
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