9-7 トリムの奇跡

「トリムーっ!」

「禁忌魔法……ウトゥンブク・カムリダール……ェムルン」


 声のした場所から、強い光が生じた。目を閉じてすら網膜が焼けそうなほどの。




 ……光が消え、俺は目を開いた。あまりに強い閃光を網膜に受けたためだろう。視界が戻らない。どこを見ても真っ白。


 ただただ、静か。轟々と立ち上る、邪の火山の噴煙の音しか聞こえない。はるか上空から、ドラゴンが戦う羽音とシムルグールの吠え声が響くだけ。地上からは敵も味方も声がしない。


「トリムっ!」


 叫んだ。返事はない。真っ白だった視野が、次第に戻ってくる。まず周囲の輪郭線。そして形。最後に色と。


 敵も味方も倒れている。敵はルシファーただひとり。サイクロプスも魔道士も、配下の魔物は見えない。吉野さんが体を起こし、頭に手を当てたまま首を振っている。


「トリム……」


 トリムが立っていたところには、なにもない。ただただ空虚。凄まじい魔力の放出で、地面が擂鉢すりばち状にえぐれているだけ。


 ふと気づいた。


 痛くない。体が。サタンに腹をぶち抜かれたというのに。


 触ると、ミスリルのチェインメイルには大穴が開いている。ただ、中の体は無傷だ。傷が塞がったどころか、傷跡ひとつない。まっさらの肌が穴から覗いているだけだ。


「トリム……トリム」


 這いずるようにして近づいた。


 トリムはいない。発動地点の山肌は黒々と焦げている。穴の底に、小さな珠が見えた。ゴルフボールくらい。トリムの髪と同じ、プラチナブロンドに輝いている。


「お前……トリム……か」


 手に取った。温かい。温度だけでなく、思いやる心を感じる……。


「抜け殻になっちまったのか……トリム」


 トリムの笑顔が脳裏に浮かんだ。怒って睨む顔も。ベッドで流した涙も。


「平くん!」


 吉野さんの叫びで我に返った。


「みんな無事よ」


 見るとみんなのろのろと体を起こすところだ。飛び立ったレナが、俺に向かって飛んできた。


「レナ……、無事なのか」

「うん」


 すっと、胸の定位置に収まる。


「でもそれどころじゃないよご主人様」


 前方を睨んでいる。


「ルシファーが生きてる」

「なに!?」


 たしかに。ルシファーはすでに立ち上がっていた。


「すごい魔法だのう……。ハイエルフにあんな力があるとは知らなかったが」


 左肩を押さえたまま、首をコキコキと鳴らした。ハイエルフの秘蹟でも、無敵バリアは破れないのか、やはり……。


「おかげで首の凝りが治ったわ。玉座に座りっぱなしというのも、それはそれで疲れるものだ」


 振り返ると、ふっと笑った。


「皆死んだか。まあ役立たずどもだったし、また地獄の泥から魔造すればいいだけだ……」


 上空の戦闘を見上げて。


「さすがに高空までは効果が及ばなかったか。……といっても、ドラゴンロード相手では、どう考えてもシムルグールは不利。ドラゴン二体が参戦してくると面倒だ。もう遊びはなし。お前らはすぐに殺してやろう。私の情けだ」

「てめえーっ!」


 思わず、腹の底から叫びが出た。


「トリムをよくもっ」

「私はなにもしておらん。間抜けが勝手に自爆しただけではないか」


 苦笑いしている。


「しょせん、雑魚が命を捨てただけ。馬鹿なことよ。大人しく殺されておれば、地獄でお前と再会できたものを。魂の欠片となったからには、地獄にも行けないではないか」

「地獄に落ちるのはてめえだ、ルシファー」


 バスカヴィルの魔剣を、俺は抜き放った。額に当て、瞳を閉じる。


「ダメだよご主人様っ!」


 レナが俺の胸を叩いた。


「その力を開放したら、寿命が尽きて今度こそ死んじゃう――」


 レナの叫びをどこか遠くで聞きながら、俺は剣の魂に語りかけた。前と同じく、瞬時に時間が停止する。


 ――おい。やるぞ――

 ――よせ。我を使えば、汝は苦しむ――

 ――知るか。トリムの弔い合戦だ。俺はやる――

 ――代償は汝の命、五十年。もうそれほど残ってないではないか。発動と同時に、汝は死ぬ――

 ――このままじゃ全員殺される。それよりはマシだ――

 ――使い魔は、お前を助けるために死んだ。その心に背くのか――

 ――それは……――

 ――それに、あの存在には、強力な反作用防護がまとわりついている。命を捨てたお前の一撃も、おそらく通じない――


 くそっ! ならもう詰みなのか。トリムが命を捨てても、戦況に全く影響は無かったってのか……。


「いや……」


 脳裏にまたトリムの笑顔が浮かんだ。なにか、魂が俺に話しかけてくる。胸に収めた欠片を通じて。


「ああ……トリム。そうだ……。そうだな」


 啓示が下りてきた。そうだなトリム。今はルシファー単騎。雑魚からの横槍はない。いくら無敵とはいえ、手はあるよな……。


 ――なら命放棄はなしだ――

 ――それがよい――

 ――代わりに、みんなに俺の作戦を伝えてくれ――

 ――然り。仲間の心に呼びかけてやろう。サービスだ――

 ――サービスなんて言葉、お前が知ってるとはな――

 ――いろいろ知っておる。たとえば……――

 ――今度、ゆっくり聞くよ――


 バスカヴィルの魔剣を、額から離した。瞬時に時間が回転を始める。


「――が尽きて今度こそ死んじゃ……ご、ご主人様!?」


 レナが、口を手で覆った。驚いたように、耳に触っている。


「う……うん、わかった」


 俺は振り返った。全員、微かに頷いている。


「キラリン」

「復活してるよ、お兄ちゃん」


 手を口に当て、叫んでいる。


「よし」


 最後のピースがはまった。トリム、あの技でやってくれたんだな……。ありがとう。道は開けた。……とはいえ、せっかく逃げ道を用意してくれたけれど、俺は突っ込むぜ。このカスをぶっ潰すためにな!


「……」


 バスカヴィルの魔剣を、俺は鞘に収めた。


「どうした小僧。もはや戦う気力すら残っていないか」


 口を大きく開けて、ルシファーがからからと笑う。


 足元の折れた杖を、俺は拾った。尖った先に、俺の血がべっとり付着している。


「なんだ、それは」


 鼻で笑っている。


「折れた棒切れで私を倒すとでも言うのか」

「ああルシファー。そのつもりさ」


 ぐっと強く握り締めた。トリムが自分の命を捨ててまで助けてくれたんだ。俺は最後の可能性に懸けるぜ。


「死ねっ!」


「棒切れ」を握り締めたまま、俺は駆け出した。ルシファーに向かい。


「無駄なことを」


 呆れたように笑う。


「また撃たれたいのか」


 手のひらを開いた。中指の「ソロモンの指輪」を弾く動作に、また入る。だが、折れた棒切れを持つ俺を見くびって、動作が一秒遅れた。


 野郎の油断を待ってたぜ!


「やれっ! みんなっ!」


 鼓膜も破れよとばかり、俺は叫んだ。




●次話、第五部第九章最終話「一撃」。

刮目して待て!

平、頼むぞ……。

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