8-5 傷の治療
「おらよっ!」
コボルトの頭上に剣を振り下ろした。敵の肩に刃が食い込む感触があり、苦悶の叫びを上げたコボルトは、虹となって消えた。
「次はどっちだ」
汗が目に入って痛み、目を開けていられない。なんとか拭って見回すと、周囲には大量の虹が立ち上っていた。
「ご主人様っ」
飛んでいたレナが、俺の胸に潜り込んできた。
「今ので最後。全部倒したよっ」
「マジか!」
何分戦っていたのかすらわからんが、とにかく戦闘は終わった。どえらく疲れたが。これだけの集団戦となると途中で混沌となるから、指揮も統制も取れなくなる。正直、危ないところだった。
「ご主人様、凄かったー。最後、タマとふたりで大暴れしていたじゃん」
「そりゃあな、ファイター組がなだれ込んできたし」
なんとか息を整えた。片膝を着いたまま、タマもはあはあ荒い息をしている。最後は結局、泥縄式に力押しの形となった。非戦闘タイプのキングーやキラリンまで火炎瓶を投げたりして全員自らの判断で戦ったからこそ、なんとかなったという印象だ。
なにかひとつ転んでいたら、戦いの行方がどうなっていたのか、わかりゃしない。
「あっ!」
レナが叫んだ。
「ご主人様、血が出てる」
「大丈夫」
わかってる。乱戦中、後ろから剣で体を突かれたんだ。ちょうどチェインメイルと手首の間くらいだったから、左腕がわずかに切れた。その傷だ。
「かすり傷だ。それより、こっちの損害は」
「ひとり」
言ってから瞳を曇らせた。
「トリムだけ、ボウガンの矢が肩を直撃して」
「なに?」
トリムはミスリルのチェインメイルを脱がされていた。下着姿であぐらを組み、痛みに眉を寄せている。吉野さんとキラリンが、肩にポーションをかけているところだ。
「どうした、トリム」
「平、あたし……」
情けなさそうに、俺を見上げた。見ると、左肩のきれいな肌に、青黒いあざができている。
「鎧があったから、貫通はしなかった」
吉野さんが見立てる。
「でも直撃されて、関節が……」
顔をしかめている。
「あと五センチ右だったら、首を貫いていたわよ」
「不幸中の幸いだよ、お兄ちゃん」
「そうだな」
「やだ、平くんも血が出てる」
「かすり傷です」
「ポーションかけるね」
「お願いします。……なあトリム」
しゃがみ込むと、トリムの頭を撫でてやった。
「よく戦ったな。直撃を受けてからも、痛む肩をごまかして、まだ矢を射ってくれたんだろ」
「だって、平が前戦に斬り込んでいってたから。あたしがサポートしないと死んじゃうって思って……。それに平、後ろから斬りつけられてた」
「ああ、あいつ、お前が倒してくれたのか。おかげで助かったよ。死ぬところだ」
「だって……だって」
瞳から、ぽつりと涙が落ちた。
「だって平が……」
後は言葉にならなかった。ぽろぽろと大粒の涙がこぼれたと思ったら、トリムは大声で泣き出した。
「だっ……て平……が……」
「よしよし」
抱き寄せて、頭を胸に抱えてやった。
「俺は無事だ。お前が守ってくれたから」
「平ぁ……」
涙の粒が、俺のチェインメイルをころころと滑り落ちてゆく。
「よくやった、トリム」
「だって……あたし」
痛まない右腕で、トリムは俺の体を強く抱いた。
「あたし……平の嫁だもん……。ケルクスより先に、嫁だったんだもん」
「そうだな、トリム」
よしよしと体を撫でてやった。そんな俺とトリムの姿を、魔王サタンがまじまじと見つめていた。
●
「ほら平、こっちだよ」
「おう……」
トリムに案内され、裏庭の泉に、俺は体を沈めた。森に囲まれた草の庭で、自然に湧いた温泉が小さな池のようになっている。午後の暖かな陽射しが、温泉の湯気を照らしていた。
ここはハイエルフの聖地、トラエが暮らす巫女の館。突然変異コボルトの群れを撃退した俺達は、ケイリューシ国王から強い感謝を受けた。今後なんでも言ってくれ、希望はないかという国王の言葉に、トリムが願い出た。俺とふたり、聖地の聖泉で傷を治療させてほしいと。
もちろん王は快諾した。どうせならというので、俺達一行は今晩、ここ巫女の館で過ごすことになった。
「ねっ気持ちいいでしょ」
俺を座らせると、隣にトリムも体を沈めた。
「わあ、あったかーい」
「いい場所だな、ここ」
見回してみた。小鳥の鳴き声、風に鳴る草の音、遠くに見えるはるかな山々――。怪我さえしていなかったら、最高のシチュエーションだ。今はトリムとふたりっきりだが、俺達に続いて、吉野さんやタマ、みんなも順次ここに入らせてもらう予定だ。もう少し広ければみんなでいちゃつきながら一緒に入るんだが、まあ仕方ない。それに今日は治療優先だし。
「聖地だから本来、巫女しか入れないんだけどね」
「なんだトラエの奴、こんないい湯を独り占めしてるんか」
「おいしいものも食べられるしね。だからトラエ、巫女になりたがったんだし」
「はあ、あいつらしいわ。……ところでトリムはどうだ。傷の具合は」
「すごくいい」
ハイエルフの治療布を温泉に浸すと、トリムは裸の肩に掛けた。
「祖霊の力が傷に染み渡ってくるもん」
「そうか、良かったな」
「うん」
それきり、会話は途切れた。なんだか妙に気まずい。トリムと風呂とか、現実世界では毎日のようだったし、三助までやらされてたわけだが、環境が違うせいだろうか。
「腕、取ってもいい?」
急に訊いてきた。いつもなら勝手に腕を取るところだが、一応、傷を気遣ってくれたのかな。
「ああいいぞ。手首はかすり傷だし」
「……平」
俺の左腕を、胸に抱えるようにして両手で抱く。肩に頬をすりつけてきた。
「あたしの……ご主人様」
「どうした。今日はいやに甘えるじゃないか」
それには応えず、顔を寄せてくる。
「キスして……」
「キス?」
「誰も見てないよ、平」
「そうだな……」
唇を重ねた。舌を入れると、遠慮がちに吸ってくる。
「……あまい」
うっとりした声。俺はトリムに刻印を打っているからな。連れ合いの体液は甘く感じるらしいし、エルフでは。
唇を離すと、俺の腕を強く抱く。
「だめ……。もっと」
「よし」
そのまま、泉のほとりに押し倒した。寝転んだトリムに、存分にキスを与える。
「ん……んんっ」
トリムの息が荒くなってきた。
「今晩……」
「どうした」
「今晩、あたしとふたりで過ごしてね」
「そりゃあな。みんなでここに泊まるんだから、当然だろ」
「みんなとは、違う部屋だよ」
俺に組み伏せられたまま、形のいい胸を太陽に晒したまま、くすくす笑う。
「レナが段取り組んでくれた。みんな知ってるよ」
「えっ……」
いつの間に……。てか俺のチーム、みんな俺抜きで通じ合ってるってことか、これ。
「お願いがあるんだ」
「なんでも言ってみろ」
「今晩、あたしを平の嫁にして。本当の意味で……」
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