6 俺は陰謀に警戒の鈴を付けるぜ

6-1 反社長派、表に出て策動する

 その午後。経営企画室の俺の小個室。俺と吉野さんは、サタン召喚に向け、問題点を整理していた。召喚し、使い魔契約を結ぶまでの間、サタンをどう抑えるかを。少なくとも、俺達が殺されないやり方を考えないとならない。


 ああでもないこうでもないとメモ代わりのコピー用紙を無駄にしていると、経営企画室長が飛び込んできた。


「平くん」


 あのクールなイケメンが珍しく声を張り上げ、きれいに整えた髪からは前髪がひとすじ垂れている。


「なんすか、室長」

「吉野くんもいたのか。ちょうどいい」


 地位に上下を付けない経営企画室のカルチャーから、いつもなら「平シニアフェロー」「吉野シニアフェロー」呼びだ。だが今日はくん呼びしている。それだけ焦っているのかも。


「役員が……」


 言いかけるとウオーターサーバーから水を汲んで一気に飲み干す。


「役員が動くぞ。社長交代を見据えて」

「マジすか」

「ああ。永野役員が、口火を切った。現社長の功績は満点だ、だが混迷する世界状況を見据え、三木本商事には新しい血が必要だと、大っぴらに公言し始めている」


 永野……。赤坂のあの謎クラブで、副社長と一緒に居たうすらハゲだ。経理担当役員にして、俺と吉野さんを追い出して三木本Iリサーチ社の役員に収まった八人のうちのひとり。


 やっぱり永野が陰謀の黒幕だったのか……。


「永野さん……」


 斜め上を見上げ、吉野さんが眼鏡を直した。


「経理のご担当ですよね」


 それだけ言うと、俺を見た。頷いて、俺が続ける。怪しい話は、いつもどおり俺が担当だ。社内を煙に巻く「いい警官悪い警官」作戦を、俺と吉野さんは、今でも忠実に実行している。


「吉野さんが言うように、経理マンだ。商社で経理マンは社長の目などない。なのでクーデターを企てる動機はある。……でも失礼ながらそれ以前に、反社長の神輿を立ち上げる社内政治力がないのでは。経理ですよ」

「そこは私も不思議なところだ」


 室長は頷いた。思い出したように来客椅子に腰を下ろすと、ほっと息を吐いた。もうひとくち水を飲む。


「だが先頭に立った以上、なぜか政治力があるのは確かだ。そうでないと『馬鹿言うな』で一蹴されるからな」

「確かに……」


 思い当たる節はある。永野は、あの赤坂の謎クラブの常連だった。そして現に副社長にあの謎クラブを紹介し、女をあてがっている。当然、副社長と女のベッドシーンは画像で押さえているだろう。いざとなれば脅すこともできるというわけだ。あの類の陰謀技をいくつか使い、役員に裏のネットワークを作っていても不思議ではない。


 そして俺も、あそこではハメられる寸前だった。女に抱き着かれた画像くらいは撮られているだろう。だが寝てはいない。女に頼まれ同衾のフリはしたが、ふたりとも服は着たままだしブランケットをかけてもいない。だから仮に画像が流出しても、いくらでも言い逃れはできる。俺に弱みはない。それにそもそも独身だし、なおのことだ。


 あのとき永野は、俺と吉野さんの仲が怪しいとも口にしていた。だがあれはただのカマ臭い。それに仮にガチバレしたとしても、法律違反でもないし社内規定にも反してない。長い時間を一緒に過ごす同僚が恋愛関係になることなど、普通にある話。三木本商事内でだって、過去現在で何千人といたに違いない。つまり弱みではない。


 俺をハメるのは諦めたに違いない。それでも動き出したということは、一種の陽動作戦だろう。大っぴらに動くことで、日和見派の役員の動揺を誘い、自派閥に引き込むという。


「室長、役員の動向はどうです」

「わからん」


 首を振った。


「だが、これを受けて社長派も票工作を始めた。あからさまなくらい表立って。役員を安心させる気だろう」

「なるほど」

「票読みは混沌としている。キーになりそうなのは、海外赴任中の役員、そして副社長と監査役だ」

「たしかに……」


 海外赴任中の役員は、国内の派閥争いに加わる機会も必要性もない。そして副社長に監査役は上がりポストだ。自分の出世がない以上、これまでは派閥に加わる必要はなかった。それだけに政治的空白地帯だったはず。そこを取り込めば確実に票が増やせる。


「動向の読みようがない海外担当はともかく、副社長の桐山さんは、どう動くのかしら」


 吉野さんが首を傾げた。


「おそらく、両派から接触されているはずだ」


 室長が言い切った。


「副社長は温厚な人だ。穏便な解決を望まれるだろう。それだけに、少なくとも経営会議での社長交代のような荒事は反対するはず。現社長が三期務め終わった際に、永野役員を次期社長に推挙するような、妥協案を提示すると思う」

「そうですよね」


 一応、俺はそう答えておいた。だが、実際は微妙だ。赤坂の件がある。ある意味脅しで、心理的には敵対しながらの協力になる。それだけに、永野もこのカードを切るのは最後の手段にするだろう。しかし、切り札を持っているのも事実。その分だけ、副社長の票は、永野に落ちる可能性のほうが高いと、俺は睨んでいた。


「わかりました室長」


 俺は室長の目を見た。机の下で吉野さんの手を握りながら。


「ちょっと俺のほうでも動いてみます」

「そうしたほうがいい」


 室長は、真剣な瞳だ。室長は、ビジネスを心から楽しむ、やり手だ。それだけに無駄な社内抗争でビジネス環境が荒れるのは嫌なのだろう。それに先日、社長からは「いずれ君が社長になれ」と、遠回しに将来の道を示されている。その分、心情的には社長に任期を全うしてほしいはず。だからこそ、俺に動いてもらいたいんだろうし。


「フリーハンドを持つ平くんなら、役員の間をちょろちょろ動いても、問題にはならないからな。本人は役員でもなんでもないから、両派閥からしても邪魔にはならないし」

「ですよねー」


 社長にしても俺のことは「君はどうせ遅かれ早かれ三木本を辞めるだろ」と一蹴していた。経営企画室長の眼の前で。実際俺もそうは思うし。


 だから、欲に囚われない俺がフリーハンドで動き回れるという室長の判断、間違ってはいないんだ。正しい認識だが室長ーっ、もう少し砂糖でくるんでもいいんじゃないすかね。


 思わず苦笑いだわ。

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